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ミュージカル俳優・小瀧望さん -DEATH TAKES A HOLIDAYに寄せて-

 近い将来、日本のミュージカルの主演ボードの大確変が起きるかもしれない。
 これほどの逸材が、いったい今までどうして隠れていられたのだろうか。
 STARTO社所属の小瀧望さんである。

 彼のことは「検察側の証人」「エレファント・マン」といったストレートプレイで観劇しているが、感想ノートにはストーリーや演出に対する感想はあれど、主演の彼に特別に何かを言及することをしてはおらず、記憶を紐解いてもさしたる印象が残っているわけでもなかった。
 誤解を恐れずに言えば演技は悪くないが無難でもあり、主役ではあるが美味しい役とは言い難く。それ故に、美味しい役を怪演する舞台を主戦場とする百戦錬磨の共演者らに喰われていた。

 彼のミュージカル初出演作である「ビューティフル・ゲーム」は瀬戸山美咲さんがミュージカルをどう演出するのか、そして木下晴香さんを拝見したいとチケットを申し込んだものの落選。
 今回の「DEATH TAKES A HOLIDAY」も先行には悉く敗れ、友人が一般発売で何とかもぎ取ってくれた3階席からの観劇となった。

 梅田芸術劇場による版権購入作品、宝塚初演を経ての梅芸再演作である本作は、21世紀に誕生した作品でありながら物語の筋から音楽構成、ショーシーンに至るまでどこか懐かしいオールドブロードウェイの香りを纏う作品だ。
 非現実的な物語を表現するのにポップさは不要であり、クラシカルな音楽に男声は低く、女声は高く設定された音域の心地よさがある。

 演出家は宝塚版と同じ生田大和さん。
 ファンタスティックな音楽にはそもそも楽器構成的に低重音の支えがないことが魅力だった。宝塚版においては女声の下支えとして低重音が追加されたことに些かの不満を抱いていたが、その点は男声が存在することで解消されていた(それでも英語と日本語、西洋人と日本人の骨格の違いによる響きはこんなにも違うのだと感じる面白いケースだった)。
 また、宝塚における上演時間にかかる制約や主演制度のために無理をしたのではというシーンは演出変更がなされていたためすんなりと受け入れることができた。ただ、死神=サーキのコアとなる物語が1幕であらかた終わることから、2幕のショーアップやサイドストーリーを手厚くしたとしても物語の面で冗長となる点はやはり変わりなかった。

 私がnoteを書くときは、作品や物語の世界や演出に圧倒される、Xの短文ではミスリーディングになるが語りたいものがあるなどの何らかの「きっかけ」がある。書き記すにはそれなりの時間とエネルギーが必要だからだ。

 本作のストーリーそのものは古典的で、物語性について特筆すべきものが抑々ない中で、今回の演出は及第点、それ以上でもそれ以下でもないと私は感じた(私自身は、ジーン・ケリーやフレッド・アステアのミュージカル映画がミュージカル好きとなった原点にあり、べたべたともいえる古典的作品が大好きである)。
 個別のシーンや演技などで響いたものはあるが、作品そのもの等について熱を持って言及できるものは残念ながら多くはない。

 クラシカルな空気感は活かしつつテンポアップさせた演出ではあったものの想像の域に収まる、"so, so"といった程度のものだった。
 大箱の演出としてセットの使い方は良かったし、衣装もよく考えられている。ダンスシーンでの平舞台をしっかり使う構成自体は良かったと思うが、照明プラン含め、わずかに引き算をした方が舞台はより鮮やかに活きたと感じているし、そもそものミュージカルの構成を考えても弛緩するシーンが存在するからである(なお、照明がここまで明るい中で転換するステージングにするのであるならば、転換スタッフを屋敷の使用人に扮させる程度の衣装を用意するべきであろう。)。

 それでも、noteを認めるに至ったのはサーキこと死神役の小瀧望さんのミュージカルに主演する俳優に求められる圧倒的な主役としての力量を目の当たりにしてしまったからである。

 ブロードウェイ版からは一段低いところから始まる死神第一声の正調ミュージカル歌唱のバリトンが3階席めがけてまっすぐに飛んできた。
 声に鷲掴みにされたのだ。

 「へぇ」や「おっ」という感心ではない。
 「あれは誰だ」という衝撃である。

 明白に死神とわかるビジュアルから小瀧さんであることは疑いようもないのに思わずオペラグラスを覗き込んだ。
 生歌唱ではなく録音ではないのか。死神パートは誰か異なる人が歌を吹き替えているのでは、マスクの下の人物はひょっとして異なる誰かなのではなどと…そんなことを思ってしまうほどだったのだ。
 小瀧さん自身の歌声を私自身聞いたことがなく、またストレートプレイで台詞を口にしていた声を思い出そうにも思い出せなかったのだ。

 大変申し訳ないが、STARTO所属タレントにこれ程見事なミュージカル歌唱ができる者がいるとは思いもしなかった。また、ポップスを主戦場とする人特有の歌唱を想像していたが故に受けた衝撃は相当なものだった。
 マイクのエコーを差し引いても腹式呼吸から放たれる声は紛れもなくミュージカル俳優に期待される歌唱であった。ビロードのような滑らかな声は死神のエコーによってエリザベートのトートを想起させる。
 びりびりと会場の空気が震えるところまであと僅か、手が届きかけている歌唱に衝撃を受けた。空気を震わせるというのは一定以上の声量が必要だが、声量だけではどうにもならないし、声が大きければいいというものではない。役者自身から発せられる感情の伝播なしには成立しない。

 ポップスを歌う人にとってミュージカルの歌唱は困難の連続だと思う。
 ポップス歌手として成功していること、ポップスの歌唱が上手いこと、ミュージカルの歌唱が上手いか、ミュージカルにおいて魅力的な俳優となりうるかは全く異なる象限にあるからだ。
 逆もまた然りである。

 実際、STARTO俳優でミュージカルに出演する者は多いが歌唱に悩む姿を見ることが多い。もちろん、ミュージカルは歌唱だけではないので、その一点で評価が決まるわけではないが、歌のある演劇であるが故に歌唱の印象は作品のクオリティに大きく影響するし、評価において占めるウェイトが大きいのも事実だ。

 ミュージカルにおいて、役の感情表現は楽譜に忠実に現れる。同じメロディの繰り返しの中での転調、半音の上げ下げ、テンポのコントロールだけで役の感情が語られるものが多い。だからこそ楽譜の通りに歌えるというのは最低限俳優に求めたいポイントである。
 そういった音程などの正確性に加え、その役者が演じる事に意味のある役作りをして欲しいと望まれるわけだからミュージカル俳優というのは大変な職業である。
 舞台に立つことが決まり、声楽の基礎を学んだが故に歌唱法の違いを意識し過ぎて道を見失う者や、まわりまわって自分の主戦場たるポップスを基調とした歌唱を多く観てきた。

 ただ、私自身が声楽的基礎を持ったミュージカル俳優が好きなものだから正調歌唱をどうしても期待したくなる。結果的に、STARTO社俳優の主演ミュージカルは観劇の選択肢が多いときには劣後しがちでもある。
 まして「DEATH TAKES A HOLIDAY」のようなクラシカルさを持ち合わせた演目であればなおさらだ。

 小瀧さんの第一声はクリスティーヌを誘うファントムやトートのようなまろやかで優美さを感じさせるものだった。隣に座る友人に至っては山口祐一郎さんを感じたとまで言わしめた。
 死神に求められるクラシカルな歌唱に挑み、しっかりとものにしていた。勿論、声楽的な技術は完璧ではない。ただ、あらゆるものが求められるミュージカル俳優として必要な歌唱技術の基礎がしっかりとできていた。

 ワンブレスで蓄えられる空気量がまだ少ないが故に言葉数の多いフレーズ、特に"IN THE MIDDLE OF YOUR LIFE"などのハードワークが求められる楽曲でブレスを聴かせないために腐心し、それでもどうにもならないジレンマを抱えている点は見えてしまうが、そのブレスによって観客の意識が遮られることはなかった。
 なお、"IN THE MIDDLE~"は英語でもビジーな楽曲であるのに、日本語になってさらにビジーになり、初演以降に追加された新曲の所為で作品自体に更なるテンポアップが求められた結果、死神がハードワークを強いられているという楽曲/作品そのものの構造的問題点には言及したい。

 彼の声は力みのない優美さがあり。甘いバラードを嫌味なく聴かせられる古風さを持ち合わせていた。
 そういったクラシカルさはミュージカル俳優でも持つ者は多くない。

 サーキが死神としての顔を見せグラツィアの父であるヴィットリオを脅すシーンなどにおいてもスムーズに声が移行していく。

 今回はチケットがとにかく取れず、3階席からの観劇となったが、オペラを覗かずとも声の揺らぎだけで伝わってくる感情があった。"MORE AND MORE"のロングブレス途中からかかるビブラートにゾクゾクさせられた。
 その先にある感情をさらにのぞいてみたいと思わせるものがあり、照明などの演出も含めてみたいというのに、オペラグラスをついあげたくなる。
 感情の起伏を抑えた形で演じた死神とサーキは葛藤はあるものの、比較的演じやすい役ではあると思う。それ故、この役をもって彼の演技力を判別しかねるが、3時間、彼は死神であり続けたし、彼の演技で現実に引き戻されることはなかったので、サーキの葛藤や心の揺らぎを観客として見守り続けることができた。
 歌唱と演技の間に齟齬がないことも心地よく観劇ができた理由のひとつだと思われる。

 なお、私自身が好きで聴いてきたKevin Earlyの死神はもう少し人間を感じさせる役作りでそれはそれで好きである。そして、Kevinの死神も彼自身の声と役作りがあっているから好きなのだとも思っている。

 また、自我を捨てきれない歌唱は役があるミュージカルでは興を削がれるのだが、2幕の大ナンバーでもある"ONE MORE DAY"や"MORE AND MORE"においても清々しいほど役をまっとうしていた。
 難しい音程をよくコントロールしながら声量の配分とブレス位置を気に掛けるだけの余裕と冷静さもあった。
 独壇場ともいえるシーンであれだけ歌えてしまうと気持ちよくなって自己顕示の欠片が見える役者もいるが、小瀧さんはあくまでもサーキであった。

 死神やサーキは比較的演じやすい役と前述したが、演じる技術という観点では、コメディタッチのシーンでの身体の駆使の仕方が絶妙であった。
 例えば、1幕でサーキとして最初に歌唱する"ALIVE!"はサーキ本人にとってはいたって真面目な驚きを表現するシーンだが、観客に対しては死神が人間としてふるまっていることの面白みや可愛さを感じさせる必要がある。
 彼の足の運び方や上半身の残し方というのが、古い時代のミュージカル映画においてジーン・ケリーやフレッド・アステアが得意としていた、あのコミカルな動きが舞台上で上手く表現されているのだ。その動きが既にできていること自体、すでにすごいことなのだが、もう少しメリハリを付けられる余裕がありそうなので、さらに良くなる余地がある点も期待したくなる。
 肘を肩の高さまで上げてしまってはコントになって空気を壊すし、かといって低すぎてはクスリとも笑えないといったところで、肘が絶妙な位置にすっと上がる心地よさには破顔せずにはいられない。
 なお、声楽的な歌い方を主軸にしたが故に、"ALIVE!"における軽妙な歌唱のーそれはおそらく、本来小瀧さんが主戦場とするポップスでは当たり前に歌えているであろうーはねるように表現できる部分が比較的落ち着いたものとなってしまっていたので、1つの芝居における歌のジャンルごとの歌い分けは次回への課題となりそうだ。

 苦悩を歌う時の前傾姿勢や手の振りかざし方も美しく、大空間を埋めるため技術、それも美しさを維持しつつ激情を外走らせる表現もできていた。
 立ち方の工夫やスーツの着こなし、感情を露わにした時の足の運びなどはもうひと声と思うが、もはやこればかりは、経験であり。ステージに立って感覚を得続けることでどうとでもなるものだろう。
 余談だが、ロングコートやマントといった扱いの困難なものを難なく捌くセンスには最早脱帽であったし、死神が大げさに振る舞うシーンでの長い袖のコントロールにはいかんとも表現しがたい笑いさえ零れてしまった。だからこそ、肩甲骨の位置ひとつ、大腿骨コントロールひとつで綺麗になることが明白であるスーツの着こなしをもったいなく感じている。

 タップダンスは初挑戦とのことで、本作の中で彼に余裕が最もないシーンではあったように見受けられる。だが、基礎はしっかりとできており、そこまでできているのであれば、更なる+αを積み上げられそうでもある。
 目線をわずかに上げ。あと0.1秒足を早く降ろせたなら、0.1秒静止してタメを作れたなら、2センチ遠くを滑るように動かせたなら、ジャケットを意識して胸を少し開けたならば…空間を一段強く支配し、彼の一挙手一投足の全てに視線を集めることができるようになるであろう。
 むしろそのようなことに言及したくなるくらいの基礎力があり、小さなポイントの改善でグッと良くなることがみえているということ自体、恐るべきことである。
 恵まれた体格が広い舞台で存在感を放つ存在感は見事としか言いようがない。

 台詞も歌唱も相手とのキャッチボールが成立しているので上滑りすることがなく、耳に入ってきたし、口跡も滑らかで澱みがなかった。
 山下さんや美園さんという歌唱力に定評のある相手とどこまでデュエットが出来るだろうかと不安に思っていたが、心地の良いデュエットはサーキとグラツィアの魂が呼応していることを感じさせるほどに相性も良かった。

 小瀧さんは声楽を学んだわけでも、舞台を主戦場にしているわけでもないのでまだまだと感じる部分はいくつもある。
 でも、魅力的な声の質、歌唱力、長身で舞台映えする美しいスタイル、間の取り方、役としてタップを踏めるだけのダンス力、舞台での魅せ方、自分と役を両立させる力ー

 物語としてはツッコミどころのあるリアリティのない作品に役者自身を最大限に投影し、そのアラを吹き飛ばし、作品をそのものを楽しませるという主演俳優に求められるものを彼は全て持っていた。
 「DEATH TAKES A  HOLIDAY」という非現実的な物語の世界に観客を強制することなしに連れて行った小瀧さんの力量は見事であった。
 ポテンシャルが高い=伸びしろがあるだけではなく、現時点でミュージカル俳優を標榜できるだけのエグゼキューション能力が備わっており、それを実践することができているのだ。

 数多の次世代のミュージカル界のプリンスと言われる俳優を所属事務所問わず観てきたし、それぞれに魅力も感じている。
 だが、一声で観客を鷲掴みにする魅力的な声と圧倒的な華を持った、さらに体躯にも恵まれた小瀧さんのような正統派の空気を纏う俳優はそうはいないのだ。
 バックグラウンドも方向性も異なれど、舞台(役の面)において井上芳雄のポジションを担える可能性があると感じた若手は初めてなのである。
 彼がネクストプリンスの筆頭に躍り出る日はそう遠くないかもしれない。

 ストレートプレイもミュージカルも観る友人との幕間、そして終演後の感想戦ではミュージカルでの新人について、ここまで語り合うのは初めてでないかという熱量で会話をした。
 興奮をそのまま、勢いに任せてXに投稿したところ、ミュージカルが好きな友人たちから興奮気味な連絡がいくつもきた。周囲にSTARTO演目を見る人が多くないが故、自分たちが観たものに対する衝撃を咀嚼しきれずにいる人が多かったのである。
 皆の口から「あの役もこの役もできそう」と澱みなく出てくる役は古典からポップな新作、ブロードウェイやウエストエンド、ウィーンに韓国とバラエティに富んでいる。

 舞台においては3時間を駆け抜けるために、体力を上手く分散させなくてはならない。だか、この分散は全ての役者がするものであろうが「今、力を抜いて演技をしているのだろうな」と分かってしまうことが良くある。もっと歌えるが、ここをセーブしないと終盤で息切れするから軽く流しているのが伝わってしまああいうケースだ。
 その瞬間、我々は現実世界に引き戻されてしまうのだ。

 「DEATH TAKES A HOLIDAY」の死神とサーキは出番が多い。そして、歌唱の多さ、連符の多い複雑な歌、ダンスと求められるものの水準がすべてにおいてハイレベルだ。
 だが、これだけ過酷な要求が為されているにもかかわらず、小瀧さんにはハードワークを感じさせない余裕が感じられたし(実際全く余裕はないと思うが)、力をコントロールしていても全てに全力であるようにみせることまでできていた。
 これは自身を正確に知り、演技をしながらも舞台全体を俯瞰し、冷静に判断する力がなくてはできないことである。


 今は、3階まで伝播してきた小瀧さんに感じたものが何であったかをもう一度、それも早く確かめたくて仕方がない。

 サーキという役が小瀧さんという出会うべき人に出会ったのは確かである。そして、小瀧さんのミュージカル俳優としての力量が想像のはるか上をいくものであることも。
 ただ、小瀧さんに似合いすぎている=当たり役であることも強く感じているので、正確な判断を現時点では下せないと思っている。
 感情表現が一段複雑な役を、ストプレ・ミュージカル問わず、もうひと作品、とにかく早くみせて欲しい。

演技とはいつかなり得た自分になること(蜷川幸雄)
役とは本人と役が歩み寄って作り上げるもの(ジョン・ケアード)

 一見、方向性が異なるように聴こえるがが本質的なところで同義であるふたりの演出家の言葉が私は演劇において俳優が担うべき役割を最もクリアに示しているものだと思っている。
 彼が自分を殺さずに演技をできる人なのか、つまり役に染まり切るのではなく、小瀧望が演じる事に意味のある役の人生を生きる=演技ができるのかをこれからの舞台で見たいのである。

 なお、これだけミュージカルができるとなると、舞台に頻繁に立つことのないSTARTO社俳優はストプレよりもミュージカルが優先されるだろう。
 ただ、小瀧さんがここまでの演技ができていることは森新太郎さんや瀬戸山美咲さん(彼が受けたのはミュージカルの演出だが、瀬戸山演出の真骨頂はストプレにある)の演出を受けた経験があるからだとも感じている。
 なので、是非、ストレートプレイにもきちんと出て、役の幅を広げていって欲しい。

 余談だがSTARTO社俳優にとって、主演以外を引き受けないというのが実は俳優自身のキャリアにとって一番の足枷になっていると思う。
 多忙な彼らにとっては主演以外の選択肢はないのかもしれないが、京本さんのようにグランドミュージカルでプリンシパルのひとりを演じるようなケースが増えることは、本人の長いキャリアにとってとても大切なことだ。

 今回、小瀧望さんに感じたもの。
 それは、10数年前にオフブロードウェイの小劇場で、今は大スターとなったアーロン・トヴェイトを初めて観た時に感じたワクワクしたあの気持ちに同じで。
 未完の大器と出会ったのではというドキドキ感に。小瀧さんが進むであろうこの先の道を思い浮かべて破顔せずにはいられない。

 声が完成される35歳ぐらいまでにいい役を沢山して欲しいし、ボイストレーニングを重ねられたなら。
 そして、ミュージカルファンのひとりとして、この世界で小瀧さんが50歳、60歳になっても長く活躍して欲しいという観点で。
 主演以外であっても、いい作品や美味しい役をものにして、ミュージカル界のトップスターや名役者と呼ばれる先輩に出会い、表現の幅を広げて行ってくれたならば。

 日本のミュージカル界の主演キャスティングボードは大きく変わるかもしれない。

スタッフ
作詞・作曲:モーリー・イェストン
潤色・演出:生田大和(宝塚歌劇団)

出演
死神 / サーキ … 小瀧望
グラツィア … 山下リオ / 美園さくら(Wキャスト)
エリック … 東啓介
コラード … 内藤大希
アリス … 皆本麻帆
デイジー … 斎藤瑠希
ヴィットリオ … 宮川浩
ステファニー … 月影瞳
ダリオ … 田山涼成
エヴァンジェリーナ … 木野花
フィデレ … 宮下雄也
ロレンツォ / 飛行教官 … 西郷豊

アンサンブル
伊藤彩夏、井上弥子、岡施孜、蟹々々エミ、上條駿、熊澤沙穂、篠崎未伶雅
鈴木亜里紗、高瀬育海、長澤仙明、丹羽麻由美、武藤寛、安井聡、吉井乃歌 (五十音順)
スウィング
木村遊、村田実紗

ストーリー
これは、人類が史上未曾有の“死”に取り憑かれた第⼀次世界大戦の悪夢から覚め、“狂乱の”1920年代が始まって間も無い頃の物語……
深夜、イタリア北部の山道を“飛ばして”走る⼀台の車があった。
乗っているのはランベルティ公爵⼀家。一人娘グラツィアの婚約をヴェニスで祝った帰りなのだ。だが⼀家を乗せた車を悲劇が襲う。突如現れた“闇”にハンドルを取られた車がスピンし、グラツィアは夜の闇へと投げ出されてしまうのだった……!

……大事故に遭ったにもかかわらず、まるで何事も無かったかのようにグラツィアは無事だった。彼女の無事に安堵する⼀同。
しかしグラツィアは、自身に“何かが”起こったと感じていた。

同じ夜遅く、死神がランベルティ公爵の元を訪ねる。
一人孤独に、死せる魂を“あちら側”へと導き続ける事に疲れ果てた死神は、二日間の休暇を公爵⼀家と共に過ごす事にしたのだが……︕

会場
東急シアターオーブ(渋谷ヒカリエ11階)

[主催]
梅田芸術劇場/東京グローブ座

[企画・制作]
梅田芸術劇場
[協力]
宝塚歌劇団

出典:公式ホームページ

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