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それって「画餅」?

 2030年まで、5年と数ヶ月。17の目標を達成する意志があるのだろうか?スーツの襟にバッジを付けて、丸の内のオフィス街を闊歩しているビジネスマンに問いたい。このスローガンを、会社のPRに利用しているだけなのではないか?バッジは、見せかけの社会貢献のトレンドに過ぎないのではないだろうか?世間で一流サラリーマンと言われている人たちに、二択で問うたら、どう応えるだろうか?

 SDGsは、「持続可能な開発目標」と日本語訳されている。人間が暮らし続けられる持続可能な世界を実現するナビゲーションと、説明されているのも見た。目標のひとつひとつは、誰が見ても必要なことだ。しかし、17に並べられると、「絵に描いた餅」に見えてしまう。具体的な取組は、いろいろと報道されている。しかし、それぞれの目標に関する達成状況は、国や国際機関単位での発表はない。「画餅」は食えない。絵空事だからだ。

 時にスローガンだけ先走りして、現実を見失ってしまうことがある。その典型となるだろうという、穿った見方もされる可能性が大きい。例えば「持続可能」なのは、目標達成への取組に終わりはないと同義だと、受け取られかねないということだ。この目標成立における背景への理解が、一般社会で確立していないからだ。ただのトレンディな流行語だという不謹慎な発言をどう論破できるだろうか。

 まず、私たちが変えるべきは「対岸の火事」感覚だとすると、誰が何をどんな方法により、どれぐらいの時間が必要なのだろうか。国内で起こった甚大な自然災害を、涼しい顔でテレビを見ていられる感覚では、何も変わらない。人間は賢いという幻想から、人間は愚かな存在だという現実を吐露するだけである。そんな目で上のカラフルな掲示物を見たら、どうだろう。

 今の日本では、長い年月で培ってきた古き佳き仲間意識を、ねじ曲がった個人主義という害虫が、大切な葉っぱを食い荒らしていると見える。集団的無意識の崩壊が、進みつつある。また「ボランティア」という言葉の意味が歪んだ理解にさらされている。それを棚に上げての取組は、プラスの結果など生み出さない。

 昔のテレビドラマに、こんな台詞があった。「同情するなら、金をくれ」という、子役の一言。それを、そのまま投げつけたいと思う。改めて見てみると、17の目標の全部が、未来への巨額の投資によって解決するようだ。敢えて乱暴な提案をさせていただく。





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