他人の期待に応える人生には2通りある
自分には、価値がないから、
他人の期待に応えることによって、
他者承認を、
自分の価値として生きる。
しかし、他人の期待なんて、
常に移ろい変わりゆくものなので、
いつまで頑張っても、
安心感を得ることができない。
そして、徐々に疲れて、
最後に疲れ果ててしまう。
一方ね、
自分には、
価値があるのに、
誰も私の価値を認めてくれない。
だから、
他人の期待に応えて、
自分の価値を認めさせるぞ!
そうやって、
他人の期待に応えることで、
他者承認を、
自分の価値を認めさせる手段として生きる。
こういう人もいる。
違いは、
①他者承認を自分の価値とするのか、
②他者承認を自分の価値を認めさせる手段とするのか…。
でも、本質は同じ。
自分の価値をしっかりと認識できていないということ。
①の場合は、他者承認は、自分の価値にはならないよ。だから、もっと自己理解を深め、自分の価値を探求しよう!という流れでなんとか対処できる。
もちろん、そう簡単なことではないことはわかっている。
しかし、②の場合は、
他者承認を自分の価値観を認めさせる手段としているところに複雑性が増す。自分の価値をしっかりと認識できていないことを棚に上げ、他者承認をもらうための手段にばかり意識を向けすぎている。
だから、
「誤解されやしないか」
「わかってもらえないんじゃないか」
「嫌われたらどうしよう」
と、心配の種が無くならない。
そうして、他人が信用できなくなるので、
何でも1人でしようとしてしまう。
何でも1人ですることなんて、
そんなの無理だよね。
だから、
いつまで頑張っても、
安心感を得ることができない。
そして、徐々に疲れて、
最後に疲れ果ててしまう。
誤解するような人、わからない人、嫌うような人のために生きることで、
自分の価値なんて証明できないよ。
わかり合える人、心が通う人、自分を必要とする人が必ずいる。
そのような人たちと巡り合うために、
自分のあり方で生きる必要がある。
ありのままの自分を待っている人は必ずいる。
他人の期待に応える人生には2通りある…。
①他者承認を自分の価値とするのか、
②他者承認を自分の価値を認めさせる手段とするのか…。
この違いに気づくだけで、
見える世界が変わるかもしれない…。
他人の期待に応える人生から、
自分の人生を歩む…。
人生のハンドルを握る…。
答えは自分の中に、
そして、
未来は対話の中にある。