記事へのコメントで、なぜコメントに直接返信しないのかと質問されましたので
その1:個人的に考えているインターネットの現状について説明します。
インターネットは世界中の人が利用できるようになって間もないメディアです。
人類がインターネットを上手に使えるようになるまで、あと数十年ぐらい必要なのかなと思っています。
発展途上のインターネットですから、インターネットを上手に使いこなせない人も少なくないと思っています。
インターネットを上手に使えないと、何かしらの問題を自分で引き起こすこともあります。
その2:個人的に考えている、日本国内の議論を行うための教育不足状態。
どうやって活発で有意義な議論を行うのか、日本の現状を考えると圧倒的に不足している教育だと思います。
1つの事象に対して、複数の捉え方があるのは当然ですし、何が正しいのか短時間では分かりません。
こういう有意義な議論に対して必要な知識が不足しているため、インターネット上で行われている議論が有意義な結果を出せないことがあります。
議論することが仕事になっている政治家の皆さんを見ても、広く視聴者に議論を見せるべきマスメディアさんも、有意義な議論をあまり見たことがありません。
相手の意見を否定だけしたり、相手の立場を考えず否定ばかり。
こういう姿が映像を通して多くの人見ると、相手の意見や立場を否定することが議論なんだと勘違いする人も出てきます。
その3:短い文章で相手へ自分の意見を正しく伝えることができない。
インターネット上で、相手へ何かを伝えるための文章、とくにコメントなどは短い文章になりがちです。
この短い文章で、相手へ自分が思っていることを正確に伝えることは困難です。
相手が勘違いしたり、勘違いで不快な感情を持つこともあります。
誰もが意図せずに、誰かに対して不快な感情を持たせる可能性があれば、それは良い行為と言えるのか分かりません。
その4、過去に何度も見ている問題。
ブログにせよ、Webページにせよ、不特定多数の人が見ています。
何かしら感情を持ち、情報を作った人に何かを伝えたくなるのは自然な気持ちです。
しかし、この何かしらの感情、情報を作った人に絶望を与えることもあります。
この絶望が原因で、ブログやWebページを閉鎖している様子を沢山見てきました。
ブログやWebページを見てくださる方、情報を作った人とある程度の距離がなければ、絶望に繋がる可能性が高くなると私は考えています。
誰もが楽しく生活したいから、絶望の状況が生まれないように過去の出来事を思い出しながら、私は記事を書いています。
その5、公開した情報をどう使おうと情報を作った人は制御する方法がない。
八百屋さんで作った大根、煮て食べようが焼いて食べようが、お金を払って購入した人の自由です。
もちろん、日本刀の試し切りで切っても問題ありません。
ブログやWebページで公開した情報、見てくださった方がどう使おうと、情報を作った人には制御できません。
楽しんで読んだり、参考にしてもらっても良いですが、全力で否定される場合もあります。
否定されても、私としては何にも出来ません。
大根、どう使われようと、仕方ないんです。
その6、コメントをネタにして記事を書くこと。
どんなにクリエイティブな人でも、記事のネタに困ることがあります。
何かしら小さなネタがあれば、記事スラスラ出てくるのにと私は思うことが多いです。
こういう場合にコメントに関連した記事を書くと、スラスラかけます。
正直有り難いですが、これもコメントの数が増えてくると、どうするか悩みそうです。
コメントを投稿した人も、記事になったら少し面白いかなと思っています。
そこまでしなくても、と思っているかもしれませんが。