メンタルヘルスの怪
ストレス・チェックは、従業員50名以上の事業所が、労働安全衛生法により実施を義務づけられています。2014年に正職員10名、パート30名の職場に転職。ストレス・チェックは、努力義務(やらなくても罰則なし)ということで、今年になって生まれて初めて受けさせられました。
今回は、今年2回目になりますが、質問文の粗末さに、再び呆れ返りました。まず4つの選択肢から1つ選ばせる4件法。この心理検査の目的がストレスの強弱を測定することだとすればストレスを感じる・感じないというイエス・ノー方式になってしまい、信頼性及び妥当性を欠いています。どこかの業者に委託しているのでしょうが、陳腐極まりない検査でした。
そして、実質は二者択一のチェックの被験者の人たちは、どんな気持ちで回答するかという配慮はゼロ。設問の冒頭を1問にマークして、それ以降は設問の内容も見ないで、以下全部同じ場所にマークするでしょう。もし、その中に逆転項目を1つでも潜ませたら、回答の矛盾点ありのエラー・メッセージが出て、被験者の質問紙に向かう姿勢も変わるでしょうが。
こうした、心理検査のイロハもわきまえずに作成された検査に、本音を吐き出す人などいるのでしょうか。ましてや、この検査を利用して医師に相談を希望する人など、いるのでしょうか。考え方が古すぎます。今や、心療内科や精神科の敷居は低くなっているのを、知ってのことでしょうか。何か大きな勘違いをしているように思われます。すなわち、ストレス・チェック単体では、何の役にも立たないことを、お偉いさんたちは早く知るべきでしょう。
心を病んでいる人は、この検査でどんな回答をするか、おわかりでしょうか。とにかく、かなり慎重に高ストレス状態とは無縁な選択肢を選ぶことでしょう。そして、事なきを得る。それだけです。フィード・バックは、管理職を通さず直接本人にされますから、その職場にはメンタルヘルス面の問題が、職場内で露見する可能性はありません。
このようにストレス・チェックは、職場環境に何の影響もなく、調査会社が利益を得て終了します。重大な危機的状態を事業所の長が知り危機感を抱くのは、従業員の遅刻や早退、そして欠勤が増えて、休職者が出現し、生産性が劣化するという末期状態になってからです。それまでは、知らぬは経営陣だけという状態です。
従業員にストレス・チェックを受ける義務はありません。また、事業者が強要することも厳重に禁じられています。しかし、現実では参加率のパーセンテージを何度も告げて、強要を迫るパワハラ発言があるのが事実です。これこそストレッサー管理職と呼ぶべきです。
そもそも、回答そのものを認知しているストレス状態を集計して、どうするのでしょうか?わかりきっている状態を再認識して、何のメリットがあるのでしょうか?強要されている従業員の皆さんは、誰もがそう思っていると思いますが、これが誤った認識か知りたいものです。
職場に来れなくなっている人は、今まで多く見てきました。それを全体の問題として扱わずそっとしておく状態で、何の改善も見られないのが、厳然たる事実です。あくまでも本人の問題だと決めつけることこそ、職場における冷酷なハラスメントだと思いませんか?
このストレス・チェックの大元締めは、厚生労働省です。「うつ」などのメンタルヘルス不調を未然に防止する目的で行われているそうですが、それ以前に「うつ」すなわち鬱病とは何かという認識に欠けていると思います。鬱病において最も危険な状態が、「自殺念慮」であることが曖昧にされていると思うのです。
鬱病の原因は、脳疲労だと著名な精神科医は強調します。私もそう思います。現在、休職状態からリハビリ期間に移行して、午前中勤務を繰り返したりしたりしている職員がいます。負担を軽くしてあげて、完全復帰に仕向けるという意図らしいのですが、見ている限りでは、かなりの的外れを感じています。
一言で表現すると「腫れ物扱い」なのです。本人は、その処遇をどう感じているのでしょうか。一応心理士ライセンスのある私の目には、居心地悪そうにしか思えません。本人は、職場の中で、休んでいる時よりも孤独感が強まっているのではないかと推察されます。
来談者中心療法を提唱した C . R . Rogers は
「人は人によりてのみ。されど…」という言葉を残しています。弱った人の心のケアは、当人以外の人にしかできない。しかし、それだけで元気になれるわけではない。最終的には、本人自らの意思と行動に任せるしかないのだ。そんな意味合いだと解釈しています。
産業カウンセリングや健康経営アドバイザーのテキストには、職場復帰手順についての段取りが、こと細かく書かれています。そんなマニュアルを適用すれば良いという考え方そのものが、間違っていると思います。
労務を軽減するという配慮は、果たして効果的なのでしょうか。休職明けの人は、まだ心は元気満々ではないに決まっています。しかし、体はどうでしょう?肉体的には問題ない場合が多いと思います。実際、私の目に映る姿は、常にイラつきを隠そうとしている人物です。
周囲の扱いは、身体の病気で入院して退院した人を扱っているようにしか見えません。ちょっと重そうな段ボール箱を持ち上げようとすると、「無理しないで!」の声が飛びます。私だったら「こんなの大丈夫ですから」と口答えしてイラつくことでしょう。
更に、気遣いなのでしょうが、仕事以外の雑談をしてあげないことです。構えた会話ばかりだと、温かみゼロです。かつて、その状態にある人と猥談で盛り上がって、一緒に然るべきお店に行ったことがありました。これを無神経と言われるのでしょうか?
脳疲労は、「ゆっくり休んでね」が禁句だと知っているでしょうか。脳は、24時間稼働しています。休むということは、意識を失わないとできません。ですから、脳が疲労回復するために欲しているのは、ルーティン化した生活ではなく、ちょっと尻込みするような仕事をお願いすることなのです。
荒療治的には、「できませんでした」と根を上げるような状態を経験してもらうことも、時には必要かと思います。悪い例えですが、重症の場合は心理的なAEDが効果的な場合もあるのです。ただし、アフターケア的スキルがないとトラウマ発生事態になりますので。
リハビリ期間にある人には、次なるステップが必要です。専門家のアシストによる心のゴミ捨て完了体験です。すなわち、カタルシス状態を経験することです。そして、心のキャパシティを確保してもらい、後は、自力で進む指示を告げるのみです。
それが1回できれば即解決となると考える人は、骨が折れるのと心が折れるという現象を一緒くたにする悪癖から脱していないのです。手がかりは、表情やしぐさと頼りない観察しかありません。それを表か裏か、本音か立て前かを察知できなければなりません。
データで何とかならない世界を甘く見るなよと、仕切っている方々の不勉強を責めたくなります。その表情やしぐさはどんな気持ちでしているのか、想像すらしない無神経さに呆れてしまいます。もはや、本人にとって頼るべき存在とは言えません。
私は、一度だけ鬱状態になったことがありました。一応勉強した身として、軽度で回復する術を考え、復活した経験があります。すぐ横は海という崖っぷちの道を運転していて、右カーブ。その時、左に急ハンドルを切ったらという妄想の連続も経験しました。
私が起こした行動は、とにかく独りにならないことでした。とにかく友人や同僚と一緒にいるようにしました。居候もしました。嫌がられても続けました。ずいぶん無愛想な振る舞いで迷惑をかけました。怒りを誘ったこともありました。同僚から、説教を喰らいました。吹っ切れました。治ったことを実感しました。
真似しないように。これは、私のキャラに合った自己治癒法ですから。学びと自己理解を結びつけた結果に実行したことです。鬱は躁を伴います。これに付き合ってくれた方々に、ただただ感謝するのみです。断言できることは、ただひとつ。相手は家族以外にすべきです。
私などで良かったら、お引き受けしますよ。行動する前に、あなたの心象風景を深く知ることが必要ですが。つまり、時間を要するということです。ただし、こちらからアプローチするのは余計なお世話。本人が望むなら、全力を尽くす所存です。
ストレス・チェックの目的は、抑鬱状態の予防で、自分でできるセルフ・ケア、上司がすべきライン・ケアが奨励されています。知識もスキルもない人にやりなさいなんて、究極の絵空事だと、ご理解いただきたいと思います。偉いお役人さんって、悩みなんてないのか、悩んではならぬと業務命令をされているのでしょう。自殺者数が増えた減ったと、冷静に眺める神経は、どんな構造をしているのか、これは研究に値する異常心理だと思います。
自分の心は、自分で守る。しかし、そのために、ヒンシュクなんて山と感じられていいのです。若者よ大志を抱けではなく、大恥をかくべきですよ。人に嫌がられてナンボなのです。