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「必要なことが起こる」
スピリチュアルでも、チャネリングでも、偶然はなく必然だとして、
「必要なことが起こる」と語られます。
自分の学びとして、自分の選択として、必然なことだから起こったこととされます。
ちょっとニュアンスを変えるならば、
「必要なことが起こる」のではなく、
起こったことを「必要なことにする」のが本質な気がします。
「必要なことが起こる」は、まだ運命に翻弄される受動の意識があります。
仮に偶然なことでも必然にする能動の意識なら、「必要なことに(自分が)する」なのでしょう。
望まないアクシデントが起きた時、無理に意味を与えて、苦し紛れに「必要なことが起こる」と考え、これで学び成長しようとして、むしろ苦しくなっている人が多いでしょう。
宇宙の出来事は森羅万象、全ては意味があるけど、全ては意味がないともいえます。
望まないアクシデントが起きたら、必要なことにするには何を行動すればいいか考えることが、不運を好運に変える意識であるでしょう。
起きる事に意味なんてない、
起きた事を意味あるものにする、
そういう考えもあると思うのです。
成長しようと成長できない自分を嫌いで苦しむより、好運に変える行為をする自分に好感を持てるはずです。
いつも「必要なことにする」ことが出来ないかもしれません。
でも、「必要なことが起こる」からと成長することこそ、いつも出来ないでしょう。
運命を受けるより、運命を作る方が、出来ない時のダメージが少ない気がします。
どうせ出来ることしか出来ないのだから。