人生において、自分を知ること以上に大事なことはない…
https://note.com/libbil0707/n/n742b758b7a3d
今日は、先日のnoteの続編です。
ここから述べていることは、私の主観が大きく入っていますが、最近のコーチングセッションの中で感じていることなので、誤解を恐れず記しておこうと思います。
いい大学に入って、いい会社に入って、
その流れに乗ることで、
本当に今まで、
ふわっと生きていくことができていた。
でもそれって昭和という時代の幻想なのかもしれない。「社会の優良な部品となり、その部品の役割を果たせば、ふわっと生きていくことができた。」
でもね、優良な社会の部品になるために、自分の「あり方」を削ってというか、削られて、社会の優良な部品となっていた。
その代償として、今までの日本の社会は、経済成長を背景とした、終身雇用を保障していたし、私たちは、毎年ベースアップする給料や福利厚生を受けていた。
自分のあり方を削って、削られて、定年退職した後も、年金システムによって、何とかふわっと生き続けていた。
そして、人生の終わりを迎えるころに、「もっとチャレンジすればよかった!」と思う。
定年退職と言えば、夫によるストレスがもとで心や体にダメージを与える「夫源病(ふげんびょう)」といわれるものがあります。
主人在宅ストレス症候群とも呼ばれるそうです。それにしても、夫婦関係は、本当に難しいですよね。
これも、「社会の優良な部品になれ!」という副作用なのかもしれない…。
家族を省みず、社会の部品として頑張って、会社での居場所を確保しても、ある日突然、定年退職という区切りがつくと、家での所属の場所がないんですよね。居場所もないし、役割もない…。
そもそも、夫婦はもともとアカの他人です。いくら好きで一緒になったと言っても、生まれ育った環境も違えば、価値観・信念だって違います。
それが一つ屋根の下で生活するとなれば、お互いに気をつけないといけないことが多々あります。「夫婦だから」ということで、何でも許されるものではありません。
それを表面的な、コミュニケーションスキルで乗り切ることもできますが、もっと大事なことは「自分を知る」ことだと思うのです。(「やり方」ではなく、「あり方」を知る。)
人生において、自分を知ること以上に大事なことはないのです。
だから、あり方を探求する…。
ありのままの自分で、
笑顔で心穏やかに生きる。
このことに価値がある。
外見はニコニコしていても、相手を恨んだり、怒りくるっていれば、結局、人生の最後には、その代償に向き合わないといけなくなる。
幸せは、お金や財産に恵まれるといったことではなく、安心や満足を伴う心が充足された状態のことだと思うのです。お金持ちであっても、心は戦々恐々、不安いっぱいの人もいます。
反対に、そんなにお金がなくても、幸せに満ちた人もいます。
円満な家庭も、お互いがありのままの自分を知り、あり方で生きることが、安心感や満足感を伴う心が充足された状態につながると思うのです。
優良な社会の部品になることを探求するのではなく、あり方を探求する。自分を知ることが生きることであり、幸せへの近道なんだろうな。
『あり方で生きる 対話で生きる』