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院試のための読書リスト① 全体像を把握したい

最近は就活関連でバタバタでした。私は学部に行くために500万円ほど奨学金を借りていて、少しでも返済してから正規留学をしたいんです。そこで就活に精を出していたのですが、面接を全く通過できず心折れかけていました。(ちなみに25卒ですが、残念ながらまだ内定はいただいていません。)

そんな中、就活のことを考えない日を設けたので、ストレス発散も兼ねて、院試に向けた読書について考えます。院試まであと数年は時間がありますが、ちゃんと計画的に本を読んでいきたいんです!


読書法を書いたnoteを見つけた!

大学院受験に向けた本の読み方をグーグルで検索していたところ、パー蔵さんという方のnoteに、ドンピシャで知りたかったことが書いてありました。

ぜひ上記のパー蔵さんの記事を読んでほしいですが、簡単に要約すると、

 ①まずは目次を見ながら、その本を読む目的を明確にする
 ②次に、ざっとキーワードを流し読みして、重要そうな専門用語は意味を確認しておく
 ③著者の主張を理解し、口頭や文章でアウトプットしてみる
 ④自分の研究との関係性を考えながら丁寧に読み、アウトプットを行う
 ⑤あやふやな点や理解しきれない点を補うために再度読み込む

この方法で、効率よく要点を把握できるらしいです。③④あたりは、noteで書評を書くのも良いアウトプットになるのかなと勝手に思ったので、今後はちょいちょい書評を書きます。読んでいただければ嬉しいです。

こんな分野の本を読む

院試向けの読書術を学べたので、次は私自身が何を読むべきか考えてみます。まず、問題意識を再度明確にしたのち、それがどんな学術分野にかかわるか考えます。

問題意識

私は、「発達障害」について社会学的なアプローチで研究したいと思っています。特に、近代国民国家とか資本主義との関連で、なぜASDやADHDやLDが「障害」「異常」として名指されてきたのかを論じてみたいんです。

ネットで発達障害について調べると、例えばこんな定義が出てきます。

発達障害とは、生まれつきの脳機能の発達の偏りと、その人が過ごす環境や周囲の人との関わりのミスマッチから、社会生活に困難が発生する障害のことをさします。

https://junior.litalico.jp/about/hattatsu/

これだけを読むと、本人の生まれつきだけでなく、環境にも言及しているように見えます。でも、読み進めていくと、ASDならばコミュニケーション困難やこだわり、ADHDならば不注意や多動、LDならば学習上の困難など、結局、当事者本人の特性ばかりに焦点が当たっていて、正直うんざりしています。

何が問題かというと、「異常」とみなされる当事者と「正常」とみなされる多数派の関係性が固定化されている現状を打破できていないんです。少し環境に言及してみたところで、結局、今の社会の「当たり前」とされているシステムを根本から見直してみる気はないんだろうと思ってしまうわけです。それでは、本当の意味で当事者への差別をなくすことはできません。

本来は、この社会で何が正常だということになっているのか、それをきちんと見ていくべきだと思うんです。政治やその他のシステムが人々にどのような社会規範を植え付けたのかを丁寧に見てこそ、なぜある特定の性質(強いこだわりや多動不注意など)を持った人がことさらに異常視されなくてはいけないのか、その偏見の本質がわかる気がするのです。

大学の授業で聞きかじった話によると、「時間を守る」という意識は、近代の資本主義という文脈からは切り離せないそうです。労働者を所定の時間きっちり働かせないと経営者は利潤を最大化できない、というところで遅刻の概念が生まれたとのこと。日が昇ったら起きて農業をし、日が沈んだら寝る!という近代以前の生活に、「時間を守る」なんて発想はありません。

だから、子供のうちから学校で「時間を守る」ということを学びます。つまり、「時間を守る」は人間に本来的に備わっている機能ではなく、この社会の経済構造に合わせて身に着けたものです。よって、どうしても適応できない、という人が出てきます。その人が、先生にひどく叱られ、クラスメイトからも「あいつは変だ」というレッテルを張られたとき、その人は「異常」だということになります。その積み重ねが「発達障害」なのでしょう。

ADHDの人の中で、時間を守ることに強い苦手意識を持つ人が一定数いるそうですが、それは当事者本人の問題ではありません。「時間を守る」は近代資本主義社会によって無理やり押し付けられたものだから、それが苦手な人には社会の側で救済策を講じるべきなんです。その救済策こそ、「発達障害」の当事者である私たちにとっての「合理的配慮」です。

この世界には限りなく多様な特性を持った人がいて、本来的に優劣はありません。でも、その時々の政治経済など大きなシステムの影響を受けて、人為的に「正常」「異常」という思い込みが作られていくのがこの社会です。

性別二元論や異性愛主義が近代化の過程で作り出された虚構だということが解明されたおかげで、性の多様性を守る取り組みが少しずつ進んでいます。同じように、発達障害をめぐっても、「正常」「異常」の線引きがどんな仕組みで行われているのかがわかれば、その線引きを超えていくこともできると思うんです。その着眼点の一つが、国民国家論や政治学だと思っています。

そんな問題意識を胸に、どんな学術分野を学んでみるか、考えます。

1、心理学、精神医学

私は今のところ素人なのでわからないのですが、おそらく、現状では発達障害研究の主流派になっている学問でしょう。主流派の研究を正しく理解していなければ、的確な批判もできないので、読んでおきたいです。ただ、今までの私にはほとんど無縁といってよかった学問なので、基本的な概念も、方法論も、全くイメージが付きません。どこから手を付けよう…。

2、社会福祉学


こちらも私にとっては未知の学問なので、以下のページを読んでもあまりピンときません。ただ、障害者福祉が重要なテーマのうちの一つになっているみたいなので、学んでおいて損はないと思いました。障害者福祉の現場のミクロな動きも、発達障害をめぐる国家の姿勢や社会規範などマクロな動きを見ていくための切り口になりそうです。

3、教育学

これも、社会福祉学と同じレベルのぼんやりしたイメージしかありません。多分、子供の発達とか、特別支援教育とかについて理解を深められるんだと思います。「現場のミクロな動きも、発達障害をめぐる国家の姿勢や社会規範などマクロな動きを見ていくための切り口」である点は、教育学も同じです。とりあえず、ネットでおすすめの教科書や入門書を探して、買ってみます。

4、社会学、政治学

①国民国家論

近代の国家が「国民」という意識によってまとまることはなぜ可能なのかをテーマとする学問です。誰が「国民」としての地位を与えられ、誰が排除されるのか、「国民」であるとはどういうことか、なども重要な問いです。

「国民」というステータスから排除されうる側である民族的マイノリティや人種的マイノリティの人生経験についても当事者に寄り添う形で分析します。(エスニシティ論)

私は大学の「エスニシティ・ナショナリズム論」という授業で少しだけ国民国家論に触れ、感銘を受けました。授業中も、これをニューロダイバーシティの話とどのように結び付けられるか、好き勝手に想像を膨らませていました。授業資料に書かれている重要そうな文献から順に当たってみます。

②政治思想

政治はどうあるべきかを、感情はいったんわきにおいて学問として研究します。「平等とは何か」というのは、政治思想研究の中の重要な問いの一つです。

ニューロダイバーシティという切り口から国民国家や資本主義経済のありようを考えるとき、「能力主義」と「平等」について考えることは、避けて通れない気がしています。

大学で主に勉強しているのは政治学なので、政治思想の教科書はもちろん家にあります。なんなら3冊くらい持っています。それを読み返しつつ、参考文献を当たってみます!

③ジェンダー学・障害学

この二つはどちらも、マイノリティ当事者の人生経験を社会学的に論じるという共通点があります。ネガティブなレッテル張りをせず、当事者に寄り添う目線で社会の不公正を論じる学問です。エスニシティ論とともに、相互に影響を与え合っています。

「性別二元論や異性愛主義が近代化の過程で作り出された虚構だ」と書きましたが、その背後には近代国民国家や資本主義の力があります。国民に異性愛を強制することによって、国家は次世代の兵士(!)や労働力を調達できるのです。

また、女性を弱い存在に留め置くことで、戦争の時は「守るべき妻子のために戦え」と男性兵士を鼓舞することもできます。ジェンダー学には、かなり国民国家論の視点が入っていますね。(なぜ兵士たちが国民国家のために命を懸けられるのかを分析しているから)

また、障害学では、社会は「健常者」とされるマジョリティに配慮する形で作られており、「障害者」とされるマイノリティのニーズは無視または軽視されていると考えます。

「障害者」の日常生活が制限を受ける原因は、目が見えにくい、車いすが必要であるといった体の特徴そのものではないと考えるのです。少数派であるその特徴を持つ人のニーズが社会から無視されることが、本当の意味での「障害」です。これを、「障害の社会モデル」と言います。車いすの人が段差のある場所を自力で移動するのはとても大きな困難ですが、工事でその段差を取り除いてしまえば移動自体は問題ありませんから。

ただ、この「障害の社会モデル」は身体障害の人が主導で作られていて、発達障害の理論にはあまりうまく組み込まれていない印象があります。身体障害の場合は、何が社会的障壁であるかは比較的わかりやすいのですが、発達障害の場合はもっとぼんやりしています。

ここに、一つの切り口として、国民国家論を持ち込むことができるし、そこに取り組んでいる研究者もきっと存在しないわけではないでしょう。ただ、まだ本格的には取り組まれていなさそうなイメージを勝手に抱いています。

教科書になりそうな本は、障害学に関しては1冊持っています。でも、ジェンダー学の教科書はないので、入手しようと思います。

いつまでに読もう


何の本を読むかだけでなく、いつまでに読むかという問題があります。仮に就職の3年後に入試を受けられるとして、その3年間を無計画に使うことはできません。なので、仮で計画を立てましょう。

いくつかのステップに分けてみました。
 ①各学術分野の教科書を流し見て、どんなことをしている学問か大づかみ に理解する。
 ②各分野は細分化されているので、その中で自分の興味に直接かかわる領域を見つける。その領域が、その学問の中でどのように位置づけられているのか理解する。
 ③実際に、その領域の本を数冊手に取る。最初の1冊目は気楽に。2冊目以降、英語やドイツ語にも適宜挑戦する。
 ④そのインプットを踏まえて、改めて教科書を丁寧に読み、各分野の主要な理論や研究者に対する理解を深める。
 ⑤その分野のメインストリームとなっているパラダイムを理解して、批判を考えてみる。個別の論点についても批判してみる。
 ⑥それらの批判を組み込んで、研究計画を立てる。

社会学や政治学はもう、①はクリアしていそうです。対して、心理学や社会福祉学、教育学は、全体感すらつかめていません。大学の卒業単位は今学期で取り終えていると思いますが、せっかくまだあと半年大学に在籍できるので、入門科目を取ってみます。そのついでに図書館にもいけば、交通費が浮いて一石二鳥です。

そうやって一歩ずつ進んで④に取り組みだしたら、徐々に、自分の研究したいテーマに合った研究室を選べるようになってくるのでしょう。それぞれの書籍を書いた教授がどんな学部に所属しているか、ネットで検索してみるのもいいですね。

就活でかなりエネルギーを消耗しているのでどれくらいできるかわかりませんが、①②③は極力大学生のうちに取り組みたいです。遅くとも就職後半年くらいまでには終わらせないといけません。④⑤⑥はいくらでも時間をかけられるところですが、入学の1年前には出願が始まるので、そこまでに研究計画書ができている必要はありそうです。

(とはいえ、まだ募集要項を読んでいないので何とも言えませんが…)

なので、出願の1年前(入学の2年前)には、アバウトでもいいから研究計画を作り始めたいです。同時並行で、行きたい大学や研究室の候補をリストアップする作業も始めたいです。忙しさを考えると意外と時間がないかもしれません。





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