自己肯定感が低くとも
私は自己肯定感が低い。
おまけに内向型HSPでもある。
(流行に乗っかっているようであまり言いたくはなかったのだが)
自己主張が苦手で、常に他人の顔色を伺い、2択を迫られる場面ではいつでも不本意な方を選んでしまう。相手がどちらを望んでいるかが分かるので、共感しなくていいことまで共感し、引っ張られるからだ。
あとあとまで、自分の愚かさを恨むことになる。
ネガティブ思考の人間を疎ましく感じる人は多い。
そういう人はこの先を読まないことをお勧めする。
本紹介へ飛ぶ
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
結婚当初はアパートで夫婦2人暮らしをしていた。
数年後、夫の強い希望で彼の実家に引っ越すことになる。
玄関もキッチンも風呂もすべて共同の完全同居である。
(後悔その1:同居は拒否すべきだった)
時を同じくして、私は転職をした。
慣れない家と慣れない仕事。
毎日が緊張状態だった。
姑とは折り合いが悪かった。
話がかみ合わず、些細な衝突を繰り返した。
夫はだいたい姑に同調し、くだらない夫婦喧嘩が増えた。
引っ越してひと月もしない頃、自分の異変に気付く。
眠れない。
靄がかかったようにぼーっとする。
食欲がなく味がしない。
好きだったことに興味が湧かない。
感情が動かない。
幸い、新しい職場では環境に恵まれた。先輩方はみな個性的で親切で、任された仕事は楽しく、何ら問題なく過ごせていた。
ところが終業後、家が近づくと吐き気を催し、激しい動悸に襲われる。まっすぐ帰ることができず、特に買うものもないのに途中のコンビニやドラッグストアに立ち寄る。それでもまだ帰れず、一旦家を通り過ぎてあたりをぐるっと一周してからようやっと帰宅する。そこから姑仕様の使いづらいキッチンで苦手な料理をする。
そんな日々が続いた。
ある休日の朝、悲しくもないのに涙が止まらなくなった。
いよいよ放置しておけないと思い心療内科の受診を決めた。
心療内科を受診したが、診断名を訊かなかったから、正確には何だったのかはわからない。仮にここでは、一般的な症状が似ている「適応障害」ということにする。
義親との完全同居は、私にはストレスが大きすぎた。
家自体も住みにくいし、周辺環境も自分の生活には合わなかった。
このままにしておけば、うつを発症する可能性もある。
ここを出て別のところで暮らしたい。
そう夫に言った。
・親が心配
・アパートを借りる家賃がもったいない
・よそで家を建てるなんて論外
つまり、ここを離れるという選択肢はない。
それが夫の答えだった。
妻が適応障害で苦しんでいても、夫には何も響いていない。
大好きな母親が快適に生活できるよう心を配り、そのためなら妻に辛抱させることも厭わない。
この人にとって大切なのは、この先の人生を何十年も共に過ごす(はずの)妻ではないのだ。
それもそうか。妻は替えがきくけど、母親はただひとりなわけだから。
自己肯定感が低いせいで、そんなことまで納得してしまう自分がいる。
とはいえ、さすがの彼も妻を憐れに思ったようで、離れを改装して夫婦でそっちに移ることを決めた。
(後悔その2:自分だけでも別居に踏み切るべきだった)
物理的な壁を挟んだことで症状はすこしばかり改善した。
しかし母屋と離れの距離は徒歩1秒。
その上、義親は私の状況を知らず、なにかにつけて関わってこようとする。
気が休まらない。
敷地内同居に切り替えてしばらく経つが、未だにあの辛い日々を思い出し、枕を濡らす夜がある。
自己肯定感の高いポジティブ思考の人なら、家賃やローンが浮いたとか、離れを改装してくれた優しい夫だとか、良い面だけを受け取れるのだろう。
私もそんな風に考えられたらどんなに楽だったかと思う。
残念ながらそのスキルは持ち合わせていなかった。
それどころか、「ネガティブなのは良くない」「もっと前向きになれ」
夫からの激励は呪いの言葉でしかなかった。
私は夫のことにどんどん無関心になっていった。
本紹介
躓いたときはいつもそうであるように、私はまた本の世界に救いを求めた。
何冊か貪るように読んだ中で、特にこの2冊が心に寄り添ってくれた。
わたしは繊細さん
背の高い人が身長を縮めることができないように、繊細な人が「鈍感になる」「気づかずにいる」ことはできない(P.246)
「キライ」は生きていく上で大切なセンサー(P.53)
「私はこうしたい」という自分の本音をどれだけ大切にできるかか勝負どころ(P.114)
「そうか気づいていないのか」とわかると、相手の行動に振り回されることが減る(P.143)
気づくのが早いからこそ助けるタイミングも早い 先回りして助けることはかえって成長を妨げている(P.196)
自分のままで生きるとは、繊細さを含めて自分を肯定し、自分にとっての「嬉しい」「楽しい」「心地いい」「ワクワク」をコンパスに、人や場所、物事を選ぶということ(P.239)
「自己肯定感低めの人」のための本
必要なのは 心のクセ=心のノイズに気がつくこと(プロローグより)
自己肯定感とは「自分はありのままでいい、生きているだけで価値がある、という感覚」のこと(はじめにより)
今の自分を認めたり、受け入れたりするには、まず自分を客観視することが大切。
ものごとには必ずメリットとデメリットがある(第3章より)
実現したいけど、実現したときに困るという思いが潜在意識にあると、いざ行動しようというとき、無自覚にブレーキがかかる(第3章より)
意識の中で育ってきたノイズの存在に気がつくと、「自分が悪いわけではないんだ」と自分責めをやめられる(第4章より)
ポイントは相手も自分も否定しないこと(第4章より)
前向きにあきらめることは、格好いいこと(第5章より)
これらを読んでますます思う。
私は夫や義親の望む人間にはなれないし、なりたいとも思わない。
自己肯定感が低くとも、それが私だ。
些細なことが気になってしまうのも、深く考えすぎて身動きが取れなくなるのも、あれもこれも私の一部だ。
これまで、他人の舞台のバイプレイヤーだった。
この先は、自分の舞台に上がりたい。
どんな結果になろうとも、自分のままで生きて、「心地いい場所」を見つけたいと思う。