WIZARDRYで遊んでいたらWIZARDRYを作ることになった話
あなたが少年少女だったころ、夢中になっていたものは何だろう。
ある人は、野球やサッカーなどのスポーツを挙げるかもしれない。
またある人は、アニメや漫画や小説を挙げるだろうか。
そして大人になって、少年少女だったころ夢中になっていたものを「仕事」とし、「プロ」などと呼ばれるようになった者を、世間では一般に、
〔 夢をかなえた人 〕
などと言うわけなのだが。
実際そうなってみると、何と言うか……不思議な感じだった。
少なくとも「夢をかなえた人」という言葉が持つキラキラしたものは、そこには無かったように思う。
あるのは、不思議な納得感。
そうか、Dreams Come Trueって、こういう景色なのか、と。
遠くから虹を見ていた時と、実際に虹の袂まで来た時に見える景色の違い、とでも言えばいいのか。それはとても腑に落ちるものだった。
14歳の僕を夢中にさせたもの
〔ウィザードリィ〕との出会いは、14歳、中学2年の冬。
二つ年上で仲のいいお兄さんが〔ウィザードリィ2 リルガミンの遺産〕というファミコンゲームを買ったのである。
端から見ていた僕は「なんてクソつまんねぇゲームだ」と思っていた。
すでにドラクエ1~3が大ヒットを飛ばしたあと。僕自身もアレフガルドの危機を幾度となく救ってきた勇者であったので、RPGというゲームがどういうものなのかは当然わかっていた。めちゃめちゃ大好きだった。
でも、このウィザードリィとかいうヤツはダメ。1ミリも心惹かれない。
変化に乏しい画面。いつまでも壁と扉しか出て来ない。自分の操るキャラにはグラフィックもなく、能力値やHPなどの数値と名前があるだけ。主人公らしいものもいない。地下迷宮に潜って行ったり来たり、ぐるぐるうろうろしながら散発的に現れるモンスターと戦っているだけ……。
遡ること一ヶ月ほど前、お兄さんはこの年のお年玉を使ってどのゲームを買うか悩んでいた。そして僕も意見を求められたのだ。
この時点で候補は二つに絞られていて、ひとつは〔ゴジラ〕。横スクロールタイプのアクションゲームである。もうひとつが〔ウィザードリィ2〕。当時お兄さんの愛読紙であったゲーム情報誌〔ファミコン必勝本〕が熱烈に推していて、なんだか面白そうだ、という。
僕はウィザードリィに反対した。1とばしていきなり2を買うのもどうなのよと。そしてゴジラを推した。それはもう熱烈に推した。
でも、お兄さんはウィザードリィ2を買ったのだ。解せぬ。
そうしたわけで、僕はお兄さんが遊ぶウィザードリィ2を端から見ていることになったのだが、その視線は南極のブリザードなみに冷めきっていたと思う。しかしお兄さんはすこぶる楽しそうだった。控えめに言ってもめっちゃハマっていた。意味がわからなかった。
いやマジでさ、このゲーム、いったいどこが面白いん?
「自分でやってみればわかるよ」
とお兄さんは言うのだが、俺はどうしてもそんな気分になれない。
だって ↓ これよ……? 見た目だけでこの差やぞ……?
お兄さんは俺の中で「ゲームが超うまくてセンスのある尊敬できる人」という位置付けだったのだが、この時ばかりは錯乱したかと思ったよね。どう考えたって選ぶならゴジラ一択でしょ。
しょうがないのでゴジラは僕が自分の小遣いで買った。なかなか良く出来ていて、玉石混淆だった当時のFCソフトの中では確実に当たりだった。
しかし、数ヶ月後。
ウィザードリィに対するこうした評価がひっくり返るときが来る。
中学三年になったばかりの春。同級生の友人が「これめっちゃおもろいから読んでみ?」と、一冊の小説本を貸してくれたのである。
そう、アレだ。〔隣り合わせの灰と青春〕だ。
いやあ、当時本のプレ値すさまじいな……閑話休題。
この〔隣り合わせの灰と青春〕によって、当時の永元少年は「小説というモノに対する認識」を根本から改めることになった。すなわち文字ばかりで読むのが苦痛で学校の授業でムリヤリ習わされるものから、場合によっては映画やマンガより面白く何度も何度も読み返してしまうものになったのだ。
あまりに何回も読み返したものだから、友達から本を借り続けるのも申し訳なくなって自分で同じ本を買った。そしてまた何度も何度も読み返した。今でも宝物のひとつとして永元家の本棚に収まっている。そのくらいこの作品は当時の自分にとって衝撃だったのである。
何がそんなに衝撃だったのか?
シンプルに面白かったということもあるけれど、この小説がゲームを原作とするノベライズ作品であり、よりにもよってあのつまんなさそげなウィザードリィが大元ということなのよ!
────自分でやってみれば、わかる。
お兄さんはそう言っていたが、当時の永元少年はまだ半信半疑。あのショボくて地味なゲームの中に〔隣り合わせの灰と青春〕ほどの物語が詰まっているなどとは到底思えなかった。だが僕は好奇心を抑えられなかった。自分もスカルダみたく侍になってジャバやガディやサラやベリアルと一緒に迷宮に潜ってナックラーヴから村正を奪いグレーターデーモン相手に戦ってみたい。その気持ちが高まる一方。
ちょうどその頃、日本で初となるTRPGブームが起きつつあって、僕の仲間うちでも〔Dungeons & Dragons〕(D&D : いわゆる赤箱)を遊び始めていたのだけれど、設定から挿絵から何から何まで緻密に作られたD&Dのルールブック群は本当に輝いて見えたものだ。この経験もウィザードリィに対する興味を強力に後押しした。
そう。この時の僕にとって、アメリカ製のファンタジーは「本家本元」とも言うべき最高にアツい存在だったのだ。ドラクエやFFのように日本人の子供に向けたアレンジが加えられていない、剣と魔法の骨太な冒険譚。ウィザードリィもきっとそういった「本格派」なんだろう。ぜひやってみたい!
とまあ、こうした想いを教室で熱く語っていたら、一人のクラスメイトが「うちにウィザードリィ1があるよ、今ほとんどやってないから貸してあげようか」と言ってくれまして。謹んでお借りしました。当時の俺は人の縁に恵まれていたね。マジでツイてたとしか言い様がない。
そうして、僕は〔ウィザードリィ1:狂王の試練場〕を遊び始めた。
○
はっきりいって。
〔ウィザードリィ1〕の中には、〔隣り合わせの灰と青春〕のような、心躍る物語はなかった。
ただ迷宮があり、敵が出てきて、奴らは宝箱を落とし、そこから稀に強い武器が出てくる。ラスボスのワードナなんてお飾りみたいなもので、ヤツをブチのめした証を王様のところに持って帰っても、キャラ名の脇に「>」という記号がつくのみ。「この階級章を誇りをもってつけるがよい」とか言われてもだな。その。困る。
だがしかし、それでいいのだ。だからいいのだ。
このシンプルなゲームを元に〔隣り合わせの灰と青春〕の物語を書き上げた著者のベニー松山氏は、一種の天才だったのだろうと今でも思う。が、ウィザードリィのプレイ中に僕自身の頭の中で繰り広げられる物語も、僕にとっては唯一無二の面白さを持つ特別なものだった。
そう。ウィザードリィというゲームは物語をただ与えられるものではなく、物語を自分で作り出す装置だったのである。
迷宮という「舞台」があり、モンスターという「仇役」がいて、ラスボスを倒すという「目的」がある。そこでどう立ち振舞うか、どんな想いを抱いてどんな台詞を発するかは遊ぶ自分が自由に決めていい。迷宮に潜って幻視することになる物語は、唯一無二、自分だけのオリジナル。愛着のあるキャラが死に、蘇生に失敗、消滅、二度と返らぬ戦友を想い慟哭することすら含めて!
────自分でやってみれば、わかる。
うん、なるほど確かにその通り。ウィザードリィというゲームは端から見ている印象と実際にプレイしている時の印象に天と地ほどの落差があった。
迷宮の中で起きていることを、他人事として脇から眺めているだけでは、このゲームの「真の姿」はわからない。ゲームから与えられる情報はイメージを膨らませる“きっかけ”にすぎないのだ。
そして、ゲームから与えられない情報は自分の想像で埋めていく。いや、埋めようとしなくても勝手に埋まってしまうのだ。喩えるなら、丸をふたつ描いてタテとヨコに線を2本引けばヒトの顔に見えてくるように。キャラの名前というラベルでひとまとめにされた能力値や装備品のデータが、自分の想像力を引き写した生身の人間に見えてくるのだ……!
その「コツ」に気付いてしまえば。
WIZARDRYというゲームは、もう、ただのゲームではない。
中世ファンタジー世界に全感覚を没入させ、ここではないもうひとつの世界へ誘う【 転送装置 】へ「化ける」のである。
○
「……いよォ、戻ったか、リーダー。待ってたぜ」
「悪い、部活でな。もうじき大会だからさ。三年生最後の大会だし」
「うちのサムライ様は、現実でも剣士様か。大変だねェ」
「ねえ、今日も行くの? 地下10階」
「行くしかないだろ、手に入ってないものがまだまだ山ほどある」
「ヤバいと思ったら逃げりゃいいさ。その見極めはしてくれンだろ?」
「それが僕の仕事だからな。……さ、行くぞ」
そんな会話が、文字しかない上の画面から聞こえてくるのよ。
何かと夢見がちな想像力過多の中学生だから……というわけでもなく、還暦を過ぎた著名な作家・翻訳家の先生でも、80年代当時ウィザードリィにハマっていたときは同じ状態だったらしい。よいしょ、よいしょ。
なんだかヤバい薬を奨める売人みたいになってきたが、病みつきになって何度も何度もウィザードリィを遊んじゃうことを指して合法デジタルドラッグという表現をしていた人も実際いたんだよね。言い得て妙だと思う。たしかに幻覚は山ほど見てたよ。健康的かつ合法的に。
それから35年が経ちまして
そうして〔ウィザードリィ〕と出会った僕は、14歳の春から今日に至るまで……FC版の1、2、3、PC版の#1、#4、#5、SFC版#6、外伝4、PS版リルガミンサーガ、DIMGUIL、BUSHINなどなど、同シリーズを遊び続けることになる。自力でクリアできず投げちゃったものも多いけれど、そんなことまで含めて良い思い出。
中でも特に思い入れが深いのは、やはりASCIIのFC版アーリーナンバーだろう。普通なら適当なところで飽きて終わるところ「ほどよく忘れたのでイチからやりなおし」みたいに延々と続けてましたんでね。ハードがダメになってもエミュレーターを入手したりして、今でもプレイしようと思えばすぐできる環境を維持し続けていたり。
自分にとってのウィザードリィはもはや、ハマるだのハマらないだのというレベルを越えて欠くべからざる人生の一部と化してしまったわけだ。あるいは一種の持病と言い換えてもいいね。
ただ、その「持病」は、2010年ごろを境に大きな変容を見せた。
少なくとも、少年時代から何度も何度も繰り返し遊び倒してきたFC版をプレイする機会は、確実に減っていった。
〔ウィザードリィ外伝:五つの試練〕と出会ったからだ。
発売は2006年なのだけれど、その頃は生涯でいちばん多忙だったのでとても手が出せなかった。ほぼ同時期に発売された兄弟作である〔戦闘の監獄〕ともども、買って遊べるようになったのは2010~12年にかけて。
当時は「もっと早く買っときゃよかった!」と歯噛みしたものだった。
さて、この〔五つの試練〕。
歴代でも他に類がない特徴を備えてましてね。
なんと自分好みのウィザードリィを自分で作れるシナリオエディタが付随しているのである。
当時のゲーム開発で実際に使われたツールをほぼそのまま配布していたそうなので、UIは不親切だし、仕組みも複雑。取扱難度はきわめて高い。最低限動くレベルのものを作ることすら一苦労。
ただし、そのぶん自由度はほぼ無限と言っていい。
自分で作って自分で遊ぶんだから、理論上、飽きるわけがないのだ。
僕にとってはそれが〔平和への妄執〕という作品にあたるのだけれど、もし自分でシナリオを作り上げることができなかったとしても全く問題ない。公式の配布サイトに行けば同志が作ったシナリオが山ほどあるんだから。お気に入りの二つや三つ容易く見つかるという寸法である。
もはやこれは、
〔 ウィザードリィファンの桃源郷 〕
と言っても過言ではありますまい。
で、僕みたいなファンがそれなりに大勢いたので、2006年のリリース後も開発元のサービスは細く長く続けられまして。
2021年の末ごろ、Unityで全面リニューアルされたSteam版へと“進化”することになった。
この作品、サービスとして見るとトータルで15年以上も続いているというその事実からして、メーカー側とファンの側、双方の熱量の高さが窺い知れようというもの。そのうちのひとりが間違いなく僕なので、自分で言っててなんか複雑な気持ちになるけども。
ただ、この〔Steam版・五つの試練〕。最大の特徴であるはずのシナリオエディタがなかなかリリースされませんでね。以前からあるシナリオを遊ぶことはできるが、新しく作ることはできないという状態が長く続いていて。
動きがあったのは、2023年の初旬。
〔Steam版・五つの試練〕ゲーム本体から遅れること1年強。
2006版エディタの使用経験があるシナリオ作者に限って「新型シナリオエディタのクローズドαテスト」が行われることが発表されたのだ!
永元はこれを受け「やったぜ追加機能満載の新型を触りまくれるぞ!」と安易かつ短絡的に考え応募。抽選の結果、見事に当選。テストに参加することになったのだけれど……。
いやあ、もうね。ここからが凄かったのよ。
残念ながら、悪い意味で。
αテストという戦場
「βテスト」というのは、割とどこでも、どんなゲームもやってるよね。
ゲームそのものはほぼ完成したんだけど、サーバーの同接耐久チェックとか、開発部で見つけられないバグがまだ見つかるかも等の意図で、一般から参加者を募って自由に遊んでもらう、というもの。
でも「αテスト」って、あんまり聞いたことないじゃない?
それもそのはず、通常はαと言えば「ゲームを構成する素材が揃って、ひとまず組み上げが終わった状態」のこと。これをテストするのは主に開発部内の社員さんやデバッガーなので、この段階で(抽選やクローズドという前提があるにしても)一般に開放されることは珍しい。
普通に考えて、βよりもバグは多い。不具合も頻発するはず。
とはいえ一般からテスターを募っているわけだから、最低限、動くものではあるわけだ。動かなきゃそもそもテストできないもんね。それに、Steam版五つの試練の本体から一年以上も間が空いてるんだから、開発も相当進んでいるはず……と、僕の認識ではこんな感じだったんだけど。
何も動かなかったのよ。ほんとびっくりするくらい。
ひとつの数値を入れて返ってくる結果が正しいのか間違ってるのかもわからない。っていうか、後になって振り返るとあれもそれもどれもこれも何もかもバグと不具合でした、みたいな感じ。唖然とか通り越して笑うしかなかった。
ただ、開発元の名誉のためにも、これだけは言っておきたい。
新型エディタの開発がここまで遅れていたことには、それなりの事情があったんだ。開発会社の怠慢だとか、開発を遅延させたわかりやすい諸悪の根元がいるとか、そういう話では全くない。
この辺は機密保持契約にモロ抵触する話なので省略させていただくけれども(いつか公になる時は来ると思う)大半のファンは「そりゃ……しょうがねぇや」ってなるはず。少なくとも、事情の一部を聞かされたテスターの間では実際そうなりました。
「このWebエディタが不完全だというのは、我々もわかっている」
「だが、このWebエディタを完成させる以外、残された道はない」
「どうか、個々で出来る範囲で構いません。ご協力いただければ」
まさか開発元から頭を下げられようとは、夢にも思わなかったよね。
何度も言うけど開発元は本当に何も悪くないのよ。ひとりの大人としてその心中は察して余りあるというか、どうしようもなく状況に追い詰められて誰かがワリを食わなきゃならなくなる瞬間って人生にはたびたびあったりするじゃない? これが正にそのケースだったのだ。
クローズドαテストで我々一般参加の協力者を募ったことそれ自体、正に苦渋の決断。僕個人としても気の毒で仕方なかった。
そうして、総勢十数名~二十名ほどはいただろうテスターの態度は、大きく二つに分かれていくことになる。
一番多かったのは「静観」。
まあそれはそうです。これだけ動かないものをそれでも触り続けて開発側にフィードバックを上げ続けるなんて、お給料もらって仕事として関わっていたとしても正直あんまりやりたくないものね。
それに、参加者の大半はいい大人。日々の仕事が終わった余暇でテストに参加してるんですよ。多忙ゆえに時間とメンタルに余裕がないから関わりたくても関われない、という人もいたはず。仮に仕事と私生活のサイクルが安定していたとしても、テレビ見ながらビール飲んでガハハと笑っていられる貴重な自由時間に、何が悲しくて一銭もならない楽しくもない仕事をせねばならんのかと。
そして、もう片方は……決して数は多くなかったけれど。
「それでもやるしかないだろう」
と腹を決めた人たちもいた。ここには僕も含む。
なにせホラ、ワタクシ、曲がりなりにもプロのシナリオライターなので。ゲーム開発の経験者なので。ディレクター職を務めたこともあるので。
どんなゲームも最初の頃は「あれもそれもどれもこれも何もかもがバグと不具合」なもの。時に電子紙芝居と揶揄されるシンプルなノベルゲーですら、開発初期にはまずまともに動かないのがデフォなのだ。いわんや〔五つの試練〕のエディタなんていくつのパラメーターを管理してるとお思いか?
現実問題として目の前のWebエディタがテストする以前の完成度だったとしても、それは僕にとっては割と見慣れた景色だったのだ。
だから。
〔五つの試練〕ファンの一人として、完成形のエディタを一刻も早く触ってみたいならば、少しでも完成に近付くよう開発のお手伝いをするしかない。早々にそう腹を決めたわけ。これ動きません、ここおかしいです、こっちがこうならここはこうならないと変です、以前はこうでしたが今回は仕様が変わったんでしょうか。そういった報告・連絡・相談を粘り強く黙々と続けるのみ。
そうすれば、どんなに進捗が遅くとも、いつかは必ず完成する。ゲームの開発なんて総じてそういうものですよ。結局のところ最後はいつも根性と執念、そして情熱がモノを言うのである。
「いやあ、実は、永元さんにこのテストをお願いするのは、弊社内部でもどうなのかな、という話があったんですけども……」
かなり初期の頃、開発元の方と交わしたメールでそんな話が出たこともありました。
αテストへの参加は、機密保持契約の締結のほか実名や実住所の提出も求められたので、僕の正体はその時点でバレバレだったんですわ。つまり開発元からすると、僕をアルファテストに呼ぶということは「プロのゲーム開発者に無償で働いてもらうことにならないか?」という話になってしまうのね。本人はあんまりプロの自覚ないんだけど。
「あ、でも、永元さんのことは、もっとずっと前から把握してましたよ。この人ってあの会社でアレとかソレとか作ってた人じゃん、って。僭越ながら私も、永元さんの関わった****とかプレイしてました」
ゲーム業界、狭いな! 狭すぎるな!!!!!!
しかし、運が良かったというべきか、当時の永元は体調を崩して療養中でありまして。
αテストは、自由参加で、仕事じゃない。
だから、ノルマや責任もない。
無償で働かされてるみたいな話にはなりようがなかったのよね。
こちらとしても、お仕事のリハビリとしてやらせていただければ願ったり叶ったりで、ホント大いに助かりました。理想的なWin-Winの成立だったと申せましょう。
○
まァでも、その辺の個人的な事情を差し引いたとしても。
「ウィザードリィと五つの試練に恩返しするなら、今がその時だ」
αテストに関わる僕のホンネはそこにあったし、Webエディタの開発へ積極的に関わっていこうと決めたテスターは、たぶん、みんな同じ気持ちだったはず。
まさに「俺はひとりじゃない。俺たちはひとつだ」ですわな。
ここでのBGMは〔戦う獅子〕または〔勇気ある戦い〕でひとつよろしく。
戦場から戦場へ
そうして、毎日地味にコツコツ作業を続け、およそ二ヶ月。2023年初夏。
細かく見るとまだまだバグまみれとはいえ、エディタはそこそこ動くようになり、制作したテスト用シナリオをゲーム本体に読み込ませてどうにか走るようになってきて。
その頃、αテストで積極的に動いていたメンバーのうち、僕のほか若干名が開発元から個別に声をかけられた。
端的に言えば、スカウトである。
「ご協力いただいているテスターの皆さんの間に“差”をつけるようなことは、我々もやりたくないんですが……」
開発元の方はそう仰っていたけれど、現実問題として〔五つの試練〕開発部は人手不足。テスターが日々上げてくるフィードバック情報を仕分けするのも手が回らず、修正後の動作チェックも行き届かない。そのうえ、今までお願いしていた内部のテスターさんがスケジュールの都合で月単位で動けなくなってしまったとあって、これまた苦渋の決断だったらしい。心ばかりで恐縮だが謝礼を出させてもらうので、弊社の業務を一部手伝ってもらえないか、と。
これに「NO」と言うようなら、僕は端緒からαテストに関与していない。
もっと言うなら、僕はそもそもフリーランスなので。ゲーム会社から一部業務を委託されることは単なる日常。リモートワークにもすっかり慣れたしね。間に人材派遣会社が入ってるかどうかくらいの差しかない。
若干心配なのは、自由意志での参加と違って責任やノルマが生じること。僕は自分の健康にまだあまり自信がなかったので「締め切りがヤバいときに何の理由もなく数日倒れたりしかねないのですが、大丈夫ですか?」とだけ訊いた。
「正規版のリリース予定は今年の秋で、まだ猶予があるので大丈夫です。療養を最優先に、ご自身の体調と相談しながら手助けしていただければ」
正規版……?
ああ、そうか。すっかり忘れてた。今の〔Steam版:五つの試練〕ってアーリーアクセスなんですもんね。厳密に言えばまだ発売前。五つの試練本体と、新型シナリオエディタがそろって初めて「正式な発売」になるわけだ。
「ええ。なので、既存機能の見直しや改善も随時行っています。ユーザーには気付かれにくいところなんですが、たとえばこの挙動」
ああー、はいはい、昔のウィザードリィだと確かにそんな挙動してましたね。たぶん戦闘後のルーチンがこうなってるから、座標が確定しないままこうすると、こうなっちゃう、ってやつ。
「そう、よくご存じで! そこまで把握してる人も珍しいと思いますよ」
わーい、褒められちった。
しかし、五つの試練って、そんなとこまで再現してたんですね……。
「五つの試練は、昔のウィザードリィを完全再現するために作られたゲームではないんですけどね。ただ、なにせ作ってる方も相当なファンなので。ユーザーさんからゲームの細かい挙動に要望があると叶えてあげたいと思ってしまって、結果的に昔の仕様っぽくなっている箇所もあって」
ははー、もはや一種のイースターエッグだ。オールドファン的には気付くとニンマリだったでしょうね。
でも、これに気付いた新しめのユーザーさんは……。
「そう、ただのバグだとしか思わない。ですから、このあたりも直していくことになります。旧作の完全再現という意味ではちかぢか本国アメリカの方でオリジナルのリメイクが行われるので、そちらへお任せですね。我々は正しく〔外伝〕として、似て非なる独自路線を進んでいくことになろうかと」
当時まだ公開されてなかった情報までシレッと聞いてしまったのだが……うぅん、ゲーム開発の最前線って感じ。
でも、立ち位置としてはよくわかりました。〔五つの試練〕は基本的に、元ASCIIの開発者の皆さんや〔戦闘の監獄〕デザイナーの徳永剛さんが中心になって展開してきた〔外伝〕シリーズに立脚する。立ち戻る原点はどこまでも“そこ”ということになると。うん、納得。
「ちなみに、さっきのがそうですよ」
??? 何の話でしょう?
「いや、だから、徳永さん。さっき永元さんと一緒に、わざと昔の仕様が、とか、そこまで把握してる人も珍しい、とかって話、してましたよね?」
ギャーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!
リモートワーク恐るべし! 創造神も同然の殿上人と会話した上になんか褒められてた!! たぶん一生忘れない!!!!
神がどれほど神なのか
徳永さんがどういう方で、本邦におけるウィザードリィの広がりにおいてどんな役割を果たされたのかは、僕があれこれ語るよりも以下の記事を読んでもらった方が手っ取り早いと思う。
僕が個人的に徳永さんを特に「神」だと思う理由は、プログラムについてほぼ素人だったところから10年かけて独学で〔戦闘の監獄〕を作り上げたという情熱、そして、ユーザーがシナリオを制作してユーザー同士で相互に供給するシステムを構築するという企画者的な先見性に集約するといっていい。
いやもう、ほんと、物凄いことなのよ。コレ。
たとえば、僕が高校生だった頃の話。
進学祝いとしてPC-8801MCというパソコンを親に買ってもらったとき、ワープロソフトの他にウィザードリィ#1も一緒にねだったんだよね。ファミコンでも同じゲームを飽きるほど遊んでたにも関わらず。何故か。
パソコンを自由に操れるようになれば、ウィザードリィを自分好みに小改造できるのではないか、と考えたのだ。
もう少し具体的には、パソコン版ウィザードリィのプログラムに音楽再生コマンドのようなものを入れ込んで、8801MCに搭載されていたCD-ROMと連動させ、We Love WIZARDRYというオーケストレーション風音楽CDをゲームのBGMとして再生できるようにしたい、などと思っていた。
ほんと当時モノのプレ値すげえな……二度目の閑話休題。
さて、では、当時の永元少年の企ては成功したのか。
もちろん否である。
プログラムの基礎中の基礎だったBASIC言語にきわめて簡単な計算をさせる程度でギブアップ。そもそもBASICをいくら究めたところで「やりたいこと」ができるわけもない。市販されているゲームソフトのプロテクトを解いて動作を解析し自分が望んだ通りに改造するなんてことがもし可能なら、その人はいっそゼロからウィザードリィっぽいゲームを作ってしまうことすら可能だろう。
少なくとも、永元少年は挫折した。自力でウィザードリィっぽい何かを作りたいとも思わなかった。
コンピューターとプログラムの仕組みを把握する程度には役立ったし、のちに情報処理3級(90年代当時)を取ることも出来たのだが、だからこそ痛感したのだ。自分はプログラムに向いていないと。
しかし本当は、向いてるかどうかなんて関係ない。
何度も言ってきたが、最終的にゲームを作り上げるのは根性であり執念であり情熱である。それを高いレベルで維持し続けて10年かけて成し遂げたのが徳永剛という神なのだ。
ちなみに〔五つの試練〕には、ゲーム中で使用されているBGMを自前の音楽データに差し替えられる隠し仕様のようなものが存在している。
すなわち僕は〔五つの試練〕と出会ったことで、もっと言えば徳永さんのお陰で、高校時代に諦めた夢を……羽田健太郎さんのオーケストレーション風CDをBGMにしてウィザードリィを遊ぶという夢を叶えることができた、ということになる。それが想定されていた楽しみ方かはともかくとして。
しかも、この上さらに「ユーザーがシナリオを制作してユーザー同士で相互に供給するシステムを構築する」という話も乗っかってくるんだぜ?
いやね、これそのものは、昨今わりと当たり前に見かけるようになりましたけどね。いわゆるMOD(ユーザー生成コンテンツ)として。
個人的に徳永さんがスゲェと思うのは、国内ではMODに馴染みあるユーザーがまだまだ少なかった2006年の段階ですでに行動に移していたということ。発想としてはそれよりさらに前ってことになるもんな。
その頃、永元千尋は何をしていたか?
ぶっちゃけタユタマとか作ってた頃なので、いちおう商業作品のクリエイターとしてゲーム開発にがっつり携わってたんだけどさ。でもその頃に僕が悩んでたのは、匿名掲示板であることないこと騒がれるのマジでなんとかならんのかとか、ファイル共有ソフトが猛威を振るって売上損失が起きるのどうしようみたいなホント近視眼的な話でしかなかったよ。あるいは〔アメリのニーソ〕みたいな一種の悪ノリ公式グッズの企画に大笑いしてたとかな!
「立っている場所が違う」とはまさにこのこと。
いちウィザードリィファンとして、そして、ゲーム開発の現場を知る者として、徳永さんの存在は最大級に尊敬せざるを得ないのだった。
お前が顔だと言われても
そうして僕は、少しでも徳永さんのご助力になればと、来る仕事はなるべく早く右から左へ迅速に打ち返すよう務めていた。
厳密に言うと、徳永さんは開発部の偉い人で、ゲーム本体の保守、改良、エディタ向けの追加仕様の策定、その試験環境の整備などを行っていて(改めて挙げるとスゲェ仕事量だな……)、シナリオエディタの制作それ自体はまた別に専任の方がいる。で、αテストから引き抜かれた僕と数名は販売元である株式会社イードの管理下ということになって、それぞれ微妙に立ち位置が違うんだな。
つまり、業務上の指示そのものは、イードさん側のディレクターである堀江陽さんから来るという形になる。堀江さんが「徳永さんの指示に従って本体側のテストを優先してください」と言えばそうするし、また「今はエディタ側の仕事を優先で」と言われればそうする、という感じで──────
「あの、永元さん。スケジュール的に、ゲーム本体やシナリオエディタの開発よりも優先してお願いしたいお仕事があるんですが、構いませんか?」
構うも構わないも、ぼかぁ立場的に「Sir, Yes Sir!!!!」って言うのみですよ。どっち方面のどんなお仕事でしょう?
「テストプレイです。アーリーアクセスから正式版に移行する段階で、新しい公式シナリオを追加する予定なんですが」
ああー、作者の白峯さんって聞いたことあります! 〔NIZ〕とか〔MIZ〕とかお作りになった人! ウィザードリィファンが高じてウィザードリィ的なものをゼロから作ったというこれまた神のおひとりじゃないですか!
「とりあえず、現在の最新バージョンを動くようにしてください」
……あれ。これもうほとんど出来てるっていうか、普通に遊べるっぽいですけど。いわゆるプレイデバッグ(ユーザー目線で普通に遊んで感じたことをフィードバックする)だと思っていいんですか?
「どうぞ、その方向で」
──────というわけで、普通にプレイデバッグをやったんですよ。
システム面にもそこそこフィードバックは返したんだけど、なにせワタクシは本職が文芸屋さんなので。ゲーム中で表示されるイベントテキストがやはり一番気になりまして。いろいろとご提案をさせていただいて。
たとえば。
ここは看板メッセージばかりがひたすら続いていささかキツいので、NPC的なキャラを立てた方が伝わりやすいと思います、とか。こっちとこっちの記述で矛盾してるんですが物語の設定としてはどっちが正しいんでしょう、とか。裏設定にあるこのキャラはお墓しか出てこないけど物語的にもったいないのでキーキャラとして登場させたほうがいいと思います、とか。
あとはまあシンプルに、日本語表現の瑕疵なんかも。誤字・脱字・衍字のピックアップにはじまって、フレーバーテキストの提案なども。おそらくこういう雰囲気を出したいんだと思いますがかなり伝わりにくいので、一例としてこんな感じで書き換えてみてはどうでしょう? とかとか。
「いいですね、うん。じゃあそれで。採用」
え。あ、いや。これらはあくまで提案というか、校正のような気持ちでフィードバックしたので、まんま採用されると、その、困る。
もしまんま通るなら、いっそこう書いたほうがいいですよ。ほら、こっちの要素やこっちの設定も同時に拾って、有機的にお話が繋がるので。
「うーん。もういっそ、永元さん、やりません?」
……なにを?
「テキストの全面リライト」
○
そんな感じで、仮題〔冒険者ゼルクを求めて〕のテキストをリライトすることになりまして。
物語の原案は、ゲームシナリオ(五つの試練においては、迷宮構造・アイテム性能・モンスターエンカウント設定などを主に指す)の作者である白峯さんのものを遵守。僕はひたすら「どうすれば原案の妙が伝わるか」のみに腐心したつもり。
といっても、なにぶん全面リライトなんでね。間の取り方とか文章のリズムみたいなのは完全に僕のソレだし、プレイヤーに情報を開示していくタイミングなんかもワガママ言って変えていただいたりしたので、喩えるなら〔吾妻鏡〕を原作と見た時の〔鎌倉殿の13人〕くらいには「ベツモノ」になってしまったかもしれません。
幸い、僕のテキストは物語原案の白峯さんにご好評だったようなので、そこは安堵しているのだけれど──────
「永元さん、テキストの英訳が終わったんで、これ、組み込んで下さい」
え、そこまで僕の仕事なんです? まあ、やりますけど。
「あと、白峯さんがタイムアップで。以後は開発に関われなくなるので。申し訳ないんですけど永元さん、こことここもお願いできます?」
あ、はい、まあ、やってやれなくはないので。やりますけども。
なんか、本作に対する僕の権限がなし崩しに拡大してません……?
「永元さん、ここの迷宮構造と謎解き部分、どうすべきだと思います?」
いやそこゲームデザインにモロ関わるとこなのでは?!?!?! 僕が決めていいところじゃないでしょ!!!!!!!!
「物語の進行にも関わる部分ですから!!!! 一番長くシナリオと向き合っている永元さんが決めてください!!!!」
いやだってそんな、もう納期もヤバい……から僕にお鉢が回ってきてるのか。ううううう、ゲーム制作は根性と執念がモノを言う世界だぜ……!
「そうだ、仮タイトルのままじゃマズいので、本タイトルを」
んーとんーと〔偽りの代償〕でどないや!
「ではそれで! ありがとうございます! いやあ、これで無事に五つの試練の新デフォルトシナリオの完成ですね、ごくろうさまでした!」
………………ちょっと待って。今なんて言いました?
「新デフォルトシナリオですよ。つまりこの〔偽りの代償〕は、この秋に正式版となる五つの試練の〈新しい顔〉になるんです。ちなみに、発売後の反響を見て適時改良・バージョンアップもする予定なので、その対応もよろしくお願いしますね!」
いや、もう、ほんとに。
「うそやん」って思いましたよね。
大きな大きな虹色の鎖
僕は、ウィザードリィが大好きだ。
そして〔五つの試練〕を愛している。
それは、まだ若かった頃の僕が「やりたかったけど、やれなかったこと」をことごとく実現させてくれた、正に魔法の箱庭だから。
偉大なるオリジン、ウィザードリィのアーリーナンバーを源流に持ちながらも、守るべきは守り、変えるべきは変え、あるいは「君の好きにすればいい」と選択肢を与えてくれて、今この時もたくさんのファンが「ぼくのかんがえたさいきょうのウィザードリィ」を熱心に作り続け、リアルタイムで拡大・発展を続けている。
そんな〔五つの試練〕に「恩返し」ができれば。
αテストに飛び込んだ時の僕の気持ちは、本当にそれだけだった。
それがいつしか〔五つの試練〕の〈新しい顔〉の作り手のひとりになってたなんて。しかもクレジットされる主要スタッフのひとりとして。
今この時でも「うそやん」以外の感慨がない。
ある人から「子供の頃からの夢を叶えたんだね」って言われたこともあるけれど、実際、客観的にはそういうことになるんだと思う。少なくとも14歳の自分に「お前、35年後にウィザードリィの制作スタッフになるよ」って言ったら、そりゃもう腰を抜かして驚くだろうから。
でも、その一方で。
自分がやったことそれ自体は、別に、特別なことじゃないんだよね。
〔偽りの代償〕に関わる仕事を度外視したとしても、Steam版〔五つの試練〕の本体開発やWebエディタ開発にはテスターとして今後も関わっていく可能性が高い。立場的にはあくまで外部スタッフだし、生活を支えるほどのお給金をいただいているわけではないので、優先度の高い別の仕事が入ってきたら抜けることにはなるのだけれど。
そう。もしも〔五つの試練〕に関わってなかったとしても、僕は別のゲームメーカーで似たような仕事をしていたはずなのだ。そこでやっていただろうことは恐らく何も変わらない。文芸担当としてテキストを書いたり、デバッグしたり、ヒィヒィ言いながら締め切りに追われたりね。
かのトレボー閣下は仰いました。
ウィザードリィは「連綿とつながった鎖の輪の一つ」だと。
記憶が確かなら、閣下は「もし自分たちがウィザードリィを作らなくても、それに近いものを誰かが生み出していただろう」とも仰っていたはず。ゼロから革新的な何かを生み出したのではなく、先人たちが連綿と繋いできたものがあって、初めて自分たちの作品が生まれる。作り手はその事実に謙虚であるべき。そして、自分たちの作った輪から、さらに次の輪をつなげていく人がいて……そうやって全ての作品は、互いに支え合い活かし合いながら成立しているものなのだと。
僕は、トレボー閣下のこの考え方が、とても好きだ。
その意味では〔五つの試練〕もまた鎖の輪のひとつなのだろうし、僕が関わることになった〔偽りの代償〕もまた輪の一部なのだろう。
ここからまた別の輪が繋がっていくのかもしれないし、そうでないのかもしれない。けれど、その〔偽りの代償〕の一部である僕というパーツそのものは、鎖の輪の中に入る前も入った後も特に変わりはないんだよね。
おそらくは僕でなくても良かったんだろうし、あるいは僕以上に輪の一部にふさわしい人はいたのかもしれない。でも、そのときに引き寄せられたのは、そのタイミングで輪の一部になれたのは、たまたま僕だったのだ。
〔夢をかなえる〕って、きっと、そういうことなんだろう。
離れたところから見たら、その鎖は、眩く輝いて見えることもある。それこそ虹のように。でも実際には、自分にできる精一杯で目の前の仕事をこなそうとしていただけ。
誰かのために、何かに向かって、毎日コツコツと仕事を続けている人は、見方によっては誰しも虹の一部なのだと思う。
なるほどな、そういうことなのか、と。
この歳になって、この仕事に関わって、僕は初めて気がつきました。
○
しかしまァ、それにしても。
よりにもよって、僕の手がけた仕事が〔五つの試練〕の顔の一部とは。
ただただ幸運、巡り合わせに過ぎないとしても、相当なものだよな、と。
今でも他人事のように驚いています。
2023/11/22
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?