
死ぬまで生まれ変わる楽しい人生の秘訣
楽しい人生になる秘訣を伝えます。
当たり前すぎることですが、改めて申します。
人生の楽しさは、上達することです。
上達こそ、人生の喜びになります。
そりゃそうだねと思う人は、上達の楽しさを知っている人です。
そんなことないと思う人は、こんな楽しいことを気づいてない人です。
前の自分を超えてる実感があると楽しくて夢中になります。
その楽しさがあれば、不要な悩みや苦しみが無くなります。
前の自分より上達するのは、決してお金で買えません。
他人との比較ではなく、自分だけで満足して自己完結します。
もちろん、上達の楽しさがあると悩みや苦しみが無くなるわけではありません。
しかし、不必要なほど悩んだり苦しんだりする心の暇がなくなります。
SNSでは、多くの人が何か楽しいこと探しています。
本人は気づいてないのか、楽しいアピールしているのは、自分で自分を楽しませることがないからでしょう。
自己完結する上達の楽しさがあると、承認欲求でSNSで自分報告する必要がない、隠してるわけじゃなく、他者に向かうのでなく自分への関心になる。
他人との比較ではなく、自分との比較だからです。
上達するのは、人生をかけたことでも、小さな趣味にもならないことでも、何でも同じです。
対象は何でも同じで、対象がコロコロ変わっても同じです。
分かりやすい楽器演奏やスポーツでも習い事でも何でもそうです。
そもそも芸術なんて、上達する楽しさが極めてしまった結果を指してることから始まったのでしょう。これが芸術だと始めたわけではない、どのジャンルでも。
現在になっても、武道なんて不必要な使う時がないのに、上達する楽しさが武道に惹きつけられるのでしょう。
スポーツを、運動不足解消などを目的にするから楽しくないのです。
上達する楽しさが感じてしまったら、沼のようにハマる人が多いです。
私見ですが、江戸時代などの職人の手工業は、上達する楽しさが直結する仕事の誇りがあったのでしょう。
女性の針仕事でさえ年々上達する、年配者ほど熟練する誇りが出る仕事だったと思います。
単なる商いではない喜びがあったでしょう。
現在の仕事の多くは、上達する楽しさがないからストレスが強まるでしょう。
産業技術の追いかけっこになり、年配者ほどついて行けない仕事の仕組みです。
スピリチュアルでも自分との向き合いと言いながら、自分の中に何もなければ向き合うモノがないのです。上達するのは過去の自分との向き合うそのものです。
何かに上達すると、何かの視点が高まり、全然関係ない事でも気づくことが出てきます。
40年前くらいのクラシック演奏を見て気付きました。現在とは全然違うのです。
指揮者は両手で拍子を叩き、現在は右手で僅かの拍子で左手で情感を腸骨から表現してます。
ヴァイオリン奏者は体幹固め姿勢良く肩関節で弾いている、現在は胸椎丸め可動させ肩甲骨と腸骨を使う、1人の問題ではなく全体がそうなのです。
スポーツもトップアスリートの身体操作が昔と全部違うのです。
その業界全体が上達しています。
何かに上達すると、新しい視点も生まれるのでしょう。
日常の中の些細な料理や掃除でもそうです。
家事も上達すると新しい視点が見えてきます。
私が言うまでもありません。
自分の生業で上達しなくても、多くの人は自分の上達する楽しみを持っています。
それを自覚しているかにかかわらず、
それの大小にかかわらず、
上達する楽しみを持っている人は、比較的に精神が安定している気がします。
波動が高いとか、そんなつまらない話ではありません。
ロクでもない人間もたくさんいるでしょう。
その「比較的」とは、その人自身の中での比較です。
自己完結する上達での自分の中の比較を楽しむと、余計なリア充アピールや他人へのマウントが無いでしょう。
心に暇があるから、他者が気になるのです。
些細な事で悩むような過剰な自己否定も無く、自己肯定する自覚ないまま上達する肯定に生きてます。
上達する楽しさが死ぬまで生きる楽しさです。
それは、取るに足りない、どんな些細な事でも同じです。
上達するとは前の自分を超える、その度に生まれ変わるかのようです。
死ぬまで生まれ変わる、死ぬまで死に続けることです。
今回の話は、目新しいことは無い当たり前すぎる話ですが、改めての整理ですね。