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GoとNo goを決めるもの
薩摩郷中教育の教えに「泣こかい飛ぼかい泣こよかひっ飛べ」というのがあって
無意識のうちに自分の中に出てきます。
出てくる、というよりそのアクションの後しばらく経ってから「あ、これか」と後から意味付けしていることが多い。というくらい自然にハマる言葉。
…いいこと言うなあ、薩摩隼人!
学生でも社会人でも授業でも講座でもレッスンでも
私の口癖は
「ま、試しにやってみよう〜!」。
自分も他人も
「できるかできないか」より「やるかやらないか」が気になります。
話す、や伝える、表現すると言うのは
その人が変わりたいと思ったタイミングで磨けば
人生が変わることもある、
一方で
失敗しても大したことないと考えているからなのかもしれません。
「◯◯をやってみましょう」と言うと
「もし、やってみてできない時はどうしたらいいですか」という質問を受けることがあります。
学生の場合は、
「は?やってから聞いて」
と10文字以内のコンパクトアンサーですが
社会人や研修の場合は関係性と距離感が違うので^^
もう少しお話を伺うことになります。
「できるというイメージを何が妨げていると感じますか?」
「できるかも、と思えるには何が必要だと思います?」
聞いていくうちに気づいたことがありました。
「うまくいかなかったら」「できなかったら」
をイメージさせるのはこれまでの自分で、
「うまくいくかも」「できるかも」
をイメージさせてくれるのは半年後、1年後の自分、だということ。
いやいやいやいや大丈夫(日本語間違ってるけど)。
そもそも、話し方や伝え方って、
誠実であればもうそれでいい、というところもある。
向上させたいって思っている人は
マイナスからゼロに向かっているのではなくて
プラスからさらにプラスに向かっているんだから、
失敗だと感じたところで、それ、マイナスじゃないです。
なんならマイナスが続けばマイナス×マイナス、でプラスになります。
怪我もしなければ命に関わることもないです。
試しにやってみましょうよ。
やって感じたことを教えてください。
次の作戦考えましょう。
つまり
「ひっ飛んでみましょうよ。」と言うのが私の役割なのかもしれないな。
…いいこと言うな、薩摩おごじょ。
ま、試しにやってみましょうよ。