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短期視点、中期視点、長期視点、永遠の視点と質問の設定

レッスンにおいて、「霊感を招く質問」を作る際に考える必要があるものの一つに、「考える対象のスパンの長さ」があります。

スパンの長さ、言い換えれば質問を通して問われている「目標の達成スパン」です。

これが明確で、かつ的確に設定されていないと、質問が曖昧なものになったり、考えづらくなったりして、ディスカッションがうまくいかなくなります。

ということで、今回は質問とその目標設定のスパンについて考えてみたいと思います。


人間は様々な「視点」で考えている!

人生においては、人は様々な期間的な視点を持って生きています。

短期的な視点でこれをしたら直後どうなるか、中期的に1ヶ月後、1年後どうなるか、長期的に10年後、30年後どうなっているのかと、短期的なスパンから長期的なスパンを行ったり来たりしながら、いま得を得られるか、あるいは今は損でも将来的に得かなどを考えて行動しています。

教会員ではここに「永遠の視点」が加わり、死後、復活後どうなるのか、今は辛くとも将来、救いを得た時にどのような祝福があるか、という視点で考えながら生活し、行動することになります。

こと質問に関しても、私たちは様々なスパンの視点で見ることを想定して考えられるような質問を作る必要があります。

短期目標、中期目標、長期目標、永遠の目標の例

目標と質問の具体例を出して、考えてみましょう。

まず、目標設定は「救い(昇栄)を得る」とします。

この目標について、「永遠のスパン」で目標を問う質問は、次のようなものです。

Q.どうすれば救いを得られますか?

いきなりレッスンでこれを聞かれても、答える方は何をすればいいのか、そのためにできることが膨大で、かえって考えづらくなってしまいます。

これを「長期的な目標」を問う質問にすると、どうなるでしょうか。

Q.現世の生活の中で、どうすれば救いを得られますか?

「現世でどう過ごすか」という視点が加わったため、少しスパンが短くなり考えやすくなったと思います。しかし、これでも依然として目標は遥か遠くにあり、いまいち実感が持てないのが正直なところです。

そこで、もう少しスパンを短くして、「中期的な目標」を問う質問に変えると、次のようになります。

Q.今から10年間、どんな生活を心がければ、救いを得られますか?

Q.今から1年間、どんな生活を心がければ、救いを得られますか?

10年間と目標実現のスパンが区切られたことで、何をすべきか、何ができるかがよりハッキリとイメージできるようになり、さらに短く1年間とした場合は、もっと実感が強くなり、考えがまとめやすくなると思います。

ここからさらに短い、「短期目標」というスパンの視点で質問を作ると、こうなります。

Q.救いに近づくために、今週できることはなんですか?
Q.救いを得るために、今日、何ができますか?

こうするとどうでしょうか。今週何ができるか、今日何ができるかと、非常に身近に考え、実感として「具体的な行動」につながっていく考えが生まれやすくなっています。

このように、霊感を招く質問を考える際は、永遠の視点→長期的な視点→中期的な視点→短期的な視点→と、視点、考えるスパンを長いものから短いものへと絞っていくことで、生徒に具体的な目標の設定とその達成のための具体的な行動に目を向けて考えてもらうことができます。

生徒がディスカッションで考える際は、霊感を招く質問とは逆の順番で考えていくことになります。

例えば、今日これをやったら、あるいはやらなかったら1ヶ月後どうなるだろうか、1年後どうなっていたいか、10年後にどんな状態になっているだろうか、そして永遠の世では救いを得られるだろうか……と、今から後を視点を移動させながら考え、さらにもう一度視点を遡らせて考えてきて、じゃあ今週何ができるか、今日これをやっておけば永遠の目標に少しでも近づけると考えをまとめることができるでしょう。

目標をより「具体的に、実現可能なこと」に落とし込み、「何ができるか」を問う

目標設定のスパンをより実感できるもの(短期目標)に絞ったら、同時に目標自体も具体的にすると、なお効果的なディスカッションが生まれます。

例えば「イエス・キリストのような人物になる」という目標があった場合、イエス・キリストの「どんな特質を目標にするか」を具体的に問うことで、よりイエス・キリストのような人物に近づくために、より助けになります。

目標を短期的、かつ具体的にすることで、私たちは手の届く、実現可能な目標に向けて行動できるようになります。
質問ではその行動を問うのです。すなわち、「その目標を達成するために何ができるか?」と。

ディスカッションでは、具体的な行動のレベルにまで意見を落とし込めるかが、鍵となります。だから、最終的には行動を問う質問、または行動に繋がる気づきを問う質問になるといいのです。

私たちは、一気に完全になるわけではありません。完全を目指す聖句の一つにはこうあります。

聖徒たちをととのえて……わたしたち……が……全き人となり……キリストの満ちみちた徳の高さにまで至るため……あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達〔するために〕愛のうちに育てられていくのである。

エペソ人への手紙4章11-16節 (抜粋、補足部分付加)

そして、私たちは次の聖句のようにキリストのもとに行く努力をする時に、一歩ずつ、一段ずつ完全に近づいていくことができるのです。

まことに,キリストのもとに来て,キリストによって完全になりなさい。
……勢力と思いと力を尽くして神を愛するならば,……あなたがたは神の恵みにより,キリストによって完全になることができる。

モルモン書 モロナイ書10章32節

このことを預言者ジェフリー・R・ホランド長老は、『それだから,あなたがたもいずれ完全な者となりなさい』という説教で話されています。

この聖句を教会のレッスンに当てはめてみれば、短期目標の達成の積み重ねが中期目標の達成を生み、それが積もり積もって長期的な目標、そして永遠の目標の達成へと繋がっていくのです。

一回のレッスンで考えたこと、気づいたことは小さなことかもしれませんが、そのレッスンが継続され、気づきを行動に移していくならば、レッスンの生徒の皆さんは、いずれキリストのような徳を身につけ、キリストのような人物になることができることを証します。

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