『過剰を戒め、中道を歩むことの大切さ』老子道徳経 第9章 シンとの対話
はじめに
みなさま、こんにちは。
今日は、シンと老子道徳経第9章について話をしてみたいと思います。
ミニマリストの皆さんにも有益な話が多い章です。
お楽しみください!
老子道徳経第9章。シンとの対話。
やぁ、皆さん。ご機嫌はいかがかな。私はあなたがたの世界では老子と呼ばれている。あなた方の時代からみると、2千数百年くらい前に老子道徳経という81章の文書を残したと伝わっているはずだ。さて、君たちの存在する現在では、私は既に人間としての肉体は滅びたが精神性として、この宇宙に万遍している。そこから応えることにしよう。既に滅びた身なので、私の化身の名を仮に「シン」と名乗って応えるとしよう。それでは、早速はじめようか?
ナオ>>
やぁ、シン。こんにちは。今日は、老子道徳経の第9章について教えてもらいたいんだ。
シン>>
第9章だね。まず、原文と、訳をみてみようか。
この章は、過度な執着や欲望を戒めることを教えているんだ。
何事も適度が大切であり、成功した後は謙虚に身を引くことが重要だと説いてるね。どうだい、ナオ? 何か感じることはあるかな?
ナオ>>
そうだね、経験からみても、やっぱり、やたら調子に乗っていると、足元をすくわれるような体験があるよ・・・汗。極端に走って、周囲との調和が乱れて問題にもなることを目にしてきたしね。あと、金銭に関してだけど、多く持ちすぎると感覚がおかしくなるんじゃないかな?そしてエスカレートしていくという怖さがあるよね。
シン>>
そうだね、ナオ。君の言う通り、調子に乗りすぎると、思わぬところでつまずくことがあるものだよ。極端に走ると、周りとのバランスが崩れてしまうこともあるしね。過度な欲望や執着はかえって自分を苦しめることになるんだ。
ナオ>>
近年では、それに気づいた若い世代の人たちは、ミニマリストという、ある種のムーブメントになっているね。
シン>>
そうだね。ミニマリストのムーブメントは、まさに老子の教えに通じるところがあるよ。物質的な欲望を減らし、シンプルな生活を送ることで、心の平安を得ようとする考え方だね。
老子も「簡素な生き方」を説いていたけど、現代のミニマリストたちも同じように、必要最低限のものだけで暮らすことで、心の自由を追求しているんだろうね。物が少ないと、その分だけ心も軽くなるものだよ。
どうだい、ナオ。君もミニマリストの考え方に共感するところがあるのかな?
ナオ>>
現代の若者たちは賢いんだね、老子の見識が、ようやく理解できる人たちが増えてきたのは嬉しいことだよね。
シン>>
そうだね、ナオ。現代の若者たちは本当に賢いよ。老子の見識が理解されるようになってきたのは、わたしも嬉しいことだ。物質的な豊かさだけではなく、心の豊かさを求める姿勢が広がっているのは素晴らしい。
わたしは、長いこと生きてきたけど、いまだにわからないことだらけだよ笑。どうだい、ここらでお茶にしないか?わたしがお茶を入れるね。
ナオ>>
お茶をありがとう。では、この章は、そのまま、現代のミニマリストたちの思想そのものでもあるんだよね。
シン>>
お茶をどうぞ、ナオ。ゆっくりと楽しんでね。
そうだね、この章はまさに現代のミニマリストたちの思想そのものだと思う。物質的な欲望を減らし、シンプルな生活を送ることで、心の平安を得るという考え方は、老子の教えと通じるところが多いんだ。
老子は「持ち続けて満たすよりも、適度に止める方が良い」と言っているように、過度な執着や欲望を戒めているんだ。
ナオ>>
私も、ミニマリストたちに共感できることが多いよ。ただし、老子の陰陽理論にもあるとおり、過激で極端なミニマリズムは、それはそれで気をつけないとね。
シン>>
君の言う通り、老子の陰陽理論にもあるように、バランスが大切なんだ。過激で極端なミニマリズムも、それ自体が新たな執着やストレスを生む。
老子は「無為自然」を説いているけど、それは自然の流れに身を任せることを意味しているんだ。極端に走るのではなく、自然体でいることが大切なんだよ。
ナオ>>
これまでの物質社会自体が異常だったということからみれば、ミニマリストへと極が移動してくるのは自然な流れなのだろうと思うよ。これからさらに、物質的豊かさより精神的豊かさへの価値観の極移動が起こっていくだろうね。
シン>>
物質社会が続いてきた中で、ミニマリストの考え方が広がってきたのは、自然な流れだろう。物質的な豊かさだけでは満たされない部分があることに、多くの人が気づき始めたんだろうね。
これからは、物質的な豊かさよりも、精神的な豊かさを求める価値観が広がっていくかもしれないね。心の平安や、自然との調和を大切にすることが、ますます重要になってくるだろうね。
ナオ>>
仕事も生活も、心身の豊かさのために、中道・中庸的なバランス感覚を磨いていく、それが大事なことのように思えてきたね。そのために、どのようにすればいいんだろう?
シン>>
中道・中庸的なバランス感覚を磨くことは、心身の豊かさを保つためにとても大切なことだよ。わたしもその考えに共感するよ。では、どうすればそのバランス感覚を磨けるか、いくつかの方法を考えてみようか。
どうだい、ナオ。これらの方法を試してみることで、心身のバランスを保つことができるかもしれないね。
ナオ>>
老子の第九章の教えは、現代ではミニマリストたちにとっての金言になりそうだ。よくわかったよ、シンありがとう!
シン>>
そうだね、ナオ。老子の第九章の教えは、現代のミニマリストたちにとってまさに金言だろうね。物質的な欲望を減らし、心の平安を求める姿勢は、時代を超えて共通するものがあるんだ。
ナオ>>
第9章について、理解が深まったし、ミニマリストたちの基本思想の出発点がここにあったという発見があったよ。
シン、お茶をありがとう、ごちそうさま。それではまた。さようなら!
シン>>
どういたしまして、ナオ。お茶を楽しんでくれて嬉しいよ。またいつでも話しに来てくれ。
おわりに
道徳経第9章は、まさに過剰を戒め、中道を歩むことの大切さを説いたものです。この章には、「地位名誉、物やお金を求め持ち過ぎて満ちるよりも、自然のままでいるがよい」というメッセージが込められています。過ぎたるは及ばざるが如し、と老子は語っているんですね。宝石箱を満たし過ぎれば、その蓋は閉じがたい。剣を研ぎ過ぎれば、その刃は早くもろくなる。これは、物事には限度があり、極端は禍を招くという教え方です。現代日本に生まれた者として、この教えをどう生かせばいいのでしょうか。物質的な豊かさを追求することなく、心の平穏を大切にする価値観を重視する。人々の心に寄り添い、良心的な道を示す。このような考え方は現代社会にも深く響いてきます。なぜなら、私たちの周りには、常に「もっと、もっと」と欲望を求める声が溢れています。しかし、老子は静かに囁く。「十分だよ。それくらいにしておいた方がいい、それでいいんだよ」と。そう、満ち足りた心こそが、真の豊かさをもたらすと教えてくれます。
お読みいただき、ありがとうございます。