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あんたの腹を借りただけ

「毒親」という言葉について考えてみる。

私は「機能不全家族」で育ったという自覚がある。
過干渉で支配欲の強い母親と、精神疾患ではないかというほど浮気症の父親。小さいころの身の回りの世話は母方の祖母がしてくれていた。

その自覚が芽生えたのは30歳の時。
当時、仕事でいつも同じような思考パターンに陥り、うまくいかなかった。
「何かがおかしい」と思い、会社にいたカウンセラーに電話相談してみた。
最初は仕事の相談だったが、ある時「家族についてのワークシートをやってみてください」と渡された。
両親はどんな人だったかを書くだけなので快諾したのだが、手が震えて動悸がしてきて書くことができなかった。
「すみません、なんか無理そうです」と申し訳ない気持ちで用紙を返すと、
カウンセラーの彼は「ごめんなさい、これはまだ早かったですね」と慌てて鞄に仕舞った。

おかしいな、と思った。
家族のことを書けない? 育ってきた家なのに?

その後カウンセリングを一年半続けていくうちに、自分の家の異常さに気づくようになった。
「中西さんのお話を聞くと、胸がキューッとなりますね」
カウンセリング中に彼が言った言葉はいまだに脳裏に貼り付いて離れない。

母親とは「性格が合わない」と長年思ってきた。
父親は「そういう人だから仕方ない」と思ってきた。

違うんだ。この人たちは毒親で、私は機能不全家族の元で育ったのだ。
これが自覚できると思考が変わる。自分の行動や思考の癖が幼少期に備わった(もしくは自己防衛のために備えるしかなかった)ものだとわかる。

それからはさんざん洗脳されてきた親の思考と自分の思考を切り離す作業。
徐々に「親と縁を切る方法」を模索するようになった。

ネックだったのは祖母の存在。
私や兄弟が母親と喧嘩すると仲裁に入ってくれた。
保育園の送迎、通院の付き添いも全部祖母だった。

「祖母が死ぬまでは、このクソ親たちと物理的に距離を置きながら過ごし、
祖母の葬式後にキッパリ縁を切ろう」
と決意したが鋼の心臓を持つ祖母は90歳でもまだ元気。
あと何年我慢すればいいのか、途方に暮れ始めた時また母親と喧嘩した。
側から見れば些細なことかもしれないが、「ああ、本当にこいつと縁を切らないと自分がダメになる」と実感し、その日から一切連絡を取らないようにした。

すると数日後、祖母から電話があった。
「そんなことで喧嘩してないで謝れ」という。
「さんざん親に金(学費)出させておいて」という。

その後も謝らない私に、祖母は今度は手紙を送ってきた。
「親に感謝しろ」
「お前が謝らないと帰省もできないし、私も孫に会えなくてかわいそうだ」
と書いてある。
すぐにシュレッダーに流した。

同時期に、いつもは全然連絡のない叔母たちから
毎日十件以上、着信が残るようになった。
きっと祖母が叔母たちに私を説得するように仕向けたんだろうとすぐにわかった。

そこまでされて、はっと気づいた。
ああ、これは「ゲーム」なんだ。
ここでいう「ゲーム」とは交流分析に出てくる用語で、
救済者と迫害者と犠牲者をグルグルするっていうアレだ。
(詳しいことは各自検索)

いつだって犠牲者は私。
迫害と侵略を繰り返す母親。
私が親と縁を切ろうとすると、登場する救済者の祖母。
救済者と言っても、本当に私を救ってくれようとはしない。
母親や世間の立場に立って、「親だから大切にしろ」という一般論をぶつけてくる。
そうだ、こうやって学生の頃から、私の決断や意志はいつだって全て無視されてきたじゃないか。

祖母こそが影の操作者だったんだ。

それに気づいたのが2023年。
その日から「祖母の葬式までは」と思うこともやめた。
だって祖母は私の本当の味方ではないから。
祖母と関わると、私はいつまでも親と縁を切れないから。
つまり自分のしたいことを尊重してもらえない人と、一緒にいても無駄なんだ。

そこから新しい携帯番号を手にした。最後まで妹に新しい連絡先を教えるか悩んだが、悩んで悩んだ末に教えなかった。
ほとぼりが冷めたと思ったのか、また母が食べ物を送ってきたが、届く前に受け取り拒否をして返送してもらった。
毎度頼んでないのに腐りかけのものや絶対食べ切れない量のものを送ってきては、感謝しろと強要するからだ。

その間に生まれた次男のことも妹以外の実家の人々は知らない。
親から精神的に侵略されない生活は30年以上ぶりに心に安寧をもたらした。
今は祖母の葬式に行く気もしない。行く義理もない。それよりも実家の人々や親族を会うと思うだけで気が滅入る。

その後ゲシュタルト療法に行くようになって、少しづつ自分らしさを取り戻せている感覚がある。
今までの「未完了」の感情が「完了」していくことの大切さを身にしみて味わっているし、自分の不快な感情は頭ではなく、体が覚えているとしみじみ思う。
体の気になる部分に注目してみると、思ってもみないような過去の思い出がふっと湧いて出ることがあるからだ。

感情に蓋をしない。
感情に優劣はない。

怒りも、悲しみも、焦りも、恐怖も、自分から出た素直なエネルギーだ。

30歳の時「自分の親は毒親だった」と気づいた。
カウンセリングが終わる頃「機能不全家族」で育ったと自覚ができた。
葛藤に葛藤を重ねて、37歳で絶縁をした。

そしてゲシュタルト療法を進めていく中で、そもそもあんなの親だったのか?と思うようになった。
私は毒「親」に本当に「育てられた」のか?
そもそも毒を持つ親は、もはや親ではない。
そんな人間に育てられた覚えもないし、そいつらに子供を健全に育てる能力なんてなかっただろう。

あれは間違いなく虐待だった。
小さい頃から「私は虐待を受けていた。」

そう気づいたら腑に落ちた。
自分を苦しめる親なんて捨てていい。捨てていい親もいる。
全ては自分の意志のままに。
「親だから感謝しろ?」
くそくらえだよ、クソババア。

私はあんたの腹を借りただけ。
生まれるために借りただけ。

生まれてからは自分の意思で生きていく。
自分以外は全て他人。
血のつながりなんて心底どうでもいい。
自分を守れるのは自分だけ。

交流分析のカウンセリングやゲシュタルト療法のワークで学んだこと、気づいたことの影響はとてつもなく大きい。
あれほどまで湧いていた怒りも、どこかに消えてしまったようだ。
消えたと同時に親の存在も希薄になった。
今ではほとんど煙のよう。

私はこれからもワークする。
自分で自分の人生を生きるためにワークする。

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