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単純な選択 - ケン・ローチ監督に思う

昨日、TVにケン・ローチ監督のインタビューがちょっとだけ流れました。わたしはそのたった数分のインタビューに心打たれました。

ケン・ローチ監督といえば、印象的なのが『わたしは、ダニエル・ブレイク』という社会派の映画です。社会の弱者に目を向けた決してハッピーエンドではないけれど、どこか賢く勇気と希望が心に芽生える作品です。

わたしは予告MVを見ただけで涙が止まらなくなってしまいます💦

3、4年前の映画ですが、いまでも心に突き刺さります。

昨日のインタビューの詳しい内容はあまり覚えていないのですが、こんなことを言っていたように記憶しています。

現状を打破できない悲しみのエネルギーは他者への攻撃へと向かう。

いま世界にあやまった情報があふれている。
「こうすれば上手くいく」「今のトレンドはこうだ」
「誰それをフォローすればハッピーになる」
まるですべてがマーケティングのようだ。

みんなが社会の迷路でさまよっている。

わたしの世代が、そんな世界を作り出してしまった。
だから世代を代表していま謝罪をさせてほしい。
わたしたちが暴力、搾取、抑圧、差別の負の遺産を多く残してしまった。
次の世代にはもっとよりよい方法で新しい世界を築いてほしい。

最近、ひとりひとりが隣人を思いやり助け会う輪が、周囲に起こっているのはとてもいいことだ。
この小さな輪が地域に、国に、そして世界に広がっていってほしい。

世代を代表して謝罪をさせてほしいと。。。そんなことを言うんですよ。

高齢層の世代、中年層の世代、若者の世代。。。みな一様に怒っています。わたしも怒っています。そうやってまた、社会を「善意の怒り」で変えようとしています。これまでのやり方で、これまでのやり方を変えようとしているのです。でも、それでは何も変わらなかったのです。ケン・ローチ監督はきっとそれを学んでほしいと言っているのです。

別のインタビューでは、こうも言ってました。

単純な選択です。

"協力" か "競争"です。

協力すれば、だれもが調和の中で生活ができます。
競争を続けるなら、お互いに身を滅ぼし合うのです。

ほんとに単純な選択です。

わたしの下書きnoteには「人生はヌルゲーだ」っていう、なんとも不徳極まりないタイトル(!?)の記事がいまでも書き途中のまま保存されています。

"協力"という選択を一人も欠けずにできさえすれば、地上には分け与えるのに十分な資源が揃っているのです。

政治も市場経済も多くの高尚な人々が言うほどに複雑ではないのです。わたしたちひとりひとりがマインドに振り回されることを諦め、ハートで生きると選択しさえすれば良いのです。

ゲームで言えばナッシュ均衡(ちょっと違うか?)それをわかっていながら、"競争"を選ぶことで無理ゲーの道を突き進んでいます。

"協力"が選べない刹那的なエゴがそこにはあります。

それもまた大いなる意識のもと、人に許された選択の自由なのですが。。。そのゲームモードに辟易としながらも、同じ道を選択し続けているのです。

すべてはマーケティングのようです。

単純な選択です。

りなる


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