人生の正午
この言葉って深いと感じるのです…。
人生の午前中に影だったところに光が当たる。
今まで影となっていたものが鮮明に見えてくる。
もちろん午前中に日が当たっていたところが影になる。
人生ずっと午前中なわけはない、日は登れば沈むのである。
ユングは40歳を「人生の正午」と形容しました。人生を太陽の動きになぞって考え、人生を4つの時期に分けて考えたのです。 少年期、成人前期を過ぎ正午を迎え、中年期、老人期で日が沈むというものです。
午前というのは、日が上昇していく時間帯、つまりは人生も「これから」という時期です。心身ともに成長し、自分を取り巻く世界もどんどん広がっていきます。これに対して午後は、日没に向けて「暮れていく」時間帯。人生では、老いていくプロセスに入っていくということです。
だからこそ、以下のように思うのです。
ユングは、「人生の午前の法則を人生の午後に引きずり込む人は、心の損害という代価を支払わなければならない」。また、「午前から午後へ移行するときは、以前の価値の値踏みの仕直しである」ともいっています。人は年齢によって、体力のみならず精神にも影響を受けると考えたユングは、青年期まで続けてきた「生き方」や「行動・思考パターン」を、40歳以降も続けることにより、精神的な「損害」を受けるというふうに考えていました。
40歳以降は、自分の市場価値を「客観的に見直し、認識し直す」ということが必要であるということです。
午後で大切なことは「自分の内面を見つめること」だとしています。
人生の午前の法則を人生の午後に引きずり込む…。
これって自然の法則に反しているからこそ、
生きづらさを感じるということだと思います。
以前の価値の値踏みの仕直し、
自分の内面を見つめると言うのは、
『あり方を探求する』ということだと思うのです。
人生の午前と人生の午後において、
本質は同じであっても、
同じあり方で生きることはできない…。
人生の正午を迎える時、『あり方を探求する』ことは避けられないと思うのです。 もちろん、40代、50代になってから人生が花開く人もいます。
ですが、何も考えずにふわっと人生の午後に入ると、ユングの言葉にある、心の損害という代価を支払わなければならなくなる…。
早いもので、2024年もあと1週間、よりよい2025年を送るために、年末・年始にあり方を探求してみてはいかがでしょう…。