投票に行く無意味な行為をする意味
衆議院選挙が始まった
選挙に投票したところで世の中は変わらないのをよく熟知しているが、自分は投票に行く
政治はバカバカしいと無関心な人が多いであろう
それが狙いでバカバカしいことを政治家は行う
デモに参加や演説を聞きに行くのは面倒臭い
しかし投票するのは面倒なのも、たかが知れてる
アイスランドはグローバリスト政治家に騙されて金融立国になった
しかしリーマンショックで壊滅的な財政破綻して、国民は破滅するのが必至と思われた
ここから国民が目覚めた
選挙でグローバリスト政治家を追い出し、国民の利益を重視する政府が誕生
アイスランドは不可能と思われた再建を進め、国民の生活水準が向上した
このように、国民の声が政治に影響を与えることができた事例はある
アシュタールさんもミナミ◯さんのとこで言っている
高次元の存在は、政治が不要に思う人は関心持つ必要が無い、支配される苦しみを感じなければ投票も必要がなく、政治に左右されない意識が出来るならそう出来ると教えてくれる
同時に自分達で変えられれば変えられる世界も作れる、何を選ぶ事も出来ると伝える
政治的な無関心が続けば、私たちの生活に影響を与える政策や制度は、より一層に市民の声を無視した方向に進む可能性が高い
人の健康問題や経済問題や家族問題は、人が個人的に作っていると同時に、社会的に作っている、相互で存在している
個人が経済的に豊かになるほど締め付けが厳しくなるのを知る人は多くない
支配が強くなるほど、そっと離れる社会の困難さが強くなる
投票して社会がすぐ変わることはないのは確か
しかし投票する1番簡単なのをしなければ、もっと支配が強まる
どうせもうすぐ投票さえも出来なくなる社会になるだろう
政治なんて興味ないし得なことないと考える人の気持ちもよくわかる
私も自分の1票なんか社会に影響しないの知ってる
自分の1票なんか影響ないと実行しないで社会の不満を述べる人かどうか、宇宙は観てる
自分の在り方で自分が決まる
一方で、現実の投票する人は自分の利害だけでしている
利権政党に投票する有権者は、自分の組織利害で支持する
しかし浮動票の国民も、自分の利害だけで考える
例えば、子育て世帯は子育て支援する嘘の公約を掲げる候補者に投票するように
候補者も、国民がバカだから自分が得になりそうな政策を掲げれば投票してくれると踏んでる
選挙後は国民はバカだから忘れると思ってる
だから意味ないと投票しない国民が増えれば、ますます政治家の思うツボである
そんな事言っても入れたい候補者はいない、同意できる政党もないと思う人は多いだろう
私もそう
それでも考えて投票する
人々が考えることができれば、まともな候補者に投票され、次の選挙はもっとまともな候補者が出てくる
支配側の政治家も政策運営に手間取り、結果的に選挙から変わるだろう
選挙で社会は変わらない
だけど投票しないと政治家の願い通り
投票する面倒くささなんてたかが知れてる
だから無駄だが自分は投票に行く
選挙権を得てから国政選挙を棄権したことはない
期待も絶望もしていない
私は国家体制を観察しながら、同時に国民も観察している
つくづく思う、政治は国民を現している
自分の在り方が宇宙と繋がると知っている
ただ受動的ではなく能動的にあろうとするだけ
間もなく投票さえ出来ない体制になるかもしれないから
(蛇足だけど、須藤元気も山本太郎も「神との対話」の読者で、須藤元気はバシャールとも対話している
今は公言してないようだけど)