【MBTI】Fi(内向感情)+Ne(外向直観)について考察① -Fi編-
自身の事象と結び付けて心理機能のことを考えていると大概迷子になるなと常々思っておりました
直近でNi(内向直観)について、noteの記事を執筆していた時にも「これはFi(内向感情)とは何が違うのか?」「Fi(内向感情)+Ne(外向直観)による行動でも説明できるのではないか?」という疑問が湧いておりました
そこでFi・Neとは何か、またFi+Neが働くとどういった行動が現れるのかを考察してみたいと思います
今回はFiについて考えていきます
思考と感情
既にご存じの方からすると退屈な内容かもしれませんが、Fiを紐解いていくためにまずは思考・感情について区別していきます
唐突ですが、ここで一つ皆さんにイメージしていただきたいことがあります
あなたは今、学校・職場・公園など公共の場にいます
あなたはちょっとしたゴミ(鼻をかんだティッシュなど)を捨てようとゴミ箱の前まで来ました
しかし、ゴミ箱は既に満杯であり自分のゴミはかろうじて入るか入らないかくらいの状況です
この状況下、あなたならどうしますか?
イメージ出来ましたらスクロールを進めてください
結論、どういった行動を取るかは関係なく、その行動が合理性によって導き出されていれば「思考」・気持ちによって導き出されていれば「感情」になります
例えば「まだ入る隙があるんだったら別に捨てない理由がないでしょ」「こういう場面はモラル的に捨てるべきでないと習っているし捨てないべきだろう」といったように、ある種のフレームワークに沿って判断をしている場合は”思考” に該当します
後者のようにモラルに沿って行動していたとしても、そこに気持ちが乗っていなければ、それはどこまで行っても思考になります
一方「ずっとゴミ持っているの嫌だし捨てよう」「溢れると清掃員の方の負担が増えそうだし捨てるのはやめておこう」といったように、自分ないし他者の気持ちに基づいて判断している場合は”感情” に該当します
急ではありますが、思考を指向する人が感情機能を使用していた良い例を思い出しましたので記載します
”結婚できない男” というドラマがあり、その主人公は事あるごとに理論武装、時にシニカルに接することで周囲の反感を買ってしまうような人物です
そんな彼があるアーティストのホームパーティーに仕事仲間たちと一緒に招かれました
パーティー等が苦手な彼は、一人で壁に飾ってある絵画を「何が良いのか全く分からん・・・」といった面持ちで眺めております
すると、アーティストが近づいてきて「これ僕が描いた絵なんです、すごく良いでしょ」と彼に話しかけました
彼をよく知る仕事仲間たちは「頼むから余計なことを言わないでくれ」と固唾を呑んで見守っていると、しばらく沈黙が続いたのち「すごく良い絵ですね」と答え周囲がホッとするというシーンがありました
これは、本心では全く良いと思わない絵だが相手の心情を気遣ってそう答えた一面と見受けられます
ちなみにいつもの彼であれば「これは画家の○○に似た構図で、■■を表現しているように見えます。ただこれは当時から賛否の分かれる構図でぺちゃくちゃぺちゃくちゃ・・・」といったような理屈を並べ、周囲をげんなり或いは相手に怒りを覚えさせていたと推測されます
何はともあれ、この時彼は苦手な感情機能を使って、その場に順応していたのです(ちなみにこれはFe(外向感情)による判断と行動であると見受けられます)
つまり、普段から思考を指向していようが感情を指向していようが、どちらか一方の機能しか使わないということは無いのです
どういった行動を取ることが多いか、或いはより自然に選択しているかといったことから導き出すことが重要なのです
Fi(内向感情)とは
Fiは読んで字のごとく、感情が内側を向いている心理機能です
つまり、自身の内側に存在する感情に基づいて判断することになります
先述の満杯のゴミ箱を例に挙げて考えると
「ずっとゴミ持っているの嫌だし捨てよう」
「ゴミが溢れた状況を清掃員の方が見た時悲しい気持ちになるだろうし、そうなって欲しくないから捨てるのはやめよう」
といった判断がFiに該当すると見受けれらます
ここで一つ触れておきたいのですが、相手の事を想っていても
自身の純粋な気持ちを基に判断している場合、それはFiになると私は考えております
以上のことから私はFiを以下のように解釈しております
自身の心に灯る他の誰からも見えない炎のようなもの
炎というのは何かしらの影響を受け、常に形・大きさ・色などが変化するものです
その様子は、知覚した情報によって自身の感情が変化する様子に似ています
また、その炎は内で燃え続けており、何かを介して表現されない限り他者がそれを見ることは不可能だと思います
Fe(外向感情)との比較
FiとFeの違いを一言で言い表すとFiは大概傍から見えず、Feは大概傍から見えるに尽きると思います
感情に基づく判断という点では、FiとFeは同種になります
しかし、感情を内向しているか外向しているかによる違いは大きいです
両者が何にフォーカスして判断するかというと
Fiは内側に存在する自身の純粋な感情に基づいて判断するのに対し
Feは周囲に存在する、或いは本人が存在していると認識している感情に基づいて判断します
その結果、Fiを介してアウトプットされる行動は周囲に対して働きかけることは少ないのではないでしょうか
仮に周囲が判断に介入してくる時は、自身の純粋な感情による判断が崩れないよう、ある程度距離を取ることが多いのではないでしょうか
故に傍から見るとFiに基づく行動というのは認識しづらいと私は考えます
一方Feは周囲に存在する感情に基づいて判断を下すので、必然的にアウトプットされる行動というのも周囲の感情に刺さる、すなわち周囲に働きかける様式になりやすいのではないでしょうか
故に傍から見るとFeに基づく行動は認識しやすいと私は考えます
ちなみにFeユーザーでも自分の感情というのは当然あります
以前、Feを色濃く使用されていると感じる方と話していた時、事の成り行きから仕事中に怒ることがあるのかという話になりました
結論、怒りを覚えることもあるし、心の中で「何でそうなるわけ?意味分かんないんだけど」と思うこともあるとのことでした
ただ、話を聞き進めていくと覚えた怒りを基に判断を下すこと(例えば相手を問い詰めるなど)はしないと仰ってました
理由は、仕事をする上で良好な関係を保つことは大事であり、それを実現するためにはすべきでないためとのことでした
実にFeを指向している方のお話だなとしみじみ感じておりました
勿論Fiユーザーが怒りに身を任せ判断を下すことが多いというわけではありません
Fiユーザーも調和の取れた状態を望みますし、そうなるように行動もします
あくまで重要なのは行動に至った経緯なのです
最後に
今回Fiについて自分の考えをまとめてまいりましたが、如何せんFiが表出していた参考事例が思い浮かびませんでした
Fiが表出され、そのプロセスまで明確になるケースは相当親密な関係でない限り見ることが出来ないと思います
出来るだけ事例を挙げることでイメージしやすい記事を目指しているのですが、Fiに関する部分はそれが果たせませんでした
書き殴った文章になってしまいましたが、参考になれば嬉しいです
ここまでご覧いただきありがとうございました
執筆している中で感じたことがありますので、本当の最後にこれで締めたいと思います
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炎というのは灯りになったり、暖になったり人を導いたり助けたりしてくれるものです
普段自分の中で燃えている炎を外に出してみると、それが誰かを助ける重要なものになるような気がします
非常に勇気のいることですし自身が傷つくこともあるかもしれません
しかし、他者に対して自分の心を燃やすことが出来るからこそ救える人がいて、またその人もそれを待っているのではないでしょうか
説教臭くなり恐縮ですが、私自身も自分に出来ることを見落とさないようにそして外に出せるよう生きていきたいと思います