エアコン・クライシス
毎年恒例という表現は、明らかに不適切ですが、最近の自然現象は異常です。ニュースでは「これまで経験しなかった」「観測史上最も」「命の危険を感じる」など、言い方がどんどんエスカレートしてきています。
昔々は「日射病」と呼び、真夏の屋外に何時間もいても、帽子を被ったりして、日差しを避けると、まず大丈夫。ソフトテニスの監督時代は、カッコつけて帽子を被らない奴がバタンと倒れたものでした。木陰に運んで、それで終わり。まあ、いつものことでした。
さすがに、台風の影響によるフェーン現象の時は、部員(50名以上)分のアイスキャンデーを買ってきて、奢ってやりました。その頃、自腹が常識。全員から「ありがとうございます!」と言われて、いい気になっていたものです。自腹総計500万ぐらいでした。
長年、炎天下で3時間は審判台で過ごしていましたが、15年ほど前だったか、日差しに異変を感じるようになりました。30分練習させたら、大声で「避難!」と叫び、木陰に行かせて、水分補給。そうしなければ、危険を感じたからです。休憩時間は15分。これでは、練習になりません。
気温を大きく下げる方法は、ありません。学校への登下校や授業も、ポリエステルの制服ではなく半袖短パンの体育着にしました。急遽、教室に扇風機を設置して、凌ぐしか方法はありませんでした。私たち教師は、ワイシャツにスラックス、サンダル禁止のままでした。クールビズの前は、いくら暑かろうが半袖ワイシャツにネクタイ着用が常識とされていたので、これでも緩和された方でした。
ある日、校務員さんが玄関先のプランターに水やりをしていて、それが大雑把で玄関先全体が濡れていて、「涼しい!」と喜ぶ生徒たちを見ました。昔ながらの「打ち水」効果でした。打ち水は、体感温度を 1.5℃下げる効果と共に、風を起こし、土ぼこりを抑える効果があるとか。確かに涼しいのです。
それを思い出して、休憩時間にコートに水を撒いてみましたが、効果はなかったと記憶しています。地下まで熱せられたクレーコートには、通用しませんでした。打ち水は、日が翳った夕方に、石畳やコンクリートにするべきことでした。
今は、ちょっと暑いとエアコンという風潮です。しかし、これでいいのかという疑問もあります。暑い時に汗かかないと、毛穴はどうなるのでしょうか。また、日焼けは、体に悪いのでしょうか。明らかに、暑さに弱くなっている自分を感じます。ちょっと暑いだけで、我慢ができなくなっていたのです。
日射病が、熱中症にエスカレートしたのは異常気象の影響なのでしょう。しかし、自然環境がどんどん厳しくなるのに、人間自身が弱くなるのは如何なものか。そんな素朴な疑問が、浮かんできました。だから、考え方が古いんだと言われるでしょうが。
しかし、教育者用語の「不易と流行」という考え方にもとることになってはいないでしょうか。学校が目指すのは「知・徳・体」の3つの理想ではなかったでしょうか。時代に左右されない学校教育の基盤が「不易」であり、知は知性、徳は徳性、そして体は、体力の育成です。もっとシンプルに言うならば、耐性の育成こそが、学校の使命なのです。
授業中、下敷きを団扇代わりにしてあおいでいる場合、問答無用でやめさせました。まだ、夏場も制服着用の時に、下に体育着のハーフパンツをはいているので、スカートを上下にバタバタあおぐ女子生徒にも、罵声を浴びせたものです。まだ、日射病の時代です。
さて、話は急変します。教職大学院時代、秋休みに「海外特別研究」という授業で、赤道直下のシンガポールに行きました。授業内容は、政府機関や学校訪問でした。現地の日本人学校にも行きました。担当者の説明の最初は、大げさな校舎自慢でした。
この学校の経営者は現地の日本企業の連合体。いわゆる支社長たちが、学校予算の管理者でした。説明担当者は、日本から派遣された教員、すなわち地方公務員でした。立場が違います。当然、説明は、できる限りのゴマすりから始まりました。
説明の第一声は、全館冷房の自慢話。相当なコストがかかっているとか。確かに、廊下やトイレまで冷房が効いていて、快適そのものでした。児童生徒様様の机の脇には、例外なく水筒がぶら下がっており、水分補給への気遣いを感じました。
担当者の説明で、次に強調されていたのは「本国並み、本国以上の学力」でした。その時、質問が出ました。体力面では、どういう状況かという、意地悪な気持ちで発せられたものでした。説明担当者は、掲示してある児童作品と思われるポスターを指差しました。
「ハブを見たら、先生に知らせよう」と、子供の字で書いてありました。「校舎内にこもり切りにならないように配慮しています」とのこと。屋外運動も積極的で、広く立派なグランドも活用しているそうです。校地は、細かい網目のフェンスでガードしているものの、時々は猛毒のハブの侵入があるそうで、その度にフェンスを強化しているそうです。
シンガポールは、赤道直下にあるものの、気温は高くて32℃ぐらいで、木陰は意外に涼しい所でした。晴れていれば、30℃ぐらいで、暑さも程々という感じでした。これに比べれば、今の日本は灼熱地獄です。熱帯の方が、過ごしやすいのです。現地の各種学校は、冷房なしが普通でした。また、一般の住宅にも、冷房の室外機はあまり見かけませんでした。1年中が、夏そのものなのです。
さて、話を戻します。熱中症全盛期の今、天気予報の最高気温が体温以上でも、アナウンサーは淡々と読み上げています。時に、気温32℃だと、低く感じるぐらい、温度への感覚が麻痺状態になっているのを感じてしまいます。それに反して、私たちの温度感覚は妙に敏感になって、30℃で大騒ぎの醜態を呈しているのが、現状です。
こうなると、外気温29℃の中、グランドで持久走をさせたらいいのかどうか、迷ってしまいます。想定外の結果になって、責任問題にならないかと尻込みするだけです。頑張れや我慢なんて、禁句です。もう、腫れ物扱いを徹底するしかないのでしょう。当然、持久走は中止でしょう。今は、教師は臆病者の判断が得をする時代だと、断言できます。
これを、不幸せ以外、どんな言葉を使えばいいのでしょうか。原因の全ては、異常気象です。事は、命に関わります。こんな時、学校は、どうあればいいのでしょうか。おそらく、異常気象に関しては、今後の悪化はあれど好転なしというのが、現実でしょう。
いつだったか、幼い我が子に「夏休みってどうしてあるの?」と問われて、「暑いから勉強ができないからだよ」と答えたら、「でも、どうして宿題がいっぱいあるの?」と攻め込まれ、「親が教えなさいって学校から言われたからだよ」という解釈になって、自由研究なるものを、3人分やらされました。
今は「こんなに暑いから」で済む時代になっています。これは、喜ばしいことではありません。正常に戻るのを、祈るばかりです。このままだと熱中症に加えて、「冷房病」が発生すると思います。ちょっとした暑さにも耐えられない、心の病も出てくるでしょう。
汗をかくのを、極端に嫌がり、汗の匂いを自己臭と思い込むような心の混乱状態です。もちろん、耐える経験がないのでは、体力も衰えるでしょう。これを「無理するな」のアドバイスが、助長していきます。大げさに言えば、過酷化する自然現象に対する「逆の進化」になる危険性が、高いということです。
これも相当昔の話。アメリカで保護された宇宙人(?)が、両脇を2人から支えられて歩く驚きの写真を見ました。これが、今の日本人の姿とオーバーラップしてしまいました。
宇宙での生活で、不必要な機能が退化したという体で、頭だけが異様に大きく、毛らしきものはない姿は、私たち末代の子孫かもしれません。地球まで来たのはいいけれど、環境不適応により地球人から支えられる姿は、現代人の置かれた状況に似ていませんか?
何とか「日射病」が、バックトゥザ・フューチャーして来て、「熱中症」を駆逐してくれないものかなんて、現実逃避したくなります。「覆水盆に返らず」「後悔先に立たず」で、自然が悪いわけではなく、全てを人間のエゴと考えるべきです。仕返しは、延々と続くでしょう。「もう滅びたら?」というメッセージなのかもしれませんね。
現在(8/10)、NHKテレビの隅に、“南海トラフ地震に注意”のメッセージが、常に固定されています。そういえば、能登半島地震は正月元日でした。もうすぐ「お盆」です。いずれも、世間では「ハレ」の日です。しかし根も葉もないことに、思いを向けないようにしましょう。そして、平和と平穏を祈りましょうね。どうぞ、楽しいお盆休みになりますように!