見出し画像

レッスンで冷や汗が出る瞬間とは……

皆さんは教会でレッスンをしていて冷や汗が出た経験はありますか。

筆者は、レッスンに必要な道具を忘れたり、PCとプロジェクターを繋ぐHDMIケーブルを忘れたり(結局家用と教会のレッスン用と2本買いました……)、いろいろやらかして冷や汗タラタラなわけなのですが、今回はそんな凡ミスとはちょっと種類が違う、でも、おそらく誰もが経験する「レッスンにおける冷や汗が出る瞬間とその対処法」を考えてみたいと思います。


教義的に間違った意見が出た時には……

教師をしていてレッスンで冷や汗が出る瞬間、それは「教義的に間違った意見が出た時」です。

そんな時、皆さんはどうしていますでしょうか。

これに関して筆者は、一つの意見を持っています。それは、「一律同じ反応ではなく、個別に御霊を求めた方がいい」ということです。

こういう時に一律に厳しく訂正や反対をしていたら、その方は皆の前で恥をかき、最悪、次の週から教会に行きたくなくなってしまうかもしれません。
もしかしたら、ただ知らないだけだったのかもしれません。

聖典にはこうあります。

いかなる力も影響力も,神権によって維持することはできない,あるいは維持すべきではない。ただ,説得により,寛容により,温厚と柔和により,また偽りのない愛により,
優しさと純粋な知識による。これらは,偽善もなく,偽りもなしに,心を大いに広げるものである。

教義と聖約121章41-42節

どんな時も愛と寛容を忘れないようにしたいと思っています。

この聖句を参考に、教義的に間違った意見が出た場合は、教師としては心に感じる、心に浮かんでくることに注意を払い、その御霊の導きに頼りながら愛と寛容を持ってコメントするといいと思います。
ここは、教師が御霊を必要とする瞬間です。

筆者の場合、こうしたケースでは、まず「間違った意見を言った人がみんなの前で恥をかかないように」取り計らい(これは絶対!)、意見にもよりますが頭ごなしに否定せず「そういう考え方もありますね」といって(肯定もせず)、やんわりと正しい方向に軌道修正することが多いです。

そもそも、レッスンではいろんな意見が出ていいのです。みんな違ってみんないい、のです。

ただ、レッスンを終わる時に「イエス・キリストの御名によってレッスンします」と終わらないで(こうするとレッスン全体が正しくなければならなくなる、私たちは不完全だから時には間違ったり、憶測で物事を言ったりしてしまうので)、最後は教師が証をして、その証をイエス・キリストの御名で行えばいいのです。

教師が分からないことを聞かれた場合……

冷や汗タラリの瞬間は、もう一つあります。
それは「教師自身が分からないことを尋ねられた時」です。

これは結構あります。そんな時は、素直に分からないことは「分からない」と言っちゃうのがいいです。調べれば分かる場合や深く考えて答えたい場合は「次のレッスンまでの教師の宿題にさせてください」というのもいいと思います。

もし教義的にまだ明らかにされていないことだったら「どうなんでしょうかね、まだ明らかになっていませんが、それが明らかにされる時が楽しみですね」などと場を収めてもいいと思います。

ちなみにですが、ヤレドの兄弟の本名は「マホンライ・モリアンカマー」です(ジョセフ・スミスに与えられた啓示によって明らかにされた)。

また、モルモン書のまだ公開されていない残り2/3の部分には、預言者は次のようなことが書かれていると述べています。

「モルモン書の封じられた部分が翻訳されると,そこには前世の生活や万物の創造,堕落と贖いと再臨,神殿の儀式についての完全な記述があるでしょう。身を変えられた者の務めと使命について,パラダイスと地獄双方の霊界について,復活した人々が住む栄光の王国について,またそれに類する
多くの事柄についての記述があるに違いないのです。
……モルモン書の封じられた部分が明らかにされるかどうかは,わたしたちの信仰と義にかかっているのです」

ブルース・R・マッコンキー長老の言葉

誰も何も意見を言ってくれない時……

もう一つは、前出の2つに比べれば怖さは低いですが、地味にダメージを食らうもの、「誰も意見を言ってくれない」です。

無言のあの空気、教師としてはなかなかこたえるものがありますよね。

この「意見を言ってくれない」場合、じつは理由は一つではありません。
生徒から意見が出ない時には、次のようないくつかの理由が考えられます。

①「明確な正解」がある知識を問う質問で、間違えるのが嫌で誰も答えようとしない。
②日本人特有の沈黙は金の考え方で、控えめさと奥ゆかしさモードが発動中の場合。
③質問が難しすぎて、あるいは複雑すぎて誰も分からない。
④深く考えている途中なので意見が出ない。

それぞれの原因と対策を見ていきましょう。

まず①「質問に明確な正解がある」場合です。これは以前の記事、

にて意見が出ない原因とその対処法を解説していますので、よろしかったら参照してみてください。

これについて教会の預言者はこう言っています。

教師は,考えたり感じたりするようにかき立てる質問を準備し,尋ねるように努めるべきです。教師は通常,単純に「はい」か「いいえ」で答えられる質問や,答えがはっきりしすぎて,生徒に考える気を起こさせない質問は避けるべきです。また論争を引き起こす可能性のある質問も避けるべきです。そのような質問は,生徒をいらだたせたりクラスの中に争いを生み出したりして御霊を悲しませることがあります。

ディーター・F・ウークトドルフ長老の言葉

②「日本人特有の控えめさと奥ゆかしさモードが発動中」の場合は、多くの人が答えはわかっているのに、意見は持っているのに、美しい譲り合いの精神が表れている時なので、その際はドンドン指名するといいと思います。
指せば、答えてくれるはずです。

③は「質問が難しすぎる、複雑すぎる」場合です。
これもは①と同じく「質問自体に難があるのが原因」なのですが、ちゃんと決まった答えがない質問、はい、いいえで答えられないオープンクエスチョンになっているに、なぜか生徒が答えてくれない時は、質問が難しすぎるか複雑で分かりにくいことが原因になっていることがほとんどです。
これについては、次の記事でくわしく書きたいと思いますので、そちらをぜひご覧になってください。

④は「考えている途中」なので意見が出ない場合です。これはじつはなんの問題もありません。ちゃんと質問が機能し、それについて生徒が深く考えているから発言しないだけです。

このことについて、教会の教師用のテキストにはこんなふうに書かれています。

沈黙を恐れない
効果的な質問をしたとき,生徒がすぐ返答しない場合があります。この沈黙は,それほど長く続かなければ,教師は困る必要はありません。生徒は時折,質問された事柄について,あるいは質問にどのように答えるかについて,じっくり思い巡らす機会を持つ必要があります。じっくりと考えれば,聖霊から教えを受けやすくなります。

教授法、スキル、採り上げ方

テキストの言葉通り、こうしたことが起きたら、教師がやることは少しの間待つだけです。
間違っても、沈黙に耐えきれず教師があれやこれやと生徒の代わりに意見を言わないようにしましょう。


こんなところが、レッスンで冷や汗が出る瞬間です。

この他にレッスンでこんな時に冷や汗が出たという経験がありましたら、よろしければコメント昨日などで教えていただけたらと思います。

大丈夫、教師の皆さんの隣には、いつもイエス様がついてくださいます!

いいなと思ったら応援しよう!