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読書記録『エンド・オブ・ライフ』

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書籍紹介

エンド・オブ・ライフ
佐々涼子 著  集英社
(単行本の発売日:2020年2月5日)


「命の閉じ方」をレッスンする。

200名の患者を看取ってきた友人の看護師が病を得た。「看取りのプロフェッショナル」である友人の、自身の最期への向き合い方は意外なものだった。
残された日々を共に過ごすことで見えてきた「理想の死の迎え方」とは。
在宅医療の取材に取り組むきっかけとなった著者の難病の母と、彼女を自宅で献身的に介護する父の話を交え、7年間にわたり見つめてきた在宅での終末医療の現場を静かな筆致で描く。
私たちに、自身や家族の終末期のあり方を考えさせてくれる感動ノンフィクション。

集英社の本 紹介ページより一部抜粋


作品の感想

泣きながら読みました。
誰かが亡くなることが初めからわかっているものは、小説でも映画でもドラマでもとてもツラいです。

ここに登場する患者さんたちは、大変な病を抱え、人生の最期を迎えようとしています。それでも懸命に命を燃やそうとする人、必ず治ると信じて戦う人、静かに身を任せる人、運命を受け入れられず壊れてしまう人、当然のことながら、迫りくる「死」との向き合い方はさまざまです。

ノンフィクション小説ですから、これらは実際に起こったことで、2013年時点で彼らは確かに生きていたのです。

患者さんを支える家族や医療関係者の覚悟や葛藤、複雑な感情がリアルに表現されており、胸がつまる思いがします。

もし自分だったら、どうなるだろう。どうしたいだろう。
家族や大切な人が宣告されたら、支えきれるだろうか。
そんなことを考えずにはいられない作品でした。

この記事を書いているだけでも思い出して涙が出てしまいます。

看護師から患者へ

京都の訪問医療の現場と著者の両親の暮らす家を舞台に、「6年前」と「現在」を行ったり来たりしながら、終末医療のあり方を描いています。

この物語の大きな軸となるのが、渡辺西賀茂診療所とここで訪問看護師として働く森山さん。彼らが患者さんとどのように接していたか、また「現在」病を得た森山さんの自分自身との向き合い方にフォーカスしたドキュメンタリーになっています。

騒がしかったはずの蟬しぐれが聞こえない。雑踏の音もしなかった。彼の周りだけ音が消えて、ひどく静かだった。銀杏並木の美しいことで有名な場所だったが、青々とした葉の間からこぼれる陽の光も、どういうわけかセピア色に見える。ショックなことがあると、色を失うというのは本当だったのだと、ぼんやり思っていた。

「プロローグ」より

自らの病を知らされた森山さんの心情が表された場面です。
泣き崩れるでも、激高するでもなく、世界が止まってしまったかのようにすべてがセピア色になる。受け止めきれないことが起きると人はこうなるのか、と感じさせられました。

この日を境に、森山さんはがんと対話していくことになります。


命を燃やす

重美はしゃんとしていて、弱音を吐くこともなく、苦しいとも言わない。森山と尾下は目の前にいる人の心の強さに励まされていた。
(略)
この日、彼女は家族との約束をすべて果たしたのだ。どうしても行きたかった場所へ行き、家族とともに思い出を作り、帰りたかった我が家へ戻ってきた。

「二〇一三年 今から六年前のこと」より

自分の命が今日で燃え尽きるかもしれなくても、確固たる意志を持ってひとつひとつ望みを叶えていく女性の強さと美しさ。その姿によって逆に周りが励まされ勇気が湧いてくるのです。

また、別の患者さんが息を引き取ったときのこと。

パチパチパチパチ・・・・・・。
思いもかけず拍手が起きた。拍手の主は敬子の姉だった。続いてその場にいた人たちから次々と拍手が湧き起こった。それはいつまでも続いた。みな、目にいっぱい涙を溜めながら、誰もが彼女の勇気あふれる姿に精いっぱいの賞賛を送った。ホスピス病棟でのことだ。

「二〇一三年 その6 夢の国の魔法」より

この方もまた命を燃やし尽くした人でした。大好きなディズニーランドに出かけ、魔法にかかったように夢の国のすべてに目を輝かせて、家族とのひとときを魂に刻み込む。その後入院することになっても最後の最後まで笑みを絶やさず、大切な人たちに囲まれて命を閉じます。

この物語のテーマが「命の閉じ方のレッスン」です。

重美さんや敬子さん、その他の先に旅立っていった人たちの、それぞれにやりたいことをやり尽くす姿が、「6年後」病を得ることになる森山さんの学びの種となっていきます。

命の閉じ方

「がんは自分の一部でしょう?身体の一部が僕にわざわざ悪さをしたいとは思えない。身体は何か言い分があってがんを作ったと思うんです。がんは身体からのメッセージです。がんの言い分をきちんと聞いてあげて、自分が変わりさえすれば、がんは癒えるはずです。だから僕はがんに対してありがとう、ありがとうと言い続けているんです」
(略)
森山が心の底から信心しているのではないことが伝わってくる。その横顔には、自分の言った言葉を、何とか信じ込みたいという焦りが見て取れた。

「二〇一九年 奇跡を信じる力」より

出会う、出会わないも、縁のもの。この世で結べなかった縁も来世で結べるかもしれないしね。そう思うと、少し楽になりませんか?

「二〇一九年 再び夢の国へ」より

いつも在宅での看取りが、もっとも自然で、もっとも豊かな命の閉じ方だと言っていた森山は、本人の考えうる、もっとも望ましい場所で旅立ちを迎えようとしている。

「二〇一九年 命の閉じ方のレッスン」より

がんの言い分を聞いて、体が喜ぶことをすればきっと治ると信じていた森山さんも、だんだんと自分の最期を受け入れるようになっていきます。そして、「一番いい日」を選んで旅立っていくのでした。

「おとうちゃんに拍手」
親子は三人で拍手をした。かつて森下敬子が亡くなった時に起きた拍手だ。
「あれが、感動的だったのでしょう。自分もそうやって送ってくれと言われて」と、あゆみは微笑んだ。敬子の教えてくれた「命の閉じ方」を、今度は彼が家族に伝える番だった。

「二〇一九年 カーテンコール」より

看取りのプロとして数々の旅立ちに立ち会ってきた者から、その後に続く者への命の閉じ方のレッスン。こうやって誰かの想いは人から人へ確実に受け継がれていく。人は2度死ぬとよく言われます。1度目は肉体が滅びる時。2度目は人々の記憶から消え去る時。彼らのように命を燃やし尽くした人々は、その「生と死」を目の当たりにした誰かの記憶に刻まれ、影響を与え、形を変えてどこまでもつながる。そういう意味では、彼らの存在が喪われることはないのかもしれません。


自分ならどうしたいか

想像してみようとしましたが、実際にその時が来なければきっとわかりません。
ただ、「エンディングノート」はずっと書いていて、状況が変わるたびに更新しています。
これは、以前がんで若くして亡くなった方と、同じく若くして脳の病気で急逝された方の影響によるところが大きいです。昨日まで話をしていた相手が今日はもういない。とても淋しくて打ちのめされました。人間、いつどうなるかは誰にもわかりませんから、せめて残された人が遺品整理などを進めやすいように、との思いがあります。




ただ引用しただけの記事になりましたね。

読み終わってから10日もたっているというのに、衝撃が強すぎて全然まとまりません。もとより拙い文章がますますとっちらかってしまい、要領を得ないものになってしまいました。申し訳ありません。



最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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