「トイレ学」研究動機②
象潟や雨に西施がねぶの花 芭蕉
松尾芭蕉の「奥の細道」における一句。これを拡大解釈して、秋田県象潟町と中国の上海の奥にある「諸曁(ショキ)」という町とが、こじつけの日中友好関係を結んだ。西施は、楊貴妃などと並ぶ中国古代四大美女と言われ、象潟の地に可憐に咲く合歓の花から想起した、助平俳人芭蕉の名句とされていた。
1997年7月。高校時代の学級担任から無理矢理日中友好団のメンバーにされて、地元高校の吹奏楽部生徒たちや海外が初めての議員さんたちと、この地を訪れることになった。翌月に婚約を控えているのに、渋々参加した。トイレに関する忘れられない記憶を、ここに記す。
新潟空港発杭州行きのチャーター機は、マイクロバスと同じ席割のミニ・ジェット機。中華何とか航空という名が記されて、頻繁に高度を上げたり下げたりと、プロペラ機並の不安定な飛行。ドシンと着陸した杭州空港は、田舎の無人駅のようで、入国審査もせずに、空港外に出られた。待っていたバスのガイドさんが開口一番、日本語で「トイレは有料です。◯元支払ってご利用ください」と大声で叫んだ。
外貨の準備をしていない旨を伝えると、トイレの管理人と話をして、「日本円で500円です」と皆に告げた。私は、新潟空港で絞り出してきているので利用しなかった。しかし、多くの女性陣が駆け込んで行った。トイレ1回で、何と500円。ボッタクリだと思った。
一応VIP扱いで、毛沢東が利用したというゲスト・ハウスに宿泊した。しかし、食べられる料理がなかった。どの料理にも「八角」という匂いの強烈なの香辛料が使われていて、好き嫌いゼロの自負がある私でさえも、お粥ばかりを口にしていた。そして、遂には腹を壊してトイレとお友だちになってしまった。
この訪問のメインは、吹奏楽部の演奏会だった。高校生たちは、食事をお菓子で何とかしていたようだ。現地の音楽ホールで公演が行われた。観客はごく僅かだった。何と始まってすぐの、1曲目途中で催してきた。曲が終わった瞬間、トイレに駆け込み、まず唖然とした。地面が奥の方に坂道状態で迫り上がっていたのだ。
その光景は、すぐには理解することができなかった。奥の方から、水路が2本流れていた。壁際を流れるのが、小用。そして、壁の真ん中から流れるのが大だと判断して、すぐ近くの個室に飛び込んだ。ドアを閉めようとしたが、存在せず。仕方なく水路に跨って用を足した。本能的に、水路の上流の方を向いていた。水の流れは、小川の如くゆっくりとしていた。
上流から、紙が流れてきた。誰かが上の個室に入っていることがわかった。そして、その後に、立派な物体が私の股間の下を悠々と通過していった。それは、その人物の用足し終了を告げる合図でもあった。斜面を下りる足音がピタピタと聞こえた。音は止まり、確かに視線を感じた。とっさに「頭隠して尻隠さず」状態になった。この言葉どおりの行為をしたのは、長い人生で一度きりだったと思う。
ここは、水洗トイレではなく、水流トイレだった。ずっと大切にしていた貞操を奪われたような思いで、客席に戻った。トイレには、私をトップバッターとして、公演中に何人かの男性が席を立ち、青ざめた表情で戻って来た。
訪問先では、歓迎会があった。中央には、巨大なスッポンの姿煮が置かれていた。恐る恐る誰かが箸で触れた瞬間、首がポロリと落ち、女性は叫び男は目を逸らした。しかし、それがきっかけとなって、初対面の人ばかりの席が和み例のトイレが話題の中心となった。
誰かが「羞恥心」という言葉を発した。全員がうなづいた。結構お年を召したお爺さんが、「野グ◯の方がマシだ」と言った。また全員がうなづいた。何とも言えない体験が、連帯感を生み出したようだった。改めて、紹興酒で乾杯した。シロップのような酷い甘さに驚き呆れ、全員で大笑いした。ポロリと涙が1粒出た。
これこそ、川を跨いで用を足す「厠」ではないかと考えた。スマホでググってみると、次のような文献があった。
その文献には想像図として、川岸にベランダ状の建築物を作り、その真ん中を開けた状態にして両側を跨いで用足しができるとされており例の音楽ホールの方式とは、発想が異なっているようだった。やはり、中国四千年の歴史とは異なる簡易的な物だったことが、わかった。日本の厠は、中国の公衆トイレとは、似て非なる物であることが判明した。
通常、個室で用を足す場合、ドアを閉めた上で施錠する。これはマナーと言うよりも、プライバシーの問題である。そして、現代人としての尊厳の問題である。現に扉のない水流トイレを経験をして、他人の排泄物が流れて行く様子を目撃し、更にサンダル男に用便を見られた。
その心の傷は、なかなか癒えることなく、帰国してからも個室の施錠確認を怠ることはなかった。同じ旅をして、同じ経験をした人たちも同様な警戒心を抱くようになったようである。これは、特殊な環境に遭遇したことによるトラウマと定義づけすることができるだろう。
さて、我が家の1階トイレは、男性用小便器と洋式便器の2つが備えられている。建築を依頼した工務店の棟梁さんの発案であった。基本コンセプトは「バリアフリー」である。当時、車椅子を使う老人介護に適した建築に対しては補助制度があったらしい。屋内の全ての扉は引き戸であるが、部屋の境目に段差はない。トイレも、車椅子に座ったまま入ることができる。そのため、私が小用をしていると、まだ幼児の娘がトコトコ入って来て、隣でウンチを始めるのは日常であった。何の違和感もなかった。
この影響か、トイレに鍵をかけない習慣ができてしまった。鍵は一応付いているが、内外どちらからも開け閉めできる構造である。その後子どもたちの成長とともに、トラブルが頻発した。私は、腰掛ける前に施錠確認をするようになった。娘たちには、自分たちの部屋の横にある2階で用足しするよう命じた。そのため、私が2階個室に入ることは、御法度となった。親しき仲にも礼儀あり。家族であっても、プライバシーありである。
あれこれと話が錯綜したが、そろそろ本論を帰着させることにする。そもそもトイレの個室とは、単に排泄の欲求を満たすだけの存在ではないと考える。かつての私にとって、トイレの個室は楽しい読書の場であった。実家のトイレには、なぜかコミック漫画が5冊ほど入るスペースが設けられていた。
そこには、いつもコミック漫画が置かれていた。だいたい『美味しんぼ』シリーズで、弟の愛読書であった。トイレの中で、究極のメニューと至高のメニューの対決を見るのは、美食と排泄という禁断のギャップを楽しむ唯一の機会であった。漫画だから可能であったと思う。
トイレは、誰にも見られていない解放感に満ちている。すなわち、完全に個として存在できる場である。社会の一員として生きていくためには、いろいろな人物とのコミュニケーションが不可欠である。生まれや育ちや年齢や立場が全く異なる人との関わりは、社会人として避けて通れない茨の道であろう。そんな時、トイレの個室は「駆け込み寺」的存在になり得る。
私自身も、かけがえのないリラックス・スペースは、職員トイレの個室である。便意がなくても、時間が許すなら個室に入り、スマホを見たりしている。何かに憤ったからではない。自分のささくれたマインドを修復する目的で、意図的に個室に入るのである。
最近、衛生観念が浸透したのか、清潔なトイレが多くなった。トイレでのリラックスは、完全に習慣化している。同じ思いで、この生きにくい社会に身を置き、同じ思いの人も多いだろうと、容易に推測することができる。癒しのスペースは、自分で見つけなければならない。
さあ!仕事を放り投げ、トイレに行こう!
以上、臨床心理学及び学校心理学を専攻してきた者の提言である。現役社会人の皆さまの心の平穏を、祈るばかりである。 fin.
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