続・私にとっての後進の育成とは。 ~結局研究者の道を断念した話~
先日のnoteの投稿で、後進の育成について、私なりの"後進の育成の在り方"に関する方針を書いたのだが、それができなくなったので、いささか拙速な感じも否めないが、続編を書く事にした。
■卒業研究のテーマが却下だった
何故、前回書いた方向性で後進の育成ができなくなったかというと、夏ころに申請した、放送大学の卒業研究のテーマが、学校側から却下された為だ。
指導教員からは、辛辣な表現でコメントが述べられていた。要約すると、
「そのテーマはとても研究と呼べるものではない。入門書を読み直して出直してこい」
である。
完全に門前払いの様相であった。だが、私としては内心、そのようなコメントを期待していたという側面もあり、とても腹落ちしている。(指導教員の教授、お忙しい中コメントをいただきありがとうございました)
何故腹落ちしたかというと、私に研究のような高度な知的生産活動が務まるはずがないと思いながらこれまで50年間生きて来たので、それの裏付けを得られたからである。
学生時代から成績は学年で真ん中ぐらいで、あまり頭は良く無かった。別な言い方をすると勉強の才能がなくて、試験と呼ばれるもので結果が出せないタイプである。
今でもペーパーテストは鬼門(大の苦手)であり、苦手意識が強いため、ペーパーテストからは極力逃げて回りながら、人生の大半を過ごしている。
そのような私が、勉強の才能がある人がやるような仕事=研究など、できるはずがないのである。
ちなみに、仕事の関連で情報処理技術者試験の応用情報試験に合格(3年前)した経緯もあるのだが、ペーパーテストが大の苦手な私としては、相当な苦痛(本当にストレスで死ぬかと思ったんだよ 泣)を乗り越えた上に取得した資格である。
しかし、それはこれまで私の中でぼんやりとモヤモヤしていた主観に過ぎなかったわけだ。もしかしたら勉強はできなくても研究をできるような才能はあるのかもしれない、という(謎の)未知の可能性への期待、である。
放送大学は入学試験が無いので、私のようにペーパーテストの才能が無い人間にも門戸を開いている。おかげで学問の領域に足を踏み入れる事ができたわけだ。ある種裏技のようなやり方だね。
しかし、放送大学の指導教員からコメントを貰う事で、50年かけて今、やっと腹落ちした。
■制度変更により在学可能期間が2学期(1年)短縮になった
学問の門戸をとても広く開いてくれていた放送大学に20年以上学んで来たわけだが、様々な世の中の変化や時代の変化に伴い、その門戸も狭くなり始めた。
目に見える形で私の前に現れた結果としては、在学可能期間の短縮である。
私は専門学校卒業の単位を放送大学に持ち込んで編入の扱いであったのだが、その場合は在学可能期間は6学期(3年)となる。
それはもともとそういう制度なのだが、一旦6学期間を終了して、再入学した場合には8学期(4年)とする仕組みだったのがこれまでだ。しかしそれが見直しとなり、再入学したとしても6学期(3年)が適用される事になったのだ。
そのため、私は2025年の3月で突然在学可能期間が終了となる事となった。
制度の変更がなければ、2026年の3月までは在籍ができる予定だったので、大幅に予定が狂い、卒業研究やそもそも卒業の事も含めて、再検討する事になった。
■結論:2025年3月を以て、学生を終了にします
結論ですが、卒業研究をやらず、放送大学の卒業もせず、2025年3月をもって、学生を終了することにしました。除籍の扱いに応じる形ですね。
入学金を支払って再入学する方法もあるのですが、それも断念する事としました。理由は以下に書きます。
・理由①
法改正に伴い、妻のパート収入に社会保険が適用される事となり、月額で2万円程度、生活費が減額する事となり、家計がかなり厳しく、放送大学の入学金や授業料が払えなくなった。
・理由②
上にも書きましたが、私の人生には、研究者の道が残されているのではないかという淡い期待は打ち砕かれた。本当に勉強の才能が無い(特にペーパーテストの才能が無い)事に、裏付けが得られた。
・理由③
世の中の仕組みが変わり、リスキリングが重視される世の中になった事に伴い、リスキリングを行う事に競争が伴うようになった(レッドオーシャン化が進行している)。その為、私自身の自学自習のやり方を、今の時代にあったやり方へと、見直したい(別な言い方をすると、私自身のキャパとして、仕事以外の領域に競争を持ち込むゆとりが無い)
■後進の育成について
さて、本題ですが。唯一の望みを研究者の道へとつないでいた私には、その道が断たれた事により、後進の育成はできない事になります。
つまり、自分の歩んできた道を、他の誰一人として歩まぬ道として、結論付けた事になるわけです。
厳しい現実だなと思いつつも、自分の生き方には合っているかなとも思います。(『来るもの拒まず、去る者追わず、たった一度限りの人生は適当に生きるべし』というのが私の生き方の基本コンセプトですので)
跡継ぎが見つからなくて廃業して行く、中小企業や零細企業が沢山ある世の中ですから、エンジニアの一人がその道を引き継ぐ事ができなくとも、特に驚く事でもありませんが(誰も困らないですし)。
とはいうものの、私自身は、IT業界を作り上げた巨人の肩に乗りながら仕事をしているエンジニアです。つまり、巨人にとって、私は後進であるわけです。(そもそも専門学校に通ってITを学んだ歴史があるわけですから!)
よって、後進の一人としては、後進としての責任を全うすべく、一流のエンジニア(一流の仕事人)である事を目指して、日々精進、日々腕を磨く事については、特に迷う事はないと考えています。
50歳となって、やっと学生を終えるのかと思うとなんだか、長い旅の終着地点に来たかのような気持ちですが、新たなる出発としてとらえ、2025年を迎えて行きたいと思います。
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