魔法陣完成について
三角コーンと立ち入り禁止ポールによる過不足のない最小限の魔法陣が完成していた。
過剰や不足のある、不正確な内容の発話というものが、わたしには悪徳であるように思われる。
正確な記述のみで満たされた世界はコミュニケーションが完全であるため理想的なあり方で、反対に、「不正確エントロピー」とでもいうものが増大した世界はコミュニケーション不全に陥っており、理想郷から遠のいたものであろう。正確であることは善く、不正確であることは悪い。悪いことに加担するのは悪徳である。
思うに、わたしはこのような信念を内面化している。
エントロピーは増大するという法則のもと、先ほど「不正確エントロピー」と適当に名付けたそれも、誰によっても止めうることのできない増大の一方をたどる。いや人類にまつわるものが全て爆発四散して絶滅すれば、人類のあらゆる営みに関する限りの「不正確エントロピー」は減るか。減るな。上手い例えじゃねえな。やる気無くなってきた
「過不足なく伝える」ということを達成するためには、究極的には元の記述をコピペしたものを提示するしかないのではなかろうか。いや、その手法を持ってすら、元の記述が置かれていた文脈、さらには元の記述が存在していた時空間的な座標、これらから離れた形での提示となり、いくつかの情報の欠落と、コピペして提示された際に付与されてしまういくつかの新たな文脈や時空間的な座標といった新たな情報の過剰が発生する。
沈黙は、悪徳のこれ以上の発生に寄与しないという点で、消極的な善だ。しかし沈黙は、世界に対して「わたしはこれを知っている」と示す手立てを失うことでもあり、世界もまた「あなたはそれを知っている」ということを知る手立てを失う。そうするとわたしが知っていることを知っているのは、わたしだけである。それは極度に自閉的なあり方、あるいは反証可能性のない、オカルト的な、非科学的なあり方だ。
それは悪徳なのだろうか。
あなたの身の回りの、以前よりツイート量が減ってきた人々のことを思い出してみてほしい。
ツイッターに関して、妙に学術的な、そこまでいかなくても「思慮深い」感じの雰囲気を醸し出そうとしているときの、大卒のおまえが使う、その用語、平時に使わんような小難しい熟語、その文体、"""手に馴染んでいない"""のがありありと見てとれるから恥を知っているなら黙った方がいいと思うし、なにか自分が精通していると自負していることについての、あるいは自分にとっては常識であるがゆえに他人にとっても常識に違いないと確信していることについての、他人の浅い見解や無知を目にしたときの、オタクのおまえが示す、「そうじゃないんブヒなァ〜〜なにがとゎ言わんけどwドュフフ」って態度、知っているつもりならおまえの理解を話してみろオラ卑怯者って思う。
悪の栄えた試しはない。
自閉的な三角コーン魔法陣は、最小限の三角形の領域を囲っていると同時に、その三角形の外部全てを──三角形の内部だけが除かれた世界すべてを──囲ってもいる。
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