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肝心要クライシス!
部首「にくづき」に「要」と書いて、「腰」になります。「にくづき」は、体という意味で肌、肺、腹などの「月」の部分のことです。
この「にくづき」は偏の一部ですが、月とは関係なく、肉部のひとつとして分類されます。したがって、体を支える「要」を「腰」と書くのです。直立歩行をする人間にとって、様々なな動作をする上で、中心となる部分なのです。
ついでに話すと、ドンドン、パンパン、ドンパンパンというような言葉を擬音語と言い、じろじろ、チラチラ、ニヤニヤなどを擬態語と言います。ギックリ腰の「ギックリ」は、実際にはそんな音は出ませんから、擬態語となりますが、当事者にとっては、脳天を貫く強烈な擬音語にも感じられることでしょう。
なかなか巧みな日本語だと感心するところですが、その苦痛たるや、なってみないとわからないと思います。実は、現在その最中であり、約15年ぶりに、たった1人だけの地獄的状態に苦しんでいる最中です。
この苦痛は、思いがけない時に襲ってきますので、実に厄介です。腰の痛みも強烈ですが、苦しむ様子を見ている人たちの無理解がもたらす冷徹な眼差しが、心を貫きます。つまり、全然わかってもらえない屈辱感は、他に例を見ないということ。腰を押さえてノロノロ歩く光景は、実にみっともない光景です。
私自身、新卒の23歳から生き恥をさらしてきました。それ以来、重度のギックリ腰は、6回目です。なお、軽度症状は、しょっちゅう遭遇してきました。その場合、独特のストレッチにてやり過ごしてきました。
重度の場合、整体治療や鍼治療を受けてきました。前に罹患したのは、40代。あれから不思議なことに1回も起きずに、50代を乗り切りました。1日座りっぱなしで8時間。することは、決裁印を押すことのみ。時々、背骨の下部分に、ピシッと電気が走りましたが、意に介さず、8年間の暇人生活を送りました。
しかし、今回は違います。コルセットで前後左右の動きに伴う苦痛を和らげられても、上半身が下にめり込んでくるのです。勤務中、10分の時間を取れたら、休憩室へ。畳に仰向けに寝て、めり込みが戻るのを待ちます。めり込んで途中で変形した骨が、ミシミシ音を立てて戻っていくのを感じます。この繰り返しです。
我が街には、鍼治療の名人がいます。40過ぎから、20年来のお付き合い。絶望の谷底から、何度も引っ張り上げてもらいました。一番酷い時は、妻に支えられながら超低速歩行で鍼療院に入って行き、治療が終わるとまだ痛いものの、スキップで出て来たこともありました。
誰にここを教えてもらったのか、もう記憶に残っていません。それまでは、回転エビ固めの荒っぽい元漁師の整体師のお世話になっていました。これも良く効きました。
元漁師で、何度となく腰をやられ、こんなことなら治す方になろうと一大決心したそうな。鍼治療の先生はそもそもは、喫茶店のマスターでした。好奇心に任せて、VIPが乗るロールスのリムジン車の運転手もやっていたとか。
それぞれに波瀾万丈なる人生あり。感慨深く話を聞かせてもらいました。食い扶持は、稼がなければならないが、この世に生まれたからには、何らかの形で感謝されるようなことをすべきだという考え方が、貫かれていました。
ちなみに鍼治療の料金ですが、健康保険は効かず、1回4,000円(今は消費税+400円)となっています。値上げしない姿勢を、貫いていました。建物もインテリアも、特に更新した様子はありませんでした。さらに、貼り物が日光で赤ちゃけているのが、ご愛嬌というところ。すなわち、昔のままだったということです。
鍼治療は、3回受けなければなりません。3回に分けて施術すると言った方が、正しいかと思います。施術を受けた日は、入浴禁止という身体に相当な負担がかかる治療です。それをいい加減に考えて風呂に入ったら、体調を崩してしまいました。3回(12,000円)という料金には確固たる理由があったのです。
悪いことは重なるもので、鍼治療を受けたのが、火曜日。そして、木曜日の今日、新型コロナ感染症という診断が下りました。それ以前に職員数名が罹患しており、マスク、うがい、手洗い、手指消毒を、何かに取り憑かれたようにやっていたのに、この結果です。
前に罹患したのが、2022年12月。2年ぶりです。当時は、コロナ禍。無料でした。しかし、インフルエンザ並みにランク・ダウンした今は有料。この3月まで、3割負担の人だと薬代の限度額が9,000円。それを超えたら、補助金ありなんて、庶民の生活を顧みない状態になっていました。どうなってんだ!!
それだけの持ち合わせがなかったこともありお医者さんの「コロナの薬出しましょうか?」という不思議な質問には「No !」と答えて、普通の風邪薬系にて450円にしました。今やコロナは、高額医療の対象なのです。ちなみに、インフルエンザの薬は、いくらなのかは知りません。理由は、罹患した記憶がないからです。
火曜日の夜、迂闊にも風呂に入りました。それで、弱っていた翌日、感染したのだと、勝手に思っています。インフルエンザやノロ・ロタなどの感染症は、緊張感がないから罹るというメチャクチャな理屈を言い張って、アルコール消毒だということで酒ばかり飲んでいました。
本当は、明治45年生まれで90歳の人生を歩んだ、祖母の頑強な身体が遺伝したと考えられます。子どもの頃は、扁桃炎でよく熱を出していたのを、大正時代に思いきって手術して摘出。それ以来、5人の子どもを産み、風邪ひとつ引いたことがなかったと聞きました。
また、87になる母の骨太なところも遺伝しました。とにかく、いい年になっても「疲れを知らない子どものように♪」休日などかなぐり捨てて仕事ができたのは、この骨格や広い肩幅のおかげだと思っています。
思い出すのは、東日本大震災の年に、やむなく行き先を北海道に変更した時の学年主任。以前、5回ほど引率しましたが、そのブランクは約20年。他の職員全員が未経験。当時はなかった道東自動車道があるという、異なった条件で175人を連れて行く。現地での即席プランニングに追われた3泊4日。部屋のベッドでの睡眠時間は、結局8時間半でした。もちろん1号車の先頭の団長席で、眠りこけることしばしばでした。今更ながら、超人的耐久力だったことを思い出しています。
今、隔離された部屋で横になって、本稿を書いています。腰は、相変わらずです。そろそろと歩いています。これも、ずいぶん久しぶりです。今回のコロナは、激しく咳き込むようで、パーティーションで仕切られた人たちも、苦しそうに咳き込んでいました。今の私にとっては相当なデメリット、マイナス要因です。
コロナは、ただ高熱を発するだけではないようです。今回は気管支炎的な症状に至るようです。激しく苦しい咳に加え、ギックリ腰と格闘している私には、二重苦ですね。咳が出そうになると、大げさに身構えることになります。
大変意地悪な考え方をするなら、ギックリ腰の究極的な苦痛を、気にくわない奴に感染できたらと思います。しかし、現実には腹筋と背筋のアンバランスから発症するらしく、極めて個人的事情によります。
私は、7年前に肝臓を壊してしまいました。せっかく祖母や母から頑強な遺伝子をもらったのに、ギックリ腰も含めて、このザマです。まさに自ら「肝心要」を放り投げた、親不孝者なのだと、1人になったベッドで考え込むことがあります。ギックリ腰も、生活習慣病です。ただし、23の時は栄養失調気味でした。今は断酒後に甘味の依存による肥満が要因です。
ギックリ腰歴40年。全ての責任は、自分自身にあります。同情の対象ではなく、嘲笑の対象であることは、絶対忘れません。