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『弱くても大丈夫なんだよ』老子道徳経第22章 シンとの対話
はじめに
老子(ラオツー)は、紀元前6世紀頃に生まれたとされる古代中国の偉大な思想家です。彼の著作『老子道徳経』は81章から成り、「道(タオ)」の本質と自然の法則に従った生き方をシンプルかつ深遠に説いています。この道徳経は、簡潔な言葉で書かれているため、その意味は多くの解釈が可能であり、非常に奥深いものとなっています。
この道徳経を読み解くことによって、老子の教えに従って私たちの生きる道が自然と調和し、より自由で豊かな人生を歩むための指針を得ることができるのです。その試みの一つとして、このNOTEでは、わたしのメンターであるシンとの対話を通じて、道徳経の理解を深めていこうとしています。皆さんにとっても、新たな気付きの機会となれば幸いです。
さて、今回は「道徳経 第21章」について、私のメンターであるシンとの対話を通じて理解を深めていきたいと思います。
とりあえず、この章の重点ポイントを先に説明しておきます。
サクッと22章を知りたい方は重点ポイントからどうぞ。
より理解を深めたい方は、対話からも感じ取ってみてくださいね!
老子道徳経・第22章の重点ポイント
1. 柔弱の力(曲則全)
柔軟さ、弱さは、全うされる。
→ 柔軟性や適応力が最終的には強さや完全性につながるという逆説的な教え。これは、無理に自分を通すのではなく、状況に合わせて変化することの大切さを説いている。
2. 謙虚さがもたらす豊かさ
自分を見せびらかさず、誇らず、争わない。
→ 自己主張や自慢をせずに謙虚でいることが、結果的に他者から尊重され、功績や成長につながると説いている。この考えは、「無為自然」の実践にも通じる。
3. 少が多を生む(少則得、多則惑)
少ないものは得ることができ、多すぎるものは混乱を招く。
→ 欲望を抑え、必要最小限を満たす生き方が、かえって豊かさや満足をもたらす。過剰な欲望や物質主義が混乱や不安の原因となることを警告している。
4. 聖人の「タオ」を抱く姿勢
聖人は「タオ=道」を抱いている。
→ 「タオ」を心の中心に据え、そこから離れないことで、聖人は自然と人々の模範となる。道(タオ)という調和と普遍的な法則に従うことを意味している。
5. 争わないからこそ勝つ(不争)
争わない聖人とは誰も争おうとはしない。
→ 主導権を握りたがらず、自然体でいることで、かえって誰からも脅威と見なされず、結果的に「勝つ」状態を得る。この考え方は、「柔よく剛を制す」にもつながる。
6. 「曲がるものが全うされる」の真実
この言葉は空虚ではなく、実際に自然界や人間関係において真理として機能する。
→ 柔軟で謙虚な生き方が最終的には完全性をもたらすという教えを再確認している。
シンとの対話(老子経 第22章)
さて、今回は「老子道徳経 第22章」について、私のメンターであるシンとの対話を通じて理解を深めていきたいと思います。
◯ ナオ:それでは、シン、よろしくお願いします!
⚫️ シン:やぁ、ナオ。よろしく!今回は、22章だね。秋も深まり、陰りゆく風景を眺めながら、のんびりと読み解いていこう。
では、いつものように先ずは原文と現代語訳を示すよ。
老子道徳経・第22章の原文
曲則全、枉則直、洼則盈、敝則新、少則得、多則惑。
是以聖人抱一為天下式。
不自見、故明。不自是、故彰。不自伐、故有功。不自矜、故長。
夫唯不争、故天下莫能与之争。
古之所謂曲則全者、豈虚言哉!誠全而帰之。
老子道徳経・第22章の現代語訳
柔軟であるほどに、完全な姿でいられるんだ。
柔ければ、風に揺れる柳のように自然と、もとの姿に戻るようにね。
くぼんで低いところに水は流れて満たされる。
自然と補われるんだ。
満ち満ちて、最後に壊れると、また新たに変化してゆく。
少なければ、入ってきやすくなる。物も情報も・・・
なんでも多すぎて複雑なほど混乱を招くよね。
だから聖人はこの「タオの原理」を抱いて調和を保ち
自然と人々の模範となる。
自分を見せびらかさないからこそ、逆に明らかだよ。
自分が正しいと言い張らないから、逆に尊ばれる。
自分を誇らないからこそ、逆に功績となる。
自分を自慢しないからこそ、逆にとまらず成長できる。
自ら争わなければ、誰も争おうとはしないだろう。
古くからそう言われてきたが、それは決して戯言ではなくて
自分の在り方や生き方が自然の流れに調和したとき
本来あるべき場所=「タオ(道)」に帰り着くんだよ、自然にね。
⚫️シン:この章は、現代の競争社会や自己主張が求められる状況においても、逆説的に価値を持つ教えだね。世間の価値観と真逆へと行ってる感じだよね。
◯ナオ:この章は、タオの本質、原理を説いているようにも感じたんだ。真理というのかな?どのようなものも、自然の調和するバランスする力にはかなわないんだなぁ。。。
⚫️シン:そう、それがタオのパワーだよ。結局のところ、つま先立ちしたまま、ずうっと生きることはできない。知らぬ間に元に戻されるんだ。無理っていうのは、やっぱり長続きしないんだよ。
◯ナオ:そう、それが言いたかった!タオのパワーと共にあるというのは、要は最も生きるのに調和している最適な状態。自動的に波に乗って楽に生きている状態といえるのだろうか。
⚫️シン:楽に生きるというのは、自分自身が決めることだから、心構え一つで変わるだろうね。自分にとって、とても楽しめる気がしないことを、すごく楽しんでいる人もいるだろうし、自分が楽しいと思うことは、誰かにとって苦痛であるかもしれないからね。
◯ナオ:それぞれの内面にあるタオと同調して、調和することがその人にとって一番よいんだね。
⚫️シン:そう。すべては自然と起こってくることだから、なにかおかしい、と感じた時、自分のあり方を見直す事がよいだろうね。周囲のことに氣をかける以前に、自分自身との対話によってタオを意識して同調するほうが、結果として良い。自然と導かれていくだろうね。
◯ナオ:生きていると、我を張って、虚勢を張って生きてしまっていることも多々あるよ。でも、そうすると、自然な自分からはなれてしまう。そうなれば、破壊を招いていく。そういう循環が、タオにはあって、そのサイクルへと入り込んでしまうんだね。
⚫️シン:それが老子のいう真理だね。タオの原理。結局は、無理を通してしまうとジタバタして無駄に疲れてしまって心も体も壊してしまって、あの創造の海へ戻されるんだ。結局は元へ戻ることになるんだね。たとえば、生きていれば大きな失敗もあるだろうけど、それもまた成功への入口でもあり・・・失敗したってそんなの、もう一度やり直したら良いんだって老子は言うだろうね。
◯ナオ:やはり、老子の視点は広くて大きくて長ーい視点だと感じるよ。長ーい視点でみることができれば、様々な気づきがやってくるんだね。
⚫️シン:凹むような出来事も、自分へのタオからのメッセージであり手紙の一つなんだ。あ、これは、ちょっと自然から離れて生きているな、と自分自身で氣付けるなら、君もタオと共に自然と良い方向に同調して生きていくことができるよ。
◯ナオ:あまり近視眼的に一喜一憂するのをやめて、感情に揺れつつも、タオの原理を冷静に感じていたいね。
⚫️シン:きっと、そうすれば何が自分にとって良くて、悪いか、といったことも、自然とわかってくるだろう。浮き沈みしながらも、よりよく生きることができる。沈んでも溺れることはないと知るんだ。君たちはタオの一部だからね。心配は無用だよ!ただし、極端になにかすると、極端に引き戻されるから注意が必要だね!
◯ナオ:ありがとう、シン!この章の対話を通じて、もっと実践的に老子の教えを活かしてく事ができそうだよ。
⚫️シン:よかった。そう感じてもらえるように、また次回も対話を続けていこう。
◯ナオ:シン、それじゃお茶にしよう!
・・・
おわりに
この章は、非常に重要な示唆があります。老子が時々逆説をいうことがあります。「君のやっていること、それ真逆な!」とか、それ結果的には、真逆へ成っていくよ、とか。陰陽から言うと、陰と陽を行ったり来たりするというのが、自然な流れなのですが、そこに真(シン)意がありそうです。タオの原理というのは、今が苦しくても、そのうち楽しみがくる。今失意のどん底なら、もう底から這い上がっていくだけだね、って励ましてくれるし、逆に調子に乗っていると、それ君、謙虚にしなきゃ落っこちて怪我するよ!っていう風に注意を促してくれます。そのようにして自然に老子の教え、原理が読み取ることが自然にできるようになれば、バランスの取れた生き方につながるのではないでしょうか。
最後までお読みいただき ありがとう