見出し画像

大人に乱暴に扱われる子どもの異次元の感覚


子育てのこと書いてると、いろいろ思い出してきますね。
私が幼児の子供を連れて公園で遊んだりしていると、地域の小学生たちと、なんだかんだ絡んで顔なじみになってくるんですよね。
暇な女の子とかが、何やってんですかーとかって話しかけてきます。
ウチの子と遊んでやってー、いいよーとかやってるうちに、小学生の友達から友達へと、だんだんと広がっていきます。オスの大人が珍しいんでしょうね、どんどん絡んできます。

小学生たち10人ぐらいとワイワイ鬼ごっこなどで遊ぶようになってきました。
おとなしい子が幼児の私の子と泥だんごを作って相手してくれて、私は活発な子たちを追いかける鬼役をやります。キャーキャー盛り上がります。
いつも速くて余裕そうな子が、必死な顔でライオンに襲われてる草食動物が逃げるように興奮してます。
もう私は、子供にとっては大きなおもちゃです。毎日同じような遊びしかしないので良い刺激なんでしょう。

いつしか登下校は10人以上の小学生から声かけられるようになりました。
夕方になって、ピンポーンとチャイムが鳴り、遊ぼうといってきます。私が子供の頃の光景だ。
しゃーない、こっちは家でやってる仕事は後回し、つまんない大人ばかりと子供に思わせるもんじゃないから、鬼ごっこするか!
そんな感じでした。


子供の世界の、変わったこと変わらないこと。
公園で小学生の事情を見るとわかることがありました。
女の子の方が外で駆けずり回って遊んでます。
男の子の方が外でもベンチに座ってずっとゲームで遊んでます。
こりゃだめだ、女の子が活躍する社会にならないとダメになる、って思いましたよ。
どうせ中学生になったら女の子だってプリクラとか電子装置遊びになっていきます。
小学生の時くらい体の限界まで知るのが、ゲームのスコアの限界を知るよりも、イイと思うんですよね。

子どもは大人に乱暴に扱われると喜びます。
プールにその馴染み小学生も連れて行った時、抱えてほっぽり投げてバッシャーンとなるの喜ぶんですよね。もう一回もう一回とねだります。回りの目を気にしながらなので、回数限定です。
こーゆーの子供同士だったらできない遊びです。
大人が子供に関われる事はいろいろあるんでしょうね。
キャンプに連れてって火の起こし方とかいろいろ教える、そんなめんどくさいことしなくても、大人が関わって刺激になることは、日常の中でがたくさんあるような気がします。
子供にないスピードで追いかけられる、体を持って振り回される、子供の友達ではできない異次元の感覚なのでしょう。
それをきっかけに、自分たちの遊びに大人の考えが入る、自分たちの視点以外の発想を感じる、言葉にはならない刺激のような気がします。

女の子に普段何やってんのとか聞くと、イオン行ってフラフラしてるとか言います。
もうトー横キッズへの道が始まっちゃってます。
子供同士だけで遊ばせるのは、飽きちゃって刺激が少なくなってます。繁華街の大人ばかりが子供を利用して近づいちゃってます。

大きな公園に「ドッグラン」とか囲いがあるように、大人も参加する「鬼ごっこラン」囲いがあってもいいんじゃない?
ストレスがあって公園に来たサラリーマンも、小学生を追いかけるとイイ運動になりますよ。
変質者の大人が来る?、どうせ捕まえられませんよ。変質者が鬼として追いかけてきた方が小学生は「ウギャー!」って盛り上がりますよ。リアルゾンビ映画だ。賑やかな公園でいいですね。
繁華街の大人と交流するよりも、はるかに健全でしょ?

当時、幼児だった私の子が、いろんな年代の上の子供と遊べたのもいい経験だったと思います。
あの頃の小学生たち、みんな大人になってるんだなぁ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?