【乳がん闘病記:77】介護の入り口。生きることは支えあうこと。
前回の闘病記からもう2ヶ月も経つのですね。
前回ワーカホリックについて書きましたが
何かもう、ここのところ忙しくて忙しくて
やらなくてはいけないこと以外のことに時間を割く余裕がありませんでした。
その忙しさについて。
コロナの規制が色々解除され、仕事が忙しくなってきた、ということもあるのですが
どちらかというと、プライベートが忙しくなってきたんです。
というのがタイトルにもある「介護の入り口」。
実は3月末から
同居の80代の母の体調不良が続いています。
体調不良といっても、病院であれこれ検査してもらっても
特に治療や入院が必要、というような数値ではなく
めまい、動機、息切れ、耳鳴り、食欲不振など
この年なら仕方ない、と言ってしまえばそれまでのような
何となく、の不調がいくつも重なっている状態で。
しかも波があるんです。
めちゃめちゃひどい時もあれば
比較的普通な時もあって。
母がこうなるまでは
恥ずかしながらワタクシ
家事はほとんど母任せでした。
力仕事とか、ごみ捨てとか、家電の修理とか
一緒に買い物とかは行ってましたけど
(まるで一昔前のお父さんみたいですね、こうして書き連ねると)
炊事・掃除・洗濯はほぼ母に委ねていて
だから、ワーカホリックになる程仕事も出来ていたワケで。
でも、そうもいかなくなりました。
母の症状が一番ひどかった3月末から4月いっぱいくらいは
私が準備出来る日は食事は私が作るように。
掃除・洗濯も先月下旬くらいまでは基本的には私が中心で
体調が良い時は母がやっていました。
あぁもう!!
これが1年前だったら
今ほど仕事が忙しくなくて
もっと気持ちにも余裕を持って家事も仕事もやれたのに。
仕事も忙しくなるにつれて色々準備や打ち合わせも増えて来てるし
その上家のこと、母の体のこと
考えろって言われても・・・。
っていう時期が4月でした。
少々疲れていました。
が、5月になり、母が少しずつではありますが
最悪だった頃より体調は良くなっていて
今は少し、心の余裕があります。
50代の娘(私)と80代の母の二人暮らしですもんね。
思えば今まで母がこんなに元気で色々やってくれていたことの方が奇跡。
この数か月ですっかり痩せてしまった母を見て
あぁもう、ここから先は今までと同じようには暮らせないんだろうな、と感じています。
波はありつつも緩やかに
介護生活の道が始まったんだな、と。
そして少し生活が落ち着きを取り戻した今、思うのです。
母がこうなるのが
私の乳がん発覚と被らなくて良かった。
私がしこりに気付いたのは
2年前の4月でした。
もし、それが今年の4月だったなら
母のことが気がかりで
私はしこりに気付いたとしても病院に行くのをためらっていたでしょう。
今は私自身は
毎回言ってる気がしますけど「ホントにガンでした!?」って思うくらい
心身ともに元気でストレスフリーな生活をしていますが
このように万全の体調で母の不調を迎えられたこと
これはある意味、神様に感謝だなって思います。
私の闘病中は
母が頑張ってくれてましたしね。
そして妹や周囲の方々もサポートしてくれた。
そして今からは
私が頑張れることは頑張って
そして妹や周囲の方々にサポートを依頼していくことになるのでしょう。
生きることは支えあうこと。
支えたいと思える人がいること
支えられて有難いと思える人に出会えること
これが人として生きる醍醐味なのかもしれない、なんて
しみじみ思ってしまう2023年の春でした。
母がこのまま体調が良さげなら
来週は1泊で近場に旅行に行く予定です。
行けたらその様子は別マガジン「たびねこカンパニーの部屋」にて
ご紹介させて頂きますね。
それでは皆様も
くれぐれも日々無理なくお元気で♪