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恋愛とラーメンは濃いほどモテてもたれる

相手に好きなところがあれば、どんな事でも乗り越えられる。

というのはウソである。
どこが好きなのかはどうでもよく、不快なところがないことが重要である。

不快にならないで過ごせる、こんな奇跡的な事は無い。
好きじゃなくても好きになってくる。
「あそこは変えて欲しいけど、あれがステキで好きなの」、というのはいつか破綻する。
不快な1%は、いつかそれで占める。

わずかな不快は、増殖して致命傷になる。
まるで癌細胞のようだ。
癌細胞は、細胞分裂の際のコピーエラーと言われる。
自分の体の中の毒を、吐き出してるのが癌細胞とも言われる。
わずかに生まれた癌細胞が、年月をかけて増殖して癌患者となる。
そうなる前に、免疫細胞やキラーT細胞などが癌細胞を消してくれる。
毒を入れない、免疫を上げる、おおざっぱに言えばこういうことだろう。


そのように気づいて、意識的に生活や日常を変えることで健康になるならば、
意識で健康になる」ということになる。

高次元も時々言う、お昼にラーメンが食べたいかカレーが食べたいか意識して決めるから、決めたものを食べられると。
思考が実現するとはこういうことなのかと、当たり前すぎる例えで拍子抜けするが、ラーメンを食べようとしてカレーライスを食べているような人生を歩んでいるのが、高次元から見た多くの人間かもしれない。

ラーメンを食べたいと言いながら、カレーライスを食べる。
自由に自分で選べる人生を歩みたいと言いながら、生活のためだとやりたくのない仕事をするために重い足取りで職場に向かう。
ナンセンスだと言う理由はこういうことかもしれない。

健康になりたいと言いながら、大しても学ばず、しょうがないからとグローバル食材を食べる。
愛ある生活をしたいと言いながら、生活のために家族を継続したり、人の悪口を言う。
いや人間にとっては切実な問題だから、ゆっくり変わればいいと高次元は優しく教えるのだろう。


恋愛論を語るつもりが、いつの間にか健康とスピリチュアルの話になってしまった。
相手に素敵な好きなところがあれば、その部分だけ味わえるデートの仕方で良いだろう。
人生を共にせずに。
ラーメンの脂味と絡めた麺が好きならば、その部分だけ味わう、たまに食べればいいだろう。
人生の常食にせずに。


うまいから、好きだから、そうやって常食していると不快なものが占めてくるのは恋愛もラーメンも同じ。
あっさりした不快ないことこそ、毎日常食にいいだろう。

濃いラーメンほどスープと麺が絡まり、恋愛も絡まるほどやみつきになる濃さである。
こんなくだらないオチも、たまにはの一食でいい。
え?、いつも不快な絡まる話?
まあそれはそれで、中毒性があっていいかも。


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