根性無しの自己紹介

子供の頃から、何事もやってみなければ気が済まなかった。

保育園まで徒歩5分にもかかわらず、「通園バス」に憧れて停留所ひとつぶんだけ乗せてもらったり。
ローラーフィギュアなるスポーツに興味を持ち、コーチに連絡をとってみたり(これは叶わなかった)。
突然ロシアに興味を持って、語学力0で留学してみたり。
青森県に魅了され、新卒で移住してみたり。

ごくごく一部だ。あげてみればキリがない。
人に迷惑をかけない限り、それらを許してくれた両親には感謝しかない。
やってみなきゃわからない、やってみてダメならそれはそれで糧になる。
そう思って生きてきた。
だから失敗しても痛い目をみても、自分の選択を後悔したことはなかった。

でも今は違う。
もし「好きな時代・地域にタイムスリップできる」と言われたとして、私が選ぶのは年表上のどの区分でもない。
半年前の自分を説得しにいくのだ。


転職なんてしちゃだめだ、家族を大事にして実家で平和に暮らすんだ、と。

こんな田舎で一生を終えるのは嫌だ、大卒非正規実家暮らしは情けない、20代の若くて貴重な時間を家族のための家事で消費したくない、自分の人生を生きたい!
と思い転職したはいいものの、職場が絶望的なまでに合わなかった。まだ慣れていないだけ、というわけではない。確実に。
同時に家族と地元の良さに気づいた。あんなに嫌だった田舎が愛おしくてたまらなくなった。人が減ったせいで家事の負担が増えてしまった家族に申し訳なさが募っていた。実家を出たことを酷く後悔している。これもただのホームシックではない。

2ヶ月目にして退職を決意した。
ボスにも親にも「判断するには早すぎる」と言われた。自分でもそう思う。
でも、10:30から23:15過ぎまで、1時間あるはずの休憩はとれず、デスクで仕事をしながら15分で食事を胃に詰め込む生活を続けたくなかった。
そして性格も口も悪いボスが声を荒げるたびに襲ってくるストレスがすさまじかった。自分以外の誰かが標的でも耐えられなかった。
完治したと思っていた不眠症(後述)が再発したのか、入眠まで1時間以上かかるようになった。お腹はすくのになにもたべたくなかった。
アパートが2年契約なので、まだ実家には戻らないとしても、辞めるなら早い方がいい。ズルズル残るほど会社にとって損失は大きくなるし、手間がかかる。私の心身も辛くなる。

結局、今、3ヶ月目も終盤に差し掛かっている。

自他共に認める鋼メンタルの母と、残業&持ち帰り&休日出勤が日常である仕事人間の父も、同じことを言った。「早すぎる」「そのうち楽しくなるよ」と。

そもそも私には前科があるのだ。

小学生のとき、祖父が館長を務める剣道場に通っていた。が、嫌になって駄々をこねて破門にされた。
中学高校と、それぞれ理由は異なるものの、精神的に追い詰められた結果、部活を途中で辞めた。
大学卒業後に新卒で入った職場で、不眠症とうつ病を発症し実家に出戻った。

心の病は気の持ちよう、とする両親は、私のことを「根性無し」と言う。
自分でもそう思う。情けなくて仕方がない。でも、無理なのだ。つらくて苦しくてどうしようもない。
ここから飛び降りればとか、上手いこと車が突っ込んでこないかなとか、過労と不眠と栄養不足とカフェイン剤の乱用でぶっ倒れないかなとか、そんなことを思いながら通勤している。
勤務中は終わらない仕事をこなすのに必死だ。ボスの機嫌を損ねないように。誰かを叱責する声に怯えながら。
休憩無し13時間の勤務を終え、日付が変ってから帰宅し、ベッドに入って1時間は睡魔を待ち、7時半に起床する。
休日は昼過ぎまで寝て、家事や買い物などを終えたら、持ち帰った仕事をして終わる。

社会人なんてそんなものかもしれない。
3月までの職場(役所の非正規職員)があまりにも平和で、8:30からきっかり17時までというぬるま湯に浸かっていたせいか、温度差がすごかった。
慣れればって話じゃない。地獄で生きていくのは誰だって辛いだろうに、私は天国を知っているのだ。そりゃもう無理だ。

というわけで、最近は縁切り神社巡りなどをしている。オカルトの類は信じていないし、神社参拝することも死者を弔うことも意味を見出せないというのに。もの試し、いや、そのくらいしかできないからだ。


長くなってしまったが、実家を出て3ヶ月目にしてもう戻りたいという社会不適合なアラサー女のエッセイ的なものを書いていけたらと思う。


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