『タオは確かに在るんだ。説明してみよう』老子道徳経第21章 シンとの対話
はじめに
シンとの対話(老子経 第21章)
さて、今回は「道徳経 第21章」について、私のメンターであるシンとの対話を通じて理解を深めていきたいと思います。今回は、タオとは何かについて、老子が語り、現代の主流たる物理科学としての量子物理学からみたタオとはどのようなものか?そのようなアプローチをとりました。ぜひ最後までお読みください。
◯ ナオ:それでは、シン、よろしくお願いします!
⚫️ シン:やぁ、ナオ。よろしく!今回は、21章だね。
では、いつものように先ずは原文と現代語訳を。
◯ナオ:この現代語訳を眺めていると、老子の言葉の限界について、以前説明していたことがわかるよ、タオを言葉で表現するのはかなり難解なんだね。
⚫️シン:そうなんだ、タオというのは人間が五感で捉えられる現象の背後にある、もっと根源的で深遠な世界を指しているんだ。このあたりは、現代物理学の世界や、スピリチュアル、直感的な感性による感応しかないのだね。言葉を介在しにくいんだよ。
◯ナオ:つまり、我々人間の五感で感じ取られるものではなく、第六感的なものや、現代物理学のようなインテリジェンスからくる数式論理的な答えや実験結果、古来からある霊感的な(スピリチュアル)世界観と重なっていくのかな。
⚫️シン:そうなるね。これは仕方がないことだ。普通の人間が持ち得る身体感覚というのは、限界があるので、何かしらの超感覚が必要になるということだね。しかし、そういったものは信じられない人もいるだろうし、その視点を持ち込むべきか悩むところだが、そこは柔軟に考えてみたい。
◯ナオ:それは、以前も話題に上がった「量子物理学」という領域だね?
⚫️シン:そうだね。量子物理学は、現代物理学では既に当たり前となっている。
◯ナオ:では、2つのアプローチ、量子物理学的アプローチと、スピリチュアルな世界観からのアプローチで説明してほしいんだけど、どうだろうか?
⚫️シン:そうだね、その2通りからのアプローチで理にかなっていると思う。それでは、2つのアプローチで老子が語るタオを読み解いてみよう。
次に、タオと量子力学の特性について、類似性をみてほしい。
タオと量子力学の特性マトリクス
こうして整理すると、タオと量子物理学の間には、ただの比喩ではなく、深い共通性があることが見えてくるね。
ようやく現代物理学が見抜いた我々の生きる現象世界の真理を
我々が直接みることができない真実の世界、宇宙の成り立ちを
老子は既に2000年以上前に、識っていたということになる・・・・
途方もない話だと思われるだろうけどね。
◯ナオ:この話がリアルだったとすれば、老子はまるで超能力者であり、やはり我々では見えない世界を体感、体験していたのだろうね。それは、きっと他人に簡単には理解できないことだっただろうから、そういう苦労はしただろうね。
でも、シン、こうやって量子論と比較しながら、タオについての実在感が増してきたのだけど、結局老子は、この章で何が言いたかったのだろう?
⚫️シン:第21章で老子が伝えたかったことを一言でまとめるなら、それは「タオを感じ、信じ、従うことの重要性」だと思うよ。
老子は、この章を通じて「タオ」というものがどれほど目に見えず、捉えどころがなく、それでいて宇宙や人間の営みを支える根本的な存在であるかを語っている。言葉では説明しきれない、けれどその中には無限の可能性や秩序が潜んでいる、とね。
これを現代風に解釈すると、「目に見える成果や即座の解決だけを追い求めるのではなく、目に見えない力や流れに信頼を寄せて生きることが大切」というメッセージになるだろうね。
たとえば、タオを意識しすぎて操作しようとすると、本来の流れを壊してしまうんだ。だから、老子は「無為自然」、つまり自然に従うことを重視している。無理に何かをしようとしなくても、タオに沿った行動を取ることで、全体の調和が保たれるという考えだね。
この章は「タオは見えなくても確かに存在している。だから、焦らず信じて委ねなさい」という静かな励ましのようにも感じられるよ。ナオの人生でも、何か迷ったときにこの感覚を思い出すと、少し肩の力を抜けるかもしれないね。
◯ナオ:それは、まさしく自分のためにある真理かも!様々な外的な要因によって、人は右往左往している、私も例外ではないので・・・笑
とても深い話ができて、今回さらにタオに対する理解が深まったよ
ありがとう、シン!
⚫️シン:よかった。この章であらためてタオの実在を感じてもらえたらと思うよ。それでは、また!
最後までお読みいただき ありがとう!