進め
全ての生命は生まれた瞬間から死に向かっている。
生命に循環があるように、全ての魂もまた解脱に向かう螺旋の中にある。宇宙は永遠の明滅の螺旋の連なり。なんの根拠もないけれど、あらゆる水分子がいずれ大海に辿り着くように、生命や物体が成長と風化の循環の輪にあるように、大きな宇宙の循環にもまたゆき着く先があるのだと予感させる。
そう聞くとみなつぶさに、仏のいう空とはなんぞや、人生の意義とはなんぞや、雲を掴むように悟りを追い求めるなどということにやっきになったりする。ところが、そうであっても、そうでなくとも、いずれ大海に辿り着くさだめなら、真実に至ることのできない惨めさだとか、正しさとはこうあるべきだなどという妄想を生み出すことにたいした意味はない。
川面に映る自分の顔をよく観ること。今この瞬間の生の喜びを知ること。その先にある大いなる意識は忘却の向う側にある。忘却こそが歓喜の種なのだから。
あなたの起こす行動はいつも川面にさざなみを立てている。しなければならないことを妄想し、しなければならないことに向かって、しなければいけないという殻に自分を委ね、己のエゴを理解したつもりになっている。それをしないことで世界は広がる。しないこととは停滞することではない。唯、進め。サイの角のごとく唯ひとり進め。
道なき道をゆくから「焦」りにつながる。大海に通じる「辶」(みち)があると知れば先に進むだけとわかる。「進」むとは、「唯」+「道」に在るということ。
あなたは唯がむしゃらに在ればよい。
りなる