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138冊目:森と算盤
今回は渋沢栄一の曾孫が書いた本。渋沢栄一が現代に生きていたら、どう論語と算盤を今の資本主義社会で両立させるか...という視点で書かれている。
最近は全然違う本を読んでいるはずなのに、同じような概念が書かれていることがよくある。それが「宇宙船地球号」。今のトレンドかなにかなのかな?そして必ず用いられる江戸の事例。
江戸を取り囲む、富士山の火山灰や風塵が推積した関東ローム層と呼ばれる土質は、当初は痩せた不毛の大地でした。そこに都市から出た糞尿や囲炉裏の灰などが資源として投入されたことにより、黒ボクと呼ばれる肥沃な農地が形成され、その生産物が、江戸の人口を支えました。
地に足のついた暮らし
今の人々はどこか心の奥底に不安がある。1番の原因としてはお金への不安だろう。お金で全てを買って生活しているということは、生存に直結する衣食住を自分で調達できないということであり、経済に依存しているということだ。
つまり景気が悪化し職を失えば、命が脅かされる可能性がある。
昔は日本人のほとんどがお百姓(農民ではなく)でした。百姓とは、生きることすべてを自分で賄うことができる人、百(すべて)の仕事ができる人を指します。田畑を耕し、家畜を育て、山で燃料や食料を採取し、家も自分たちで建て.....と、生活のほとんどすべてを同じ村の人々と協力しながら、自分で賄っていました。
一つの例として秋田の鵜養という村が挙げられています。秋田という寒さで厳しい場所でありながら、江戸時代に1人も餓死者を出さなかった村です。
その村は周辺を山に囲まれており、村には約250人ほどが住んでいました。どうやってそこで人々が暮らしていたかというと家屋の周辺にある木々で生活に必要な道具を作り、家を建て、燃料にしていました。
海抜は秋の終わり、雪の降った次の日曜日に行われます。人力とノコギリで。木は重いので雪に滑らせて集落まで運び、乾燥させて薪となります。木が切られた森には日があたり山菜が生えてきます。古い切り株の部分が日陰となり腐るとキノコが生えてきます。そして33年経つと脇芽が元の太さまで育ちます。
森のサイクルに沿ったこの方法は「萌芽更新」と呼ばれ、日本各地で行われてきました。
仕事と稼ぎの違い
先ほども紹介した鵜養の集落の人から、私はこういう話を聞かされました。「仕事と稼ぎの両方ができないと、山の中では一人前じゃないんだ」これを聞いたとき、私は「仕事」と「稼ぎ」の違いがわかりませんでした。
本書によると、稼ぎとは、自分の家族を食わせるためにやること。仕事とは、子孫に村をつないでいくためにやること、です。
山稼ぎとは、例えば、森林組合で植林をして日当をもらうことで、山仕事は、下草刈りや蔓伐り、枝打ちなど、木を育てて次の代につないでいくためのことです。そして、子や孫の世代のためにさまざまな作業を行っておく、そういう仕事のうちで最も重要なことが「祭り」だそう。
自然の中では一人では生きていけませんから、必ずお互いが手を貸し合う必要があります。コミュニティをつくっていかなければいけないのです。だから、祭りや結や町内会というものが「仕事」として存在したのです。
真庭のこと
今の人間社会は地球の供給できる資源量を上回る速さで消費しています。それは人間のためだけの資源ではないのに。著者は真庭市で地域内の資源循環に携わり、木材をチップやペレット化し燃料にし、外部から調達していたエネルギーの半分以上を地域内で調達できる仕組みづくりをしました。
真庭では地域内のエネルギー自給率は約62%に達しています(今和2年1月時点)。この地域のエネルギーには電気も車のガソリン、工場などで使用する熱も含まれます。真庭で暮らしている4万人が使うエネルギーの半分以上が、木材から作られたエネルギーに変わったということです。そのおかげで地域内に毎年約10億円のお金が残るようになりました。この10億円は、これまで石油代金として地域の外に流出していたものです。
最後に
最後に実際に本書で紹介された村へ移住した方々の暮らしや思いが紹介されています。改めて日本の里山で暮らす人々は強いなと思いました。そしてその暮らしを学ぶ場として「豊森なりわい塾」というものがありました。残念ながらプログラムは終了していましたが、他にも似たような活動はあるようです。
農民はどんなことでも自分でやってしまうという意味で“百姓の万能”という言葉があったり、一説には、百の姓を持つ人、要するに自分でいろいろなことをできる人という意味とも言われます。それを踏まえると、「現代の百姓」とは、自分の食べ物を自分で作る、新規ビジネスを創出する、自分の家の屋根を自分で茸くことができる、自分で布や服を作れる・・・など、いろいろな顔を持つ人ということです。
百姓かっこいい!