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悩みがないのが悩みで、問題がないのが問題。
17世紀のフランスの哲学者であるブレーズ・パスカルは、「人間は考える藁である」と言った。
人間と動物を分けるのは物事を考えられるかどうかであり、人生や仕事、友達や恋人といった人間関係、老後の不安から現状の不満といった問題に対して悩むのは人間だけである。
犬や猫は自分の将来なんて考えたりはしない。
じゅうたんの上でのびのびとお腹を出しながら寝ている猫は、「明日もちゃんとエサが貰えるかな」「ご馳走のためにちょっと媚でも売っとくか」などとは思ったりしない。
猫はただ生きてるだけであり、何かに悩んだり考えたり計画したりすることはない。
体調が悪くて寝込むことはあるけれど。猫だけに。
悩みがあるのは人間だけ
さて、この地球上で唯一、私たち人間だけが考え、悩むことができる存在である。
人間の考える力は時に恐ろしさを感じる。
考えることが得意じゃなかったら、現代の科学的な現象のほとんどはいまだに謎のままだっただろう。
運動の法則や熱力学の法則といった物理学的な知識や、人間の生態系に関する知識から政治や社会といった問題にいたるまで、人間に考える力があるからこそ、今こうして私たちはその恩恵を享受しているのだ。
気になる異性に声をかけるときに、どうすれば変な人だと思われずにいい関係を築けるか。
職場の嫌いな奴からどうすれば距離を置くことができるか。
仕事でのストレスはどうすれば減るか。
早起きが得意になるにはどうすればいいのか。
お腹にため込んだ脂肪はどうすれば落とせるのか。
大きな悩みから些細な悩みまで、私たちは毎日小さな脳を使って悩んでいる。
しかし、人間の悩みというのは、日常生活の中で次々と問題を生み出す温床にもなっている。
お分かりのとおり、人間は悩むことで、苦しみ、迷い、悲しみ、泣き、笑い、怒り、楽しんだりしている。
喜怒哀楽は悩みから生まれる感情であり、感情は基本的に悩みがなければ生まれない。
それゆえ、犬や猫といった動物に感情はない。
あるのは知覚から入力された情報に基づく反射的な反応である。
ここが私たち人間と動物のもっとも大きな違いでもある。
悩みは自分で作り出している
人には一人ひとりその人の人生があり、あなたの一日はあなただけの一日だ。
そして、その一日に色をつけてくれるのが悩みである。
自分を取り巻く状況や環境について、自分の頭で考え、行動し、決断することで私たち一人ひとりの一日が出来上がっていく。
つまり、悩みがない人間は存在せず、悩みは常に自分自身で作り出しているものなのだ。
悩みがないという人は、悩みがないことが悩みという意味で、やはり悩みを作り出している。
たとえば、職場に誰か嫌いな人がいるとしよう。
おそらく多くの人は、その嫌いな人が辞めたり、階段で転んで骨折したり、バナナの皮で滑って転んで頭を打って死んだりすれば、今よりも職場が過ごしやすい環境になると思うだろう。
よく言う「あいつさえいなければ」というやつだ。
たしかに、嫌いな人が職場から文字どおり消え去れば、気分は絶好調で表情が明るく、「嫌な奴がいないのがこんなにも幸せだなんて!」と浮かれ気分になり、お昼ご飯にお寿司なんて頼んじゃうかもしれない。
でも、その喜びもつかの間、数週間後にはまた別の嫌いな人を作っている。なぜか?
仕事がうまくいかなかったり、気分が乗らない理由を「職場に嫌いな人がいるから」と自己正当化するために、以前は気にならなかった人の中から、わざわざ嫌いな人を作り上げるのだ。
こうした、自分に不都合な状態を無理やり他人になすりつけ、自分は悪くないと自己防衛に走る行動を心理学用語で「認知的不協和」という。
自分が認識している事実と、望んでいる現実との不一致を解消するため、無理やり他人を利用して自己正当化するのだ。
そしてこの認知的不協和は悩みにも応用できる。
今の悩みが解決しても、悩むために今まで気にならなかった問題を悩みとして作り上げ、悩みに悩むことになる。
人は悩むことの天才なのである。
悩みがないのが悩み
きっと、人間は心の奥底では「何もない平凡な日々」なんてものは望んでいない。
私たちが望んでいるのは、気分を良くしてくれる刺激的な出来事であり、良い出来事は自分の行いの結果、悪い出来事は他人のせいというユートピア的な世界で生きることなのだろう。
人とつながっていたいけど、つながった結果生じる問題は全部他人のせいにする。ジャイアンもびっくりだ。
考えすぎて疲れている人、悩みすぎて疲れている人は、一度立ち止まって考えてみよう。
もしかしたら、その悩みは自分で勝手に問題を生み出しているだけかもしれない。
悩みがないことに悩み、悩みを持つことが当たり前だと思っていないだろうか。
尽きることのない悩みを持つことは、終わることない苦しみのはじまりでもある。
明日どこに行こうか、何を食べようか、寝る前の時間なにをしようか、といった悩みならいくらでも悩んでもいい。
だが、悩みがないことを理由に、今まで気にならなかったこと、些細な問題でどうでもいいこと、自分の力ではコントロールできないことに悩むのはやめよう。
古代ギリシャ哲学のストア派の教えには、「自分の力でコントロールできないことは放っておけ」とある。
アドラー心理学においても「課題の分離」という考え方で、悩みの境界線を明確にするのが良いとされている。
悩みがあること自体は悪いことではないが、悩む必要のないことに悩むのはエネルギーの無駄遣いである。
悩むのであれば、解決することで自分の成長につながるような、そんな悩みを持ってみよう。
おしまい。