断定が多い相手の意見は議論においては無視すべき理由|議論について考える #1

昨今は社会の高度化に伴い、様々な視点から議論をすることが必要とされているかと思います。そこで当シリーズでは「議論について考える」ということで、どのような議論は望ましくてどのような議論が望ましくないかについて考察していければと思います。

#1では「断定」をテーマに取り扱おうと思います。少々具体的に考えて、たとえばTwitter上のやり取りはどこまで対応してどこからは無視すべきかという基準はなかなか難しいです。相手の来歴がわからない中、基本的に140字以内のやり取りが中心となります。気に食わないリプライは全てブロックでも良いですが、それはそれでエコーチェンバー化する(閉鎖的かつ同質的な中でやり取りを繰り返すことによって極論が強化される現象が起きる)可能性があります。

ということで、Twitterのミュートやブロック一つとってもなかなか基準化するのは難しいですが、「断定」に注目することで基準としやすいのではないか、というのがこの記事において考えたいことです。

※ 細かい言葉の定義よりも全体の論旨を優先しますので、この点はご容赦ください。

以下、当記事の目次になります。
1. 本来的には「断定」できる局面はそれほどない
2. 「断定」によって生じる効果
3. 議論に「断定」は不要
4. 議論にあたって「断定」が多い場合は無視すべき
5. まとめ

1. 本来的には「断定」できる局面はそれほどない
1節では「断定」が可能な局面について考えてみたいと思います。まずは断定の定義を簡単に確認しておきます。

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https://dictionary.goo.ne.jp/word/断定/
上記によると「断定」は、「はっきりした判断をくだすことで、だ、です、である、などの語を用いる」とざっくり把握して良いかと思います。対義語として「〇〇ではないか、〇〇であろう、〇〇と考えられる」などの「推定」「推測」が挙げられるかと思います。

大体の意味について抑えたので、次に「断定」「推測」の使い分けについて考えてみようと思います。まず「断定」のわかりやすい例としては、「引用」が挙げられると思います。「Aが〇〇のように述べた」や「Bの調査によると...」のように、引用は「事実」を基本的に取り扱うため、「断定」になりやすいと思います。

一方で、「推測」については「自分の見解を述べる」際などに用いやすいです。「〇〇であろうと考えられます」などのように、不確定要素がある中で意見を述べる際にこのような表現は有用です。

さて、使い分けですが、基本的に「断定」が可能な場面はそう多くはないと思います。というのも「引用」だけでは何かしらの「決定」が行えないからです。「意思決定」を行うにあたって、「断定」をするという使われ方もしますが、基本的には不確定要素を取り扱うものである以上、「おそらくこれで良いだろう」と「推測」の積み重ねとして考える方が状況の変化に対応しやすいです。

「意思決定」における「断定」と「推測」の比較は、平時だとそれほど変わりない印象ですが、「危機対応」などにおいては「推測」型の方が成功しやすいと思います。というのも「意思決定」において不確定要素を許容できない「断定」と、不確定要素を許容できる「推測」では取りうる可能性が大きく異なるからです。もちろん、全体を動かすにあたって「断定」的な進め方も重要ですが、それはあくまで「戦術レベル」の話であり、「戦略レベル」では「推測」を中心とするのが重要だと思います。

ということで、「断定」を中心に話を進められるケースはそれほど多くはないのではないか、というのを1節の結論としたいと思います。

2. 「断定」によって生じる印象的な効果
2節では「断定」的な表現によって生じる印象について考えてみようと思います。1節では本来的には「断定」できる局面はそれほど多くはないだろうというのを結論としましたが、常に「推測」的に進めるのが良いのでしょうか。

「断定」と「推測」を考えた際に「推測」の方が文量が多いというのは何かしら取り扱いが必要なのではないかというのが筆者の見解です。具体的に例を挙げるなら「マーケティング」や「営業」です。「マーケティング」においてはなるべく表現を削る必要があるし、「営業」においては商談相手が決断しやすいような話の展開を行う方が決まりやすいです。「おそらく〇〇を購入していただければ効果が出ると思います」という表現よりも「〇〇を購入すれば効果が出ます」とされる方が購入されるケースは多いと思います。

また、緊急時の避難などの状況では、津波が迫っている際に「あれは津波だと思われるので、避難した方が良いと思います」よりも「津波が来てるので避難しましょう」とする方が、助かる率は高いと思います。このように、「断定」が有用な状況もあります。

ここまでの話を受けて、「断定」の与える印象的な効果はどのようなものか考えてみようと思います。「断定」は相手に考えさせないで行動させることが望ましい状況においては有用だと考えて良いと思います。ということで、「考えさせないですぐに行動させる」というコミュニケーション上の効果を生じさせると考えて良いかと思います。

「断定」と「推測」を考える際に、「戦略レベル」では圧倒的に「推測」が中心であるべきで、「戦術レベル」以下では徐々に「断定」が望ましくなり、特に急ぎで対応しないとリスクが大きい場合は「断定」の方が望ましいと考えて良いかと思います。ということで「断定は相手に考えさせないで即時の行動を迫る」というのがコミュニケーション上の効果と考えて良いかと思います。

3. 議論に「断定」は不要
1節、2節では「断定」と「推測」について色々と確認を行いましたが、3節では「議論において断定は不要」ということについて述べたいと思います。もちろん引用にあたっては「断定」で良いですが、そもそも議論は不確定要素の大きなテーマを取り扱うものである以上、「断定」よりも「推測」が中心で意見交換する方が望ましいと思います

何かしらの「文献」を引用したとして、必ずその文献の「解釈」が必要であり、「解釈」にあたっては「断定」をするのはあまり望ましくないかと思います。日本においては専門的な議論において「断定」が良いとされがちの印象を筆者は受けますが、「特定の領域の専門家」が他の領域も含んだ全ての事象について理解していることはありえないため、「断定」は本来かなり難しいはずです。

なので、本来的に議論に「断定」は不要なはずであり、「断定」を中心にすると「評価が難しい」という理由などから結果的に「Aさんの主張だから正しい」のような「権威主義」になりがちです。

4. 議論にあたって「断定」が多い場合は無視すべき
4節では議論において「断定」が多い場合の取り扱いについて考えてみようと思います。もちろん「ある程度評価されている専門家(大学教授など)」と「一般人」が議論する場合は専門家側が基本的に正しい前提で進めても問題ないとは思いますが、こちらについては「議論」ではなく「指導」に近いのでここではあくまでフラットな立場の人間同士の議論を前提としたいと思います。

お互いが対等な前提で議論する場合において、どちらが正しいかは話を進めてみながら考えると良いと思われるので基本的には「推測」を中心に意見交換するのが良いかと思います。ここで「断定」が多い相手には注意が必要です。「推測」が中心の方が望ましい状況において「断定」が多い場合は「意図的にやり取りをコントロール」しようとする人が多く、多くの場合「論点のすり替え」を繰り返し「論破」やストローマン論法から「中傷」につながる場合もあります。

特にTwitterなどの相手がわからないやり取りのように経歴的に明確に専門家だとわからない状況では「断定」的な表現は避ける方が望ましいと思います。このような相手には返信は基本的に行わずミュートやブロックが望ましいと思います。

5. まとめ
5節では当記事の内容について簡単にまとめたいと思います。当記事では「断定が多い相手の意見は議論においては無視すべき」ということについて、「断定」と「推測」に関してのそれぞれの性質を確認しながら議論を進めました。

「断定」的な表現が多い人の議論は「論理のすり替え」が起こりやすく、「権威を使って論理をすり替える」場合は「権威主義」、「前例を用いてすり替える」場合は「前例主義」、「ストローマン論法を用いる」場合は「議論の不必要な複雑化」、「対人論証」の場合は「人格否定」、「新しいものは必ず良いとする」場合は「伝統や秩序の破壊」など、「詭弁」的な論法を用いて極端な結論に行き着く可能性が高くなります。

当記事のテーマは「詭弁」と合わせて抑えておくと良いと思われますので、興味のある方は下記も参照してみていただけたらと思います。
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