神田沙也加さん
神田沙也加さんが亡くなられた。
深夜、寝る直前に重篤の報を、そして亡くなられたことを知りーその日は明け方まで涙が止まらず。
以来、仕事をしていても、寝ようとしてもー
大好きな観劇をしている時でさえ、どこか頭の片隅、心の奥で彼女のことが離れないという状況が続いている。
神田沙也加という人を知ったのは彼女がデビューした時のことだった。
SAYAKAという名の少女は、歌手になりたいと言ってデビューしたにもかかわらず、傍から見るとあまり「幸せそうに見えない」と思ったことを鮮明に憶えている。
当時の私は松田聖子のことをよく知らなかった。
知っていたことと言えば、昔のアイドルで、名曲を沢山持っている人。
当時、40歳前後だったかと思うが、デビュー当時と同じようにフリルのたくさんついた衣装を着て歌っている人ー今でいうところの「ぶりっ子」のキャラクターを演じている人というイメージだった。
他方、SAYAKAさんには手負いの獣のようなイメージがあった。
目つきは鋭く、自分のテリトリーに他人を近づけることを容易に許さない雰囲気があった。
美しい声は間違いなく、母から遺伝したものであったけれども、彼女自身が纏っていた空気は正反対だった。
にも拘らず。
SAYAKAさんの売出し方は、松田聖子という昭和のスーパーアイドルのクローンを作ろうとしているように当時の私には見えたのだ。
これはSAYAKAさんが歌いたい歌なのだろうか。
彼女が見せたい本当の姿なのだろうかー
実際のところ、どうだったのかはわからない。
だが、私の目に映っていたSAYAKAさんは不満を持った少女だった。
当時、高校生ー卒業後の進路で親と大衝突を繰り返していた私は、SAYAKAさんの姿に勝手に自己投影していた。
今ならば親が心配してくれていると分かる。でも当時は違っていた。
子供だから。
そのひとことで片付けられているのではないのか。自分の意思を表明しても大人たちは勝手に話を進めていく、やりたいことを捻じ曲げられているのではないのか。
勝手に様々な推測をし、勝手に同情し、勝手に共感を抱いていた。
彼女がSAYAKAとしての活動を休止した時、私は大学生になっていた。
彼女は高校を卒業していた。
日本において、高校卒業というのはひとつ大きな節目だと思う。
完全に大人として見られるものではない。でも、子供扱いはされなくなるようになる。
そんなタイミングでの活動休止に、せめてデビューが高校卒業と同時であったならばと思わずにはいられなかった。そして、彼女は芸能の世界には帰ってこないのだろう。獏と思っていた。
だが、その後。彼女は思いがけず舞台俳優として復帰した。大地真央さんが彼女を舞台に引っ張りだしたと聞いた時には驚いた。
昔の日記を読み返していたら、実は復帰後の彼女の舞台を観ていたことに気が付いた。
2007年の「夏の夜の夢」と「ウーマン・イン・ホワイト」。
だが、その時、彼女を私は殆ど覚えていない。特に「ウーマン・ー」はメインキャストであったにもかかわらず、記憶にそこまで残っていないのだ。
彼女が演じていたローラは役そのものよりも、歌の高音域が難しい役で、当時の日記に「高音を頑張って何とか出している」「芝居はこれから」と記していた。
そして、再び彼女の名前が世間に大々的に出たのは2009年「レ・ミゼラブル」のコゼットだった。
忖度なしのフル・オーディション作品に彼女の名前を見つけたとき、我がことのように嬉しくなった。
「沙也加さんはミュージカルの世界で生きていける。きっと。」
キャスト発表時の日記にそう書いている。
でも、私が彼女のコゼットを観ることはなかった。
「レ・ミゼラブル」は私が人生で初めて観たミュージカルだった。滝田栄さんがジャン・バルジャンで、鹿賀丈史さんがジャベール、そして島田歌穂さんがエポニーヌ。
この3人は私にとって「レ・ミゼラブル」そのものだった。
2001年の公演を最後に3人が「レ・ミゼラブル」を卒業したのと同時に、私も日本の「レ・ミゼラブル」観劇から卒業した。ロンドンの25周年コンサートだけは観に行ったが、それを最後にー大ファンのラミン・カリムルーがバルジャンを演じた時でさえ観ていない。
最後に観た鮮やかな記憶を上書きしたくなかったからだ。
そして、沙也加さんの舞台で、未だに観に行かなかったことを後悔しているのがコゼットである。
大役が続いた後、劇団☆新感線の「薔薇とサムライ」でポニーを演じるのを観たとき、ひどく安堵した。
プリンシパルキャストではあるものの、そう出番は多くないポニー。
とても。とっても楽しそうに、芝居をしていた。
歌って、演じて、目をキラキラさせていた。
ポニーの歌唱はミュージカル歌唱というよりも、アイドル歌唱に近く。彼女がデビューした頃を思い起こさせるものだった。
沙也加さんが楽しそうに歌う姿に心底ほっとしたのだ。
アイドル時代の自分も受け入れて、それを武器にできるようになった。あぁ、彼女はこの世界で生きているし、生きていくんだなと思ったら嬉しくて涙が出てきた。
橋本じゅんさんと歌っているシーン、古田新太さんとの掛け合いー
「薔薇とサムライ」を観劇したその日以来。
俳優・神田沙也加を二世と思ったことは一度もない。
私自身がアニメを見ないので、彼女が声優の世界で活躍していることはよく知らずにいたが、「アナと雪の女王」でアナ役を射止め。
その後の彼女の活躍を知らない人はいないだろう。
好きだった作品はと問われれば「ダンス・オブ・ヴァンパイア」と「キューティ・ブロンド」を挙げたい。
特に「キューティ・ー」は彼女が待ち望んでいたに違いない、代名詞となる作品だった。彼女はインタビューで主人公「エルは自分とは全く違う」とそう言っていたけれども、エルは等身大の女性で、それを演じる神田沙也加があまりにも魅力的だった。
そして、彼女は大劇場よりも観客との距離が近い少し小さめの箱で細やかな芝居を届ける方が好きなのかもしれないと思ったのもこの作品だった。
彼女がいなくなって、友人から最初に来たメールは「彼女以外のエルを考えられない」だった。私も同じ思いだ。
マルチに活躍する彼女を舞台で観られる機会はそう多くはなかったが、そんな彼女が今年は立て続けに舞台に立った。
「ローズのジレンマ」、「王家の紋章」、そして
「マイ・フェア・レディ」
世の感染状況もあり「ローズのジレンマ」は諦めたが「王家の紋章」と「マイ・フェア・レディ」は拝見できた。
30歳も半ばになった沙也加さん。
よく膨らむかわいいほっぺたをこれでもかと膨らませ。反抗してみたり喧嘩をしたり。その動きはどこかアニメのキャラクターのようでもあった。
実年齢よりはるかに若い16歳の少女や20歳前後の女性を、一歩間違えればあざとさを感じさせてしまうそれを、絶妙なバランスで演じていた。
彼女の努力に外ならない。
11月19日ソワレの帝国劇場。
「マイ・フェア・レディ」を前方ど真ん中の席で観てきた。
チケットを取ってくれた友人から、神田さんの声の調子が本調子ではないとは聞いていた。彼女のベストの歌声を知っている者としては確かに少々物足りなかったのも事実だ。
だが、表情豊かに舞台を動き回る彼女は、間違いなくイライザ・ドゥーリトルだった。
帝国劇場のゼロ番に立つ彼女を観るのは初めてで。そして、これが最後となってしまった。
貴女が歳を重ね、どんな役者になっていくのかを観たかった。
どんな可愛いおばさんになって、おばあちゃんになってー
どんなコケティッシュな、どんな意地悪な、どんな魅力的な役を演じてくれるのか。
今、この記事に貴女のポスターの写真を入れたツイートを探そうとしてー涙が零れて仕方がない。
貴女の写真を涙なく見るまでにはーきっと、まだまだ長い時間がかかるだろう。
「話すのも、人前に立つのも本当は得意じゃないんです」
「王家の紋章」の東京千秋楽の日、貴女はとびっきりの笑顔を浮かべて、大きな目を細めながらそう言っていた。
主演の浦井さんはじめ、劇場にいる誰もが「ええっ」と驚きを隠せなかった。そして貴女はこう続けた。
「キャロルになれることが嬉しくて、色々(演技で)企むことができて、そういう感覚になったのが本当に久しぶりで」
貴女の舞台を観た人は知っている。
貴女がどんなに舞台のことが好きで、演じることが楽しくて。
楽しいからこそ、歌も演技も絶対に妥協したくなかったことを。
しっかり対峙していかなくては演じられないような役が大好きで。
覚悟をもって舞台に立っていたことをー
強烈なガッツと努力をもって役に挑んでいたことをー
貴女の舞台を一度でも観たことがある人はちゃんと気が付いていたよ。
ブログに残る貴女の言葉や文章はひとつひとつが誠実で。
特に舞台についての思いを語る貴女の言葉が好きだった。
貴女の演じる役が、舞台が好きだったとー
舞台の上で活き活きと自分とは異なる人の人生を生きる貴女が大好きだったよと。
空にいる貴女に伝えたい。
あの日にかえることが叶うならばー
私は赤の他人だけれど。
アナのように貴女の部屋の扉をたたいて、雪だるま作ろうって外に連れ出して、イライザのその口にチョコレートをひとつほうりこんであげたい。
神田沙也加さん、素敵な時間をありがとう。
I miss you.
沙也加さんが亡くなられて。
様々な情報をシャットアウトしていた時。
私が大地真央さんのファンだと知っている友人が、大地さんのインスタグラムに沙也加さんの追悼コメントが掲載されていると連絡してくれた。
覚悟を決めて、そのリンクを開いてー
大地さんが掲載して下さった沙也加イライザのアスコットドレス姿に涙が止まらなくなった。
ねぇ、かわいいイライザ・ドゥーリトル。
貴女にはね、心から出た、とびっきりの笑顔がやっぱり似合うよ。