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誰もがやがて君になる/GRC通信9月号

9月ももう終わる頃になって、少しずつ気温が秋らしくなってきた。

秋といえば読書。
というわけで今回は読書感想文を書こうと思う。思いつくままに。

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【注意】

この記事は、
『やがて君になる』(仲谷鳰 著 / KADOKAWA)
のネタバレを含みます!

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今回読んだのは、仲谷鳰先生による漫画『やがて君になる』。
数年前に全巻揃えて2巻あたりまで読んだものの、読破はしていなかった作品だ。


人を好きになったことがない小糸侑(こいと・ゆう)と、人からの好意を受け入れられない七海燈子(ななみ・とうこ)のふたりが、いくつもの壁を乗り越えてやがて惹かれ合い……というストーリー。
端的に言えば『百合漫画』である。

でもこれって、百合漫画なのかな?と僕は思う。
これは、交際に発展するふたりがたまたま女性同士だっただけの『人間同士』のラブストーリー。そういう風に見える。
もちろん悪い意味ではない。百合漫画というジャンルを下に見ているわけでもない。むしろ褒め言葉だ。

どういうことかと言うと、この漫画では、女性が女性であることをことさらに強調しない。
女性である前に、人間。
女性という生き物ではなくて、人間。

「そんなの当たり前では?」と思うかもしれないが、僕はそうは思わない。
こう考えるに至ったのには理由がある。

僕はノンバイナリーであり、大学でもそれをオープンにしている。常々、僕には性別がないと説明している。何度も何度もしつこく。
にも関わらず、他者と交流する中で日常的に『女性との接し方』に遭う。人間との接し方ではなく、女性との接し方。

具体的に言うと
・男性相手ではそんな気遣いをしない人から、妙に丁寧な接し方をされる
・ネット上に転がっている真偽不明の『女性が喜ぶモテテク』みたいなものをあからさまに実践される
・先生から授業中に『彼女は〜』と指される

……そう、世の中には『相手は人間である』という事実より先に『相手は女性である』『相手は男性である』というフィルターをかけて対応のしかたを決めてしまう人がとても多いのだ。ほとんどは無意識なのだろうが、僕は前述のような性自認のため、その無意識に日々グサグサと刺されている。

そんな世の中で生まれたはずの『やがて君になる』では、みんなが人間。性別問わずみんな。
それはひとえに、作者である仲谷先生の『人間』への解像度の高さゆえだと思う。
仲谷先生自身が人のことを性別で判断していないからこそ、ここまですべての人をリアルに描けるのではないだろうか。

僕と同じような性自認の人はこの漫画には出てこないが、きっとこの『やが君』の世界のどこかにはいるんだろうなと思えた。だって、仲谷先生の世界だから。

そんなこんなで、これは『百合漫画』というより『人間漫画』だと感じる。
だから『百合』というジャンルが苦手な人も、もしかしたら読めるのではないかと思った。読んでほしい。「百合だから読まない」としてしまうのはあまりにもったいない。

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ここからは、放送学科生としての感想。
僕は放送学科の中でも、ドラマ脚本に関心があるタイプの学生だ。物語をつくる側の視点で見てみても『やがて君になる』は勉強になることばかりで、そういう意味でも本当に読んでいて楽しかった。

僕は人間のことを考えるのが好きだ。物語をつくるにあたっては、キャラクターひとりひとりの人間性について深く掘り下げていく作業がいちばん楽しい。
そして仲谷先生もまた、人間への興味関心が人一倍あって、たくさんたくさん考え続けた結果これだけリアルなキャラクター造形ができているのだと思う。

仲谷先生の描く漫画は、感情表現が本当に細かくて丁寧だ。表情の種類が何十何百とある。
分かっていたつもりだったが、人間の感情って喜怒哀楽だけではないのだなあと改めて感じた。
感情って実際は喜怒哀楽などというパキッと分かれたものではなくて、グラデーションだ。嬉しいけど悲しかったり、楽しいけど悔しかったり。むしろ一言で簡単に言い表せられる感情の方が少ない気がする。仲谷先生はその微妙な心の揺れ動き具合を的確に拾って的確に表情に落とし込んでいて、プロってすごい……と思わざるを得ない。キャラクターの感情と表情とが、すべてのタイミングで、寸分の狂いもなく一致している。
自分の体を通して人の感情を表現するお芝居ならまだしも、頭の中に浮かんだものを手、そしてペンを介して出力する漫画という分野で、ここまでリアルに人間を描けるものなのか……と本当に驚いた。
仲谷先生は、まるでペンでお芝居をしているようだ。

そして、キャラクターのセリフひとつひとつに必然性がある。作者がなんとなくで言わせているであろうセリフがひとつもない。
すべてのセリフに、キャラクターの過去、そこから培われた価値観や考え方が滲んでいる。キャラクターが全力で今を生きている。

率直に、こういうものを書けるようにならなければいけないなと思った。
これから後期の授業で1本脚本を完成させなければいけないのだが、その前にやが君を読んで本当によかった。いいものが書けそうだ。

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ここからは、ジェンダー観点での感想。
(専門家ではないので間違ったことを言っていたら本当にすみません!)

いわゆる「百合」作品、及びレズビアンというのは、そう銘打たれた作品に性的なものが多いせいで言葉自体に性的なイメージを持たれやすい。しかも厄介なことに、それとは全く逆の「同性愛は性的欲求が絡まないから、異性愛に比べて純粋であり、綺麗なものである」というような幻想もまた、持たれやすい。
フィクションの影響で実在の当事者にそうした偏見を持つ人もいる。

そんな中、この作品では女性同士の恋愛をコンテンツ化して適当に消費することなく、「人間と人間の恋愛」として描いているように思う。
普通に言葉を交わして、普通に悩んで、普通に慌てふためいて、普通に嫉妬して、普通に泣いて怒って、普通に笑い合って。
異性愛と何ら変わらない、そんな「普通」のプロセスの末に、交際に行き着く。ふたりの関係の変化が妙に性的に描かれることなく、性別関係なしに『人間同士の恋愛』として描かれていることが嬉しかった。
また、終盤には恋人同士になったふたりのベッドシーンがある。読んでいてそのシーンに遭遇したときは少し驚いてしまったが、あってよいシーンだったと今は思う。もちろん人によるところではあるが、同性愛にも当たり前に性的欲求は絡むし、別に綺麗なものではないから。
矛盾しているように聞こえるかもしれないが『同性愛だからと過度に性的に描かれず、かといって過度に綺麗なものとして描かれてもいない』ことが、嬉しかったのだ。

そして「人を好きになる気持ちがわからないふたりが、恋に落ちて幸せになる」というストーリーだけ見ると「けっきょく恋愛が全てなのか」と思ってしまうかもしれないが、端役で出てくる槙聖司(まき・せいじ)は最初から最後まで「人を好きにならないけど幸せに生きているキャラクター」として描かれる。
この恋愛至上主義の世の中で明確に「恋愛しない、なおかつそれで幸せである」立場のキャラクターが登場する漫画というのはあまり見ない。実在のアロマンティック/アセクシャル当事者は勇気を貰えるだろうなと思った。

そしてその槙くんが「端役で出てくる」こと、そして槙くんが恋愛をしないことに「特に理由がない」ことが良い。
なぜなら現実世界では、主人公にならないその他大勢の人の中にもLGBTQ+当事者はいる。
当たり前に、いる。
当たり前にいるからこそ、主役じゃなくて、端役になるのだ。

そして「特に理由がない」について。
世の中には、LGBTQ+のキャラクターを理由なく登場させることを嫌がる人がいる。あるキャラクターの性自認や性的指向がストーリーの核にならないなら、わざわざLGBTQ+として登場させる意味はない、その情報がノイズになる、と感じる人がいる。
でも、シスジェンダーのキャラクターがシスジェンダーであることに理由を求める人はいない。現実でも、フィクションでも。
そのことから導き出せるのは、誰かがその性自認や性的指向であることに理由なんていらないということ。

恋愛をしない槙くんが恋愛をしない理由はただ、そういう人だから。
その設定がストーリー展開にガッツリ絡んでくることもない。
でも、槙くんは槙くんとしてそこにいて、幸せに生きている。

その描き方を仲谷先生が選択してくれたことが、嬉しかった。

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『やが君』を読み始めたとき、僕は七海先輩の意見にかなり共感していた。

「好き」という言葉は、束縛である。

僕は「あなたの○○なところが好き」のようなことを言われると身動きが取れなくなるタイプなので、全くその通りだとうんうん頷きながら読んでいた。
でも読み進めるうちに、七海先輩と共に僕も変わった。

「好き」と言ってくれた相手を、もっと信じるべきだったのだと。勝手に変わらないようにしていたのは僕の方で、束縛なんかではなかったのだと。

人を好きになるということは、そしてそれを口に出すことは、理想を押し付けて束縛することではない。
それは「あなたが今後どんな風に変わってもそれを受け入れるよ」という約束であり、覚悟なのだ。

人は変わる。誰もがやがて、君になる。

好きな人が『君』になって。そして僕が『君』になって。
それでも変わらずそばにいて、変わらず「好き」と笑いたい。いつか。いつでも。

以上、『やが君』を読んで『君』になった僕の読書感想文でした。
取り留めがなくてすみません。
季節の変わり目なので皆さま体調第一でお過ごしください。


【10月7日 訂正】
先日この記事を公開した際、Amazonの商品リンクを貼り付けていました。
しかし、Amazonはイスラエル支援企業であったことにあとから気がついたため、リンクを取り下げさせていただきました。
誠に申し訳ございません。

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