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他の女の名前で呼ばれたらどうするか問題

バレンタイン間近ということで
勝手にバレンタイン特集♪

ご存じの方ばかりだけれど、改めて書いてみると、わたしにはトラオくんというパートナーがいる。イギリス生まれのイギリス人、英語ペラペラ(当たり前)日本語5文程度。

ふたりの平均年齢を今朝計算してみた。びっくりするけれど、半世紀を当然超えている。なのに、この年になってみても恋情というものはハタチのコムスメの時と何ら変わらない。といっても、年齢なりに、この人と生きてもいいかと思う基準はすっかりと様変わりしている。

26歳の時、結婚をした。考えてみるとこの時も遠距離恋愛だった。NYと日本、当時はパソコンも普及しておらず連絡手段は手紙と電話だけだった。それでも気持ちを温めあって、迷いもなく結婚に飛び込んでいった。ただ、一番好きな人だったから、という理由だったとおもう。結果、結婚生活は13年(多分そのくらい)で破綻してしまったのだけれど、それはまた別の話。

私とトラオくんの残り時間を考えると(いやいやもうそういうこと考えるんだよ)私たちが心身ともに元気でいられる時間は、若い人たちのそれとは比較にならないほど、短くて、儚い。
大好きだから、という理由だけでこの人を自分のパートナーとして生きていこうとサクッと思えるほど私は無防備ではなくなってしまった。

まず、頭に浮かぶのは病気になったときのこと。この人が病気になったときに、心から看病できるかと自分に問うた。それはあっさりと答えがでてきた。多分大丈夫。そもそも献身的だし。

次に問題になるのは、彼が物忘れがひどくなった時のことだ。いつかはそんな日がやってくるかもしれない。そこで私が危惧したことといえば、人間は最近のことから忘れていく、という事実だった。

わたしにとっては、最初で最後(多分)の外国人の恋人である彼の名前を呼び間違えることは、たぶんないだろうと思う。(いや、あったんだよ、実は)

それはさておき、トラオくんには歴代日本人彼女がいた。ということは一番直近の私の名前をさっさと忘れて、わたしを別の名前で呼ぶことが可能性としてないとはいえない。いや、大いにあるかもしれない。まあ相当先の話にはなるけれど。

もしも、別の女の名前で呼ばれても許してあげられるか

滅多に使わない大文字を使うほどの大問題だったわけで、そのことを結構長く手さぐりしていた。このことは、彼と一緒に生きていけるかの最大の基準になったといってもほかならない。最終的には、笑って許してあげられる、多分根には持つけど、という答えがでてきたのは結構最近のことだった。

若き日に共に手を携えて、色んな荒波を一緒に乗り越えてきたなら、そんなこと考えもせずに自然に身を任せることができるだろう。けれど目の前にそれがちらちらとする年代である私たちには、ありありと見えてくる現実として、考えてみることのひとつだった。一緒に生きていくっていうことは許しあえることだからときれいにまとめればそういうことだけど、ただ単に、ままま、大丈夫だからお茶でも飲むか!という気分になっただけのことかもしれない。

だって結局、明日どうなるかなんて誰にもわからない。それが人生だから。

おまけ

私がトラオくんの名前を呼び間違えた話。
正直な話、これは七不思議でしかない。自分でもなぜ間違えたのかわからない。だって知り合いの外国人のどこを探しても、その名前はないからだ。

トラオくんをトラスケさんと呼び間違えた

そう、イニシャルは一緒だった。それ以来、何かあるたびに、君はトラスケとメッセージしてるの?とか君はトラスケとでかけるの?とか執拗にトラスケ連呼の刑にあっている。だから、わたし、老いて物忘れがひどくなったとき、彼をトラスケって呼ぶかもしれない。

でもそれはトラオくんのせいだ。君がトラスケを連呼したせいだよ。そこ、何かの折にきちんと言っておこうと思っている。

おまけのまたおまけ

本当のことを書こう。
私はだいぶ年下だけど、物忘れが問題になるのはまず私からだと思う。すでに軽くそういう感じだし。そうなると、別の女の名前で呼ばれて暴れようが知ったこっちゃない、ということになるし、トラスケと呼んだって罪深くない。総合的に考えれば、こうなる。

だから結局、ここまで書いたこと全て杞憂に終わることになりそうなんだ。

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