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朝読書の奇跡??

 まずは、上の画像について。canvaというアプリで自動作成しました。キーワードは、#中学校  #朝読書 #男女 #日本 これを入力すると、このような画像ができあがりました。ビックリしました。英語のタイトルに、私は何も関与していません。それに、随分デカい本ですね。生徒も男の子1名のみ。机の間隔も不自然なのが、ご愛嬌というところでしょう。

 さて、大げさ極まりないタイトルをつけましたが、本稿はフィクションではなく、私自身が実際に経験した紛れもない事実です。最後まで読んでいただけたら、約3年の月日を費やして成し得た奇跡に出会うことができるかと思います。特に、生徒指導でお悩みの学校の皆さんにお勧めします。

 1990年(平成2年)、Uターン組の1人として1000人規模の中学校に勤めることになりました。そこで直面したのは、古色蒼然とした教育現場でした。平成の時代とは信じられない古めかしい考え方で、学校は運営されていました。「ここの教育は10年遅れている!」と、埼玉県からUターンしてきた同僚と、よく飲みに行っては文句タラタラの毎日でした。

 生徒指導においても、生徒を怒鳴り、腕力で押さえつける時代遅れのやり方がまかり通っていました。以前、それを多少脚色した記事を公開しています。よろしければ、お読みいただきますように。

 この記事では、ネガティブな側面を強調すべく、わざとポジティブな出来事を削ぎ落としています。しかし、『詩の授業の思い出』で述べたような嬉しいことも数多くありました。昔の記憶は、美化されるものなのです。

 依然として学校は、荒れていました。忘れもしない平成8年、朝の打ち合わせと同時に、屋根の上から爆竹が次々と打ち鳴らされました。アカデミックなチャイム音を消し去る爆竹の連続的な爆音は、教師の存在意義を粉々に打ち砕きました。爆竹は、抑圧主義の終焉を告げる狼煙(のろし)でした。

 当時は、「朝自習」と称して始業後すぐに用意した学習シートに向かわせていました。朝っぱらから精神衛生上良くないという意見と、緊張感をもたせることが大事だという意見が対立していました。生徒に自習を指示したら学級担任は打ち合わせに出て行くため、全教室がやりたい放題状態になっていました。多くの問題行動も、このスキマ時間に起きていました。ちょっと一服する時間なのでした。

 それまで、「全体打ち合わせ」を毎朝行っていましたが、それどころではなくなったという判断により、週2回に限定されました。学級担任は、ほぼ担当教室に張り付き状態になり、監視体制が強化されました。しかし、それは単なる消極的生徒指導に過ぎませんでした。長年に渡る抑圧主義から続く対処療法に変わりなく、改善の兆しさえ見えない状態でした。

 ある日、管理職と各主任による「企画会議」の席で、当時1年主任だったW教諭から興味深い提案がありました。

「朝自習はやめて全校朝読書の時間にしよう」

 W教諭は、私と同じ国語担当で、確か4歳上でした。教育雑誌で、「朝の読書運動」を知ったそうです。朝読書は、全国的な取組に発展しており、副次的に生徒指導上の効果があるということを強調していました。そんなことは誰もが初耳でした。初めは私さえも、いぶかしげに聞いていました。しかし、実施方法の説明を聞いて、全面的に賛同しました。

 そこには、あくまでも生徒の自発性・自主性を重んじるスピリットがあったからです。もしもこの取組が成功したら、学校全体が生まれ変わるとさえ思いました。あれこれ反対意見も出されました。私は、積極的に擁護しました。結局、「まあ、やってみようじゃないか」という可能性を信じた校長の鶴の一声で、その実施が決定されました。

 朝読書は、軌道に乗るまでに、相当な時間を要しました。朝の始業チャイムが吹鳴されたら朝読書の時間となります。その時間帯、学級担任をクビになった生徒指導主事の私は、職員室で管理職と各主任たちだけの打ち合わせ中。聞くところによると、始めた当初は、めちゃくちゃだったと聞いています。まずは、朝から机に突っ伏して寝ている生徒、昨日出された宿題や塾の問題に取り組む生徒、小手紙のやり取りをしている生徒など、朝読書をするような雰囲気ではなかったそうです。

 朝読書には、次のような4原則があります。

1.みんなでやる
2.毎日やる
3.好きな本でよい
4.ただ読むだけ

 これだけの条件のどこに、生徒指導的効果があるのでしょう。まずは、ケース・バイ・ケースに即した対応を共通理解することから始まりました。その年に、学校心理士の資格を取得した私は、C.R.Rogers による「カウンセラーの3条件」から、「無条件の肯定的配慮」を求めました。すなわち「強要しない」「否定的な言動は慎む」「できる援助は全てする」という、今までとは真逆の指導態度を求めたのです。

 読書をしない生徒を叱責するのではなく、学級の一員として取り込んでいくこと。これこそ学級経営そのものです。肩に余計な力を入れずに、自然体で読書に向かう姿勢を大切にするのです。その雰囲気を大切にしていくことによって、個々の生徒が帰属意識をもてたら、こんなに素晴らしいことはありません。

 読書時間は、10〜15分。大きな変化は期待できません。しかし、「継続は力なり」を信じて毎日のルーティンとしていくのです。個人としては、心のコンディションは日々変化しますが、学級集団に内包される心地良さを味わってほしいのです。

 自分の好きな本を毎日読む。その楽しさは格別です。しかし、読書に漫画は値しません。雑誌も値しません。禁止するのは簡単です。生徒の良心を信じるだけです。それに逆らうのを責めたりもしません。そんな些細なことで、いい雰囲気を壊してはならないのです。問題は、時が解決してくれると信じるだけです。

 読書に理由は要りません。期待するのは、心の潤いであり、楽しむ心です。読む本がない場合には、担任の古本を貸してやります。教師なら、自宅に何冊かの文庫本が転がっているはずです。図書館で借りてもいいのです。もちろん読書の記録も評価なんか、一切なしです。

 こんな姿勢を全校全学級で、延々と続けてきました。振りかえりのスパンは、上下半期や年度と気長に構えて、気長に歩んできました。いつの間にか、始めた時の1年生も、3年生になっていました。それだけ時間をかけて取り組んだということです。

 彼等は、合計何時間読書してきたのでしょうか?数える必要もありません。生徒数の減少により、3年棟に空き教室が1部屋できました。そこには、「〇〇文庫」と呼ばれるカラーボックスが置かれていました。〇〇とは、私の名字です。私の古本を提供したということです。

 遠藤周作、夏目漱石、星新一、曽野綾子などなど、私が中高生の時に読み耽った文庫本が、専用カラーボックスに200冊ぐらい入っています。ごくたまに、その中の一冊を読んだ感想などを話してくれる生徒がいました。嬉しくってたまりませんでした。

 私の日常は、主に外回りでした。まず、バケツと火バサミを持って、広い校舎周辺を歩きます。かつて、1日に2回で、山盛りに吸殻2杯分。そして、警察署、福祉事務所に顔つなぎ。時には、児相、教護院、鑑別所、家裁などに出張することもありました。ほとんどが、問題行動への対応のためでした。そういった物々しい関係諸機関で、「顔パス」状態になるほど出入りした時期もありました。

 学校が落ち着きを取り戻したのは、朝読書のおかげなんていう気もありません。しかし、毎朝1000人もの生徒たちが、意味のある静寂を楽しんでいます。学校は、明らかに居心地のいい場所になりました。しかし、法に関わる反社会的問題行動は減少したものの、不登校などの非社会的問題行動は、増加の一途だったのが現実でした。せっかく居心地の良くなった学校に来れなくなった生徒が増えていくのに、ただ心を痛めていました。

 朝読書は順調に行われていると、学年主任や学級担任の誰もが言っていました。どの程度うまくいっているのかという話は、聞くことなく時が流れていきました。私が見極めたかったのは、各学級集団として取り組んでいるのかということです。

 校内生活の正常化は、一応感じていました。始業時、私の役目は、門番でした。ギリギリ登校で遅刻してしまう生徒は、明らかに減っていました。学校全体が、朝の落ち着いた時間を大切にした結果でした。

 取組の成果を、この目で見たい。静寂な空気を感じてみたい。この衝動は抑えられなくなりました。そして、その思いを実行したのです。

 記憶は定かではありませんが、衣替えが終わった秋のことだったと思います。毎週月曜日は職員室に全員が集まって打ち合わせが行われます。すなわち、全教室に学級担任はおらず、生徒たちだけが朝読書をするのです。教務主任の号令により、全職員が起立して朝のあいさつを交わします。その瞬間をねらって、私は職員室を抜け出しました。

 校内を1人で歩きました。3つの学年棟(2階建て)の廊下を、忍者の如くそろりそろりと歩いて、耳をそばだてます。24学級全てが、物音ゼロでした。教室の戸を開けて見るなんて無粋なことはしません。静まりかえった中、時折ページをめくる音が聞こえます。遠くから、鳥のさえずりも聞こえます。戸を開けて見てみたい衝動を抑え、回れ右をします。

 各学年棟の間には、昔テニスコートがあったという空き地がありました。そのため、建物を隔てる物は何もなく、20mほどの距離はあるものの、隣の教室内の様子を眺めることができました。2年棟1階の廊下から、3年A組からD組、2階の廊下からE組からH組の様子が、少し遠目ながら一目瞭然でした。

 立ち歩いたり机に突っ伏している生徒も、問題集とノートを広げている生徒もいませんでした。全員が文庫本、単行本を両手で持っているのです。そして、視線は本に向けられていました。2年生や1年生の教室も、同じように見て歩きました。

 1000人が無言で読書をしているのです。

 奇跡を見たと思いました。学年棟を結ぶ広い廊下に戻り、全体の中心と思われる位置に立ち、もう一度耳を澄ませました。かつて、カウンセリングのトレーニングの際、意味のある沈黙とただの沈黙の違いを学び、聞き分けられるスキルにより、ここに流れる沈黙を聞き分けました。紛れもなく意味のある沈黙でした。自分の体温が少し上昇しているのを感じました。

 職員室に戻りました。体験した事実を大声で報告しました。しかし、そのリアクションは意外なものでした。学級担任たちは、私を冷めた目で見ていました。「当然だろっ」という目でした。私は、ばつが悪い思いで座りました。そして、「知らぬは己ばかりなり」を実感しました。私の知らぬ間に、学校は生まれ変わっていました。「自分の出る幕なし」を知った瞬間でした。

 もう25年前の話ですが、私は未だに魔法を経験したという思いでいます。今や生徒1人にタブレットPCが1台の時代。電子書籍という媒体はあるものの、朝読書に限っては、ぜひ紙の本を読ませたいものです。両手で本を持って読んでいる姿は、人間の美そのものだと思うのですが、いかがでしょうか?

 ネットで、「朝の読書運動」を検索してみてください。朝読書の効用を理解していただけると思います。ぜひ、スペシャルな経験を!






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