感情と社会 25
暴力の諸相 ⑵教育
「教育」が公的な機関として整備されていくのは、<近代>の進展と、つまり加速度を増していく<文明化>のプロセスと並行しています。この時代空間で、アリエスの『子どもの誕生』が詳細に伝えているように、かつては<小さな大人>としか見なされていなかった<子ども>が、徐々に<子ども>という、<大人>とは違う集団として知覚されるようになり、この区別された集団をどう扱うかが、大きな関心を集めるようになっていきました。
この経緯からじつに単純なことがわかります。<大人>とは区別(区別は常に差別感情の萌芽を含んでいます、それはニーチェも気がついていました、もっともニーチェは差別を乗り越えるために、さらに強力な差別意識を提案しましたけれど)された<子ども>という集団は、ずっと<子ども>で居続けるわけではなく、いずれ自分たちと同じ<大人>になります。したがって、徐々に新たな関心の中心となっていったのは、とても無害な言い方をすれば、「子どもはどのようにして大人になっていくのか」ということでした。
実情(じっさいに動いている情動)に合わせてこれを言い換えれば、「子どもをどうやって大人に仕立て上げるか」となります。かつては、育てるのに労力がかかり、判断力も体力も満足ではない働き手、すぐに死ぬし、言うことはきかないし、つまり足手まといと見なされることがほとんどだった<子ども>、小さな<大人>として、区別の対象として扱われることがほとんどなかった<子ども>が、自分とは異質の集団として知覚されて、自分の利害のための操作の対象になったわけです。
もちろん支配層は、このプロセスとしっかりとした関係を築きました。その結果として、職能(フランスでは主に神学と法律、そしてそれに必須のラテン語と古典的教養)を訓練する場としての「学校」が、次々に設立されていきます。<子ども>を、国益に合うように仕立て上げることが、非常に重要な案件となっていきます。すでに何かの人格を形成してしまった<大人>を苦労して操作するよりも、最初から<子ども>に直接関わって、支配層に最も好都合な、操作しやすい<大人>を作り上げることの方が、よほど<合理的 rational ー 利(誤変換ではありません)にかなっている>と見なされたのです。
この単純な歴史的経緯を知っているということは、現行の「教育」を観察する上で、とても重要な点です。啓蒙主義の時代、つまり知識の獲得は個人の人間性の涵養にとって核心的なものだ、という考えを発明した人々にとっても、たとえば『エミール』を書いたルソーにとっても、<子ども>は彼が望む人間を育て上げるための素材にすぎませんでした。<大人>がよく考えもしないまま惰性的に従っている社会のイメージに合うような人間へと、<子ども>を仕立て上げる、この教育感は現在でもまったく変わっていません。この国で「ポジティブ」な人間観だと評価されている、「創造性」「発想力」「自主性」「協調性」「コミュニケーション能力」「問題解決能力」「課題発見能力」「生産性」「人材」「人間力」といった価値感を羅列すれば、それはとても明瞭になります。
国家という仕組みが堅固になり、支配力が広く浸透していくにつれて、「教育」と、それを支える人間観も広汎に広がっていきます。その人間観は、たとえばイギリスでは18世紀中盤に common sense と呼ばれ、rational で intelligent な人間が真っ当な人間であるというイメージが定着していきます。(この硬直したイメージは間もなく「普通の」、つまり normal な人間という発想も生み出していくことになります。とりわけ心理学は、規範に則っているnormal ことを「正常である」という判断基準にするに至り、この規範から外れた人々を「病理学的」に、つまり極めて「合理的」に差別するようになりますが、このお話はまた別の機会に。)「教育」はこれを育成するための機関として、非常に重要な役割を担うことになりました。しかし、そうした表向きのイメージは、学校で言えばなかなか立派に見える校門のようなもので、ひとたび校門をくぐると、中で行われていることはだいぶ様相が異なっていました。
被支配層は支配層の流儀をなぞります。支配層はこれを巧みに利用しながら被支配層に「道徳的」な価値感を注ぎ込みます。「教育」は、その中心的な実践の場として活用されるわけです。その目的は、先ほども言いましたが、「教育者」である<大人>が望む者へと、<子ども>を調教することでした。<大人>の大半が(とりわけ「教育」したいという奇妙な欲求を持つ<大人>が)抱いている人間像は、自分自身が経験したもので成り立っています。よほどのことがない限り、<大人>はその人間像がもしかしたら間違っている、あるいは別のものであってもよかったかもしれないなどと思ったりしません。そんな思いにとり憑かれたら最後、かろうじて維持している自己イメージの否定につながりかねませんから。徹底的に社会化されて、徹底的に他者との媒介としてしか生きることができなくなっている人間は、常に、自己に対する漠然とした恐怖心を抱いて生きています。この恐怖心をどうするか。手っ取り早いのは、それに気がつかないふりをすること、そんなものはないのだと自分を言いくるめること。こうして<大人>は、自分自身を感じること、自分がなんであるかを考えることをやめたまま、自分を内側から満たすものを持ち合わせないまま、空虚で疎外された自分自身を規範 normとして「教育」を行うことになります。
したがってそもそもの始めから「教育」は、<子ども>とは何であるか、<子ども>の人格とは何か、<子ども>の個人性とはどんなものなのか、個性を尊重することはどんな帰結を生じうるか、などという事柄の一切に、まるで関心がありませんでしたし、今もほとんどないままです。そういったことに対する十分な配慮がある中で育った人は、現代でも残念ながら極めて少数でしかありません。大多数の人々が、自己イメージと同じ人間を「育てる」という調教以外の「教育」を、経験したことがありません。
動物調教の場で必要なのは、罰(叱る)と褒美(褒める)だけです。(そもそも動物の調教は、動物を自分の都合のいいように仕立て上げることだけが目的ですね。)これがまさに、「教育」にとっても唯一と言っていい手段でもありましたし、現在でもそうあり続けています。「教育」とは、とりもなおさず、<子ども>を暴力的に取り扱う装置として発明されたもので、(人間感がかつてよりは多少なりとも複雑化した)現在でもそうあり続けています。
親によるしつけ、「教育」における人格や個性の暴力的な蹂躙を、執拗なまでに告発したアリス・ミラーは、「教育」を「闇教育 schwarze Pädagogik」と名づけました。schwarz、魔術をその悪用としての「黒魔術schwarze Magie」と呼んだ、あの形容詞が「教育」に冠せられています。「教育」そのものがすでに暴力装置だという視点は、20世紀に入ってから、繰り返し繰り返し、様々な人によって訴えられてきましたが、どれも「教育」を大きく変化させるうねりにはなかなかなりません。「教育」が国家の関心事であること、そして、国家という暴力装置に依存している支配層のメンタリティーを、被支配層が思慕して共有していることを思えば、当然です。
アリス・ミラーは20世紀後半、つまり彼女が生きていた現代に至るまで、ヨーロッパ各地で「教育」という名の暴力(わかりやすい形では肉体的な虐待ですが、さらに悪質なのは表面化しにくい心の虐待です)が日常茶飯事であり続けていることを告発しています。『魂の殺人』という、かなり衝撃的な翻訳タイトルを持った、”Am Anfang war Erziehung” 『初めに教育ありき』という、さらに衝撃的な原題を持つ著書の冒頭で、彼女はこう述べています。
「かつて行われていたような児童の肉体に対するひどい暴力や傷害、勝手な利用だとか迫害は今では姿を消し、もっぱら精神的な残虐性が幅を利かすようになっていますが、しかもそれには「教育」という結構な名前がつけられ、誤魔化しやすいようになっているのです。」( A. ミラー『魂の殺人』p.5)
この書物の中で彼女は、スイスではいまだに肉体的な虐待が続いていることを告発していますが、ヨーロッパでは物理的にわかりやすい虐待はそれから減少しているようです(ようです、としか言えないのは、こうした行為はなかなか表面化しにくいからです)が、日本ではまだ、至る所で普通に、「子供のためを思う」「指導として」行われているようです(やはりこれも、断言に足るデータを集めることが望める現状ではありません)。
ピンカーが暴力を物理面に特定したことに触れて、そもそも暴力を物理的、心理的というように二分することが馬鹿げていることはお伝えしました。暴力とは、ぼくたちの心の中にいる、他者を虐げたいという欲求です。「教育」の非暴力、つまり殴ったり蹴ったり廊下に立たせたりしない、ということへの努力は、もちろんないよりはましですが、勘違いはなさらないよう。そもそも「教育」そのものが、暴力性を発揮する装置なのです。ミラーのことばが、そのことを、これ以上はっきりしようがないほど、ストレートに伝えています。
「条件づけと操作とは常に権力の座にある者の武器であり道具でした。それはたとえばそれに「教育」とか「療法」という美名が冠せられてもまったく同じことです。他の人間の上に力をふるい、その人間を自分の思い通りにするのには通常、自分自身の無力感が爆発するのを防止する役割が負わされている、つまり多くの場合無意識に操られているわけですから、倫理を云々してもこれを妨げることは不可能です。」( A. ミラー『魂の殺人』p.367)
エリアスがいう Verflechtung 編み合せ、あるいはルーマンによるなら、様々な機能の部分システムが複合して変化し続けている動態としての、ぼくたちの<社会>の中では、ありとあらゆることが、時間的に、空間的に、相互に関連し合い、影響し合い、お互いに変化をさせ合っています。ですから、「教育」だけが特権的な聖域を持っているはずもなく、むしろ「教育」は、支配ということが至上の原則になっているぼくたちの社会が持っているもののすべてを持っています。そしてとりわけ「教育」は、この社会を維持するという機能(なにしろぼくたちは、ぼくたちが知っている社会を「持続」させようと思い込んでいますから)を、そしてそれだけを果たしています。
あるがままの自分を、それとして受け入れることができなかった大多数の人々。なぜなら、親が、養育者が、教員が、子どもをあるがままの人として受け入れることがなく、「君はそんな子じゃない」「それは君らしくない」「君はもっと〇〇であるはずだ」「君はもっと〇〇ができるはずだ」「君は〇〇であるべきだ」と<教え>続けた結果がそれだからです。
暴力、他者の蹂躙は、「教育」の本質を形成しています。体罰や心理的攻撃などに限られたことではなく、ぼくたちに馴染みのもの、「教育」の本分だと思い込んでいる<学習>、<知識>の獲得、いつ頃からか流行り始めている薄気味の悪い言い方だと<学び>そのものが、暴力装置です。それはとりわけ、<知識>を獲得させるために仕組まれている、成績評価という風習に見事に露呈しています。スポーツのお話をしたときに触れた、あの、競合という仕掛けです。
ぼくは小学校で、たしか5年生だった頃に、知能検査を受けました。ほどなくして学校での一斉知能検査は(主に障がい者差別の批判をかわすためだったようです)廃止されたようですが、この知能検査で「分かる」と言われている<知能指数>の歴史は、S.J.グールドの『人間の測りまちがい』に詳細に描き出されています。
ビネーが20世紀初頭に知能測定尺度を考案してからほどなくして、この尺度は(ビネーの意図に反して)政治的に転用され始めました。とりわけ世界戦争前夜のアメリカで、動物心理学者、ええ、動物の心理学者であるヤーキーズが、役に立つ兵士と役に立たない兵士とを見分けるための「客観的な指標」を熱狂的に開発して、教育現場での<人材>の等級づけを推し進めます。その後知能検査は、アメリカではさらに移民の知的等級づけ(排斥)などにも用いられるようになり、こうして20世紀の中盤には、世界のかなりの地域で、<知的レベル>が人格を評価する、つまり差別をする上での中心的な地位を占めるに至ります。知能検査そのものは、その後徐々に一般の「教育」現場からは姿を消していったようですが、この検査に象徴されるような新しい差別の尺度、つまり知性で人格を等級づけるという尺度はしっかりと社会に根を下ろしました。すでに世界規模で、ぼくたちはそれに何の疑問も感じないほどになっています。
でも、そうなってしまったのは、つい最近です。ハラリの記述を読んでみましょう。
「成績というのは比較的新しい発明だ。狩猟採集民は成果を採点されることはなかったし、農業革命から何千年も過ぎてからでさえ、厳密な成績をつける教育機関はほとんどなかった。中世の見習い靴職人は一年の終わりに、靴紐の項目でAを取ったが、留め金ではCマイナスだったことを告げる紙切れを受け取りはしなかった。オックスフォードを去るときの結果には二つの可能性しかなかった。学位をもらえたか、もらえなかったかのどちらかだ。ある学生には74点、別の学生には88点というふうに最終成績をつけることなど、誰も思いつかなかった。」(ホモ・デウス p.209)
比較的新しい、とありますが、じつはオックスフォード大学の卒業資格に等級化された成績が必要になったのは、おそらく19世紀末期だと言われています。それ以前の近代ヨーロッパでも、成績が人生を左右するような学校制度はほぼありませんでした。学校での暴力は日常茶飯事でしたが、19世紀あたりまでは主に、新参者を痛めつけて服従させる、年長者や教員の絶対的な権力を誇示する、というマシズム的な動機が多かったようです。
20世紀に至る頃になって、人間は<知的に>等級化されうるし、それは社会的な<人材>の使用にあたってとても重要だという感情が、瞬く間に広がりました。世紀末と呼ばれるこの時期に、世界の見え方が極端に変わる経験や観念(ダーウィニズム、植民地政策の破綻、統計学の発明、相対性理論への流れ、内燃機関の発明、産業の急速な機械化、給与労働者の急増など、どこを見てもキリがないくらいの大変動です)が次々に生まれた背景から、この唐突な変化を見る必要がありそうです。<知性>が非常に便利な暴力装置になったのは、かなり唐突な出来事でした。
「もともと学校は、生徒を啓蒙し教育することが主眼のはずで、成績はそれがどれだけうまくいっているかを測る手段にすぎなかった。だがほどなく、学校はごく自然に、良い成績を達成することに的を絞り始めた。どんな子供も教師も検査官も知っているとおり、試験で好成績を収めるのに必要な技能を身につけるのは、文学や生物学や数学などを真に理解するのとは違う。そして、どんな子供も教師も検査官も承知しているように、たいていの学校は二者択一を迫られれば成績向上を目指す。」(ホモ・デウス p.210)
まさに、ぼくたちがよく知っている「教育」の姿です。たった100年ほどの間に、新たなヒエラルヒーが出現しました。<知性>を測る、そしてそれを人間の評価の主要指標のひとつにする、そしてお互いに競合をさせて<人材>の選別を効率的に行う。この風習、この感情はぼくたちの社会にあまりにも深く、あまりにも強く、根をはっています。ぼくたちはしつけと、「教育」とを通して、暴力性という感情を、人格形成の根幹として刷り込まれ続けています。それに全く気がつかなくなってしまうほどに。