人間が愛と信仰を捨てたら

たとえ、その人が、かつてのパウロの同労者だったとしても、その人が自分で神を否めば、神もその人を否まれる。その人の名はデマス。

参照聖句

私の同労者たちであるマルコ、アリスタルコ、デマス、ルカからもよろしくと言っています。 (ピレモン24)

愛する医者ルカ、それにデマスが、あなたがたによろしくと言っています。( コロサイ4:14)

デマスは今の世を愛し、私を捨ててテサロニケに行ってしまい、また、クレスケンスはガラテヤに、テトスはダルマテヤに行ったからです。 (テモテ第二4:10)

デマスは,パウロがローマで最初に投獄されていた時には、同使徒と共にローマにいました。が、パウロが2度目の投獄の際、パウロがテモテに手紙を書き送った時には、デマスはすでに同使徒を見捨てて、郷里と思われるテサロニケへ行ってしまいました。パウロの言葉によれば、デマスは「今の世を愛し」と書かれているので、神と隣人より、自分を愛したことにより、真理から離れてしまったようです。神のみこころは次の聖句にこう書かれています。「 神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。 」(テモテ第一2:4)たとえ真理を知り、一度救われ、御霊を受けるようになっても、その人が、自分で信仰と愛を捨てた場合その人の行動は誰にも止められないという証明になりました。終わりまで、忠実であることが、救いの条件であるという、イエス様の言葉を厳粛に受け止めましょう。デマスが欲した、世への妄想(愛)は、自分で思いを作り直せばよかったのです。結論はこうです。自分がどう思い、どう感じ、自分の目にどう見えるかは、関係がないのです。それらが、真理に反していれば、妄想にすぎないと初めから決めておくことです。信仰と愛によって、尻込みせず、神から与えられた任務を完成させるためです。艱難に出会っても、神の約束を信じて一歩も引かないと普段から決意しておきましょう。これが、父なる神と主イエスに対する「真の愛と信仰」です。アーメン。

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