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苦手なことは苦手なままでいい。

 人に助けを求めるのが苦手なのかもしれない、と気づいたのは最近のこと。
 助けが必要ないほどしっかり者というわけでは全く無く、どちらかというとスピードが遅くぼんやりして見えるらしいので助けを求める前に助けられて生きてきたと思う。特に学生時代は、いつも先を行く誰かに助けられてきたような気がする。
 先へ先へ手を出される経験を積み重ねて、「私はぼんやりしていてのろいから気をつけよう」といつも気を張っているくらいにはとろくさい。考え事が止まらないタイプで常に頭は考え事でいっぱいなので、どれを表に出すべき感情なのか気づくのさえ遅い。
 そんな調子だから自分の感情に気づく頃には心の中はいっぱいいっぱいになっていて、いつ誰にSOSを出すべきなのかわからない状態になっている。からまって積み重なった感情は、どこから出して誰に伝えたらいいのかもうわからない。
 そのまま飲み込んで溜め込むことを繰り返していたら、最近になって、苦しいことが増えてきてしまった。仕事、家事、育児、体調管理…マルチタスクが苦手な私の頭は考え事に加えてタスク管理でいっぱいになっていて、どうにかしなくてはと思うけれどどうにもならずに右往左往してやり過ごしている。
 
 いつか爆発してしまうかもしれない、いつか自分はダメになってしまうかもしれない。そんな不安を抱くようになり、身近な誰かを頼らねば……と思ったら、もっと苦しくなってしまった。何しろ愚痴をこぼすだけでも下手すぎるのだ。元々、人の愚痴を聞くのも苦手。愚痴に限らず負の感情を聞いていると自分に向けられているようで気が滅入ってしまうので、道化に徹したり、下手すぎる誘導で話を変えようとしたりしてしまう。
 そんな人間なので、自分が負の感情をこぼすのも下手。ただただ自分を卑下していじけるような発言になってしまったり、唐突に攻撃的なことを言ってしまったり、バランスがおかしなことになる上に、最後は笑いに変えようとしてしまうから深刻さも伝わらない。だからうまく話せなくて、全くスッキリしないし解決しない。
 でも何かと「1人で抱え込むな」と書いてあるし、「まわりに頼れ」とか「旦那にやらせろ」と言うからそうしないといけないと思うけれど全然やる気になれない…。そうやってぐるぐると悩んで、悩みが爆発しそうで誰かに相談しなくちゃと思って悩む、というわけのわからないことになっていた。
 
 ああもう嫌だ、いっそ感情なんて無くなってしまえばいいのになぁなどと考えていて、ふと、思ったのだ。
 これをそのまま文章にしたらどうだろう?と。
 幸い私はnoteに文章を書くようになったし、他にもInstagramなどにも言葉を綴るようになった。そこに、自分の感情を書けば良いのではないか。
 もちろんそのままぐちゃぐちゃのものを書いて公開するのは読んだ人に申し訳ないからある程度は体裁を整えるけれど、直接的に愚痴をこぼせなくても、悩みを誰かに直接相談できなくても、書くことで自分も落ち着けるかもしれないし、読んだ誰かが「自分だけじゃない」と思って少しだけラクになってくれたりするかもしれない。

 人に頼ることを、もう少し上手くなったほうがいいとは思う。いっぱいいっぱいになって苦しくなる前に誰かに頼ってその荷を降ろせたらそれに越したことはない。でも、それを無理してやるのも何か違うのかもしれない。
 苦手なら、苦手なままでもいい。少しだけ違うアプローチで問題解決の方法を探れたらいいのかもしれない。

 そんなふうに思って、こんなことを書いてみた。書いた結果、少しスッキリした。読んだ誰かがラクになれるかはちょっとわからないけれど、直接おしゃべりしなくても、どこかの誰かと、「こんな気持ちもあるよね」と隣にただ座っているような感覚を分け合えたら、なんだかちょっといいなと思う。


【今日のお供】
『手書きライフを楽しむための世界一やさしい手帳のはじめ方』(クリームソーダと手帳のある暮らし・著)
 …楽しみにしていたのに最寄りの書店に入荷しなくて慌ててAmazonで購入。表紙も中身も全部優しくて好き。YouTubeをされている方なのだけど、声も可愛らしいし映像も綺麗で癒されるのだよね。本もやっぱり写真を見ているだけで癒される。ありとあらゆる手帳やノートの書き方を示してくれているので、何にもやりたくない気分の今日に眺めていても穏やかな気持ちをもらえる。癒し効果あり。
 


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