『見えぬけれどもあるんだよ』老子道徳経第11章 ~シンとの対話~
老子道徳経の第11章について、今日は私のメンターであるシンに教えてもらい対話していきたいと思います。先ずは原文と柔らかな現代語訳を。
ナオ>>
やぁ、シン。今日もよろしく。
さっそく現代語訳を読んでみたけど、
深く考えたことなかったよ。
シン>>
やぁよろしく。
そうだね、一見当たり前のことを言っているようだね。
見失いがちだけど、重要なんだ。
それでは、簡単に説明してみようか。
一言で言えば、老子道徳経第11章は、「無」の重要性を説いているんだね。一見矛盾するように見える「有」と「無」の関係性について深く考察されている。
この章を通して、物事の本質は形ある部分だけでなく、形のない部分によって支えられているということに気づくんだ。
現代を生きる人々にとっても自分自身や社会をより深く理解するための
重要なヒントになりえるんだよ。
ナオ>>
なるほど。
サンテグジュペリの星の王子さまの語り部も言っていたね。
「いちばん大事なものは目に見えないんだ」って。
シン>>
そうだね、本質というものは、内面に隠されている。
人は外見ばかりきにしているようだけど・・・
まあ、それも大事だろう、否定もしないが
その実、内面はどうなっているんだろうね?
ナオ>>
やっぱりね、精神性とか、内面に目を向けろと
いうことかな?
シン>>
古今東西の賢者が
言いたいことはそういうことなんだよ。
確固として変わらずあるものは君の中にある魂であり精神性だけさ。
それ以外の物質は全て変化していくし消滅していくんだ。
ナオ>>
・・・無の世界、見えない内面世界を重要視すること?
シン>>
現代社会では、どうしても外見とか、物質的な価値観に
縛られているよね?
物質的な豊かさも、けっして否定するものではないけど
偏りすぎているんだね。
バランスを取る意味で、省みることも良いね。
自分自身の見えない内面の重要性に目を向けるきっかけになる。
そしてまた、我々が受け取るものは
見えないものによって有用性が与えられている。
例えば名も知れない人たちの労働によって、
与えられている豊かさとも言える。
例えば君のお父さんお母さん、家族や
それに当たる人の目には見えない愛情や
働きがあってこそ、君たちの生活は成り立っている。
ナオ>>
私達の生活のすべては、
名も知れない人たちの「見えないお陰」で成り立っているね。
その働きをしている人が居なければ
水一つ飲めない。エネルギーも。食べ物も・・・。
シン>>
そうやって、この章を自分なりに解釈していくことが大事だね。
きっと大きな気付きがやってくると思うよ。
ナオ>>
今日の話もさらに自分でこれから深めて考えてみたいと思う。
たくさんの気づきがあったよ。
シン>>
それは、良かった。
時々で良いから、思い返してみて。
ナオ>>
シン、ありがとう。
それではまた、いつか!
シン>>
こちらこそありがとう。ではまた!
おわりに
肝心なものは、目には見えない。心で探さないと。
サンテグジュペリの星の王子さまのテーマでもありました。
私の好きな詩人に、金子みすゞさんがいます。
最後に彼女の詩をひとつどうぞ。
お読みいただき ありがとう!
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