マケドニアの槍が長すぎる
マケドニアとギリシャの槍
マケドニアの槍は本当に長い。6mもある。古代ギリシャの各ポリスの槍は2〜3mなのに。
いきなり何の話か伝わらないと思うので、説明する。
マケドニア王国は、古代ギリシャ世界の北方、テッサリア地方にあった国である。
マケドニア人は人種的には古代ギリシャ人と同一と言われているが、文化が異なるため、古代ギリシャ人たちはマケドニアのことをギリシャ的な国としては考えていなかったという。(そもそも古代ギリシャ自体、国としてのアイデンティティをもつ都市国家ポリスの集合体で、古代のあの地域に「ギリシャ」という同胞意識はなかったのだが)
このマケドニア、とんでもなく強い。かの有名なアレキサンドロス大王は20歳で即位したのち、秒でギリシャを制圧、ギリシャを手こずらせていたペルシャもついでに制圧、さらに短期間で小アジア、エジプト、メソポタミアもまるっと制圧、果てはインダス川までの大帝国を築いたトンデモ大王である。しかも32歳で夭折しているのもまた怖い。スピード感が有り余っている。
ギリシャとマケドニアの戦法は、基本的には同じである。
「ファランクス」と言われる密集陣形を組み、陣形を崩さないように相手の陣形と戦闘する。
古代ギリシャのポリスの兵士たちは、右手に槍を、左手に盾を構えてファランクスで戦う。彼らの使う槍は2〜3mの長さだった。
ところがマケドニアは6mの槍を使う。リーチが全然違う。マケドニアの槍はギリシャには届くが、ギリシャの槍はマケドニアには届かない。そりゃ負けるよね……というのが、ギリシャ旅行に行くまでのわたしの所感であった。
アレキサンドロス大王の像と6mの槍
ギリシャ第一の都市は言わずと知れた首都アテネである。では第二の都市は?
正解はテッサロニキ。聞いたことがない人がほとんどだと思うか、ギリシャでは国際空港を持つ都市はアテネとこのテッサロニキしかない。
ちなみにギリシャ語ではΘεσσαλονίκη、発音記号のθが入っている。テッサロニキの「テ」の発音は、英語のthの発音である。
征服王アレキサンドロス大王の出身地は、テッサロニキの近郊のペラという地である。テッサロニキには、海岸沿いにアレキサンドロス大王の像が建っている。
槍……めちゃくちゃ長くない?
6mの槍、実際に人間と比べるととんでもなく長くない??
写真でもその長さは伝わると思うが、実際に見ると本当に長い。その長さは二階建ての一軒家の高さに相当する。
6mの槍(のレプリカ)を実際に見るまで、わたしはマケドニアも他の古代ギリシャポリスと同様に右手に槍を、左手に盾を構えてファランクスを組んでいたのかと思っていた。
が、この槍を見て考えが変わった。この槍を片手で扱うのは人間には無理。
マケドニア式ファランクスの強さの秘訣
6mの槍を片手では扱えない。ということは、マケドニアとギリシャでは異なったファランクスが組まれていた可能性が高いと考えついた。
帰国後、マケドニアのファランクスについて調べると、まさに「マケドニア式ファランクス」と呼ばれるマケドニア独自のファランクスがあったことを知った。
ギリシャのファランクスは、皆が同じ武器(槍と盾)を持ち、同じ動きをしながら、ファランクスが崩されないように戦う。
一方マケドニアのファランクスは、首からかけて手につける小さい盾と、6mの長槍を持つ歩兵を本隊として、本体の左右に軽装歩兵と近衛歩兵、左右翼には騎兵、前衛には弓を扱う歩兵を配置した。
ギリシャのファランクスは前方からの攻撃には強いが、横からの攻撃には弱い。左翼で防御しながら右翼で攻撃するマケドニア式ファランクスは、従来のギリシャのファランクスを圧倒した。
他にも、マケドニア兵はギリシャ兵と比べると軽装備であり、機動力に長けていたと言われる。「マケドニアが攻めてくる!」とギリシャ側が戦争の準備をしている間にマケドニアが攻めてきて、ギリシャのポリスは次々と陥落したと言われている。
みんな守るか、誰か捨てるか
ギリシャとマケドニアの戦闘スタイルにこれほどにも差があった理由は、両者の戦闘における意義やスタンスの違いによるものである。
古代ギリシャの兵士は男性市民であった。市民である限り皆の命の価値は同じであるので、ギリシャの戦闘スタンスは「できるだけ被害を少なく」である。皆で陣形を組み、同じ動きをし、前後左右の者が互いに守り合う。誰も見捨てない。これがギリシャの戦闘スタイルである。
一方のマケドニアは王国である。王国であるなら、王を頂点とした社会的階級が存在する。貴族、平民、奴隷や傭兵である。マケドニアの戦闘スタンスは「身分の低い者を犠牲にして勝つ」である。マケドニアでは命の価値は平等ではない。使い捨ての傭兵を前衛に置き、敵陣形に切り込むというギリシャにはできない戦い方が、マケドニアにはできた。
ギリシャには作れない身分階級ファランクスでギリシャのファランクスを圧倒したのがマケドニアである。
この圧倒的な強さを誇ったマケドニア式ファランクスには考えさせられるものがある。
みんなを守りたいギリシャ式ファランクスは、誰かを見捨ててでも勝つマケドニア式ファランクスになす術もなかった。
古代ギリシャ社会から見て、マケドニア王国は市民制を導入せず、階級社会で人々を縛るならずもの国家だった。だが高貴なギリシャはその階級社会が可能とするマケドニア式ファランクスに陥落した。
皆平等な命を守りたい、隣人と助け合いたいというギリシャの市民性は、下賤の身分を使い捨てるマケドニアの王国性に歯が立たなかった。
もし前衛を使い捨てることでマケドニアと対等に戦えるかもしれないとなったら、ギリシャ人は前衛の者を見殺しにすることができるだろうか、と思う。それは古代ギリシャのアイデンティティであった民主政、市民制を捨てる行為でもある。
残酷だが、戦争においては皆を守りたい者よりも誰かを見捨ててでも勝ちたい者のほうが強い。