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「ファシリテーション」レッスンにおける教師の立ち回り方
教会のレッスン教師というと「教える」責任というイメージが強いですが、以前の記事でも述べたように、筆者の経験からレッスン教師の本分は「ファシリテーション」だと思っています。
ファシリテーションとは「会議や話し合いなどが円滑に行われるように進行、サポートする」ことで、レッスン教師はファシリテーター(進行役、サポート役)としての役目が重要になってきます。
それを踏まえて今回は、レッスンの中で教師がどう立ち回ればいいのか、教師のファシリテーションについて考えてみたいと思います。
「互いに教え合う」のをサポートする
教会のレッスンの本質は「互いに教え合う」ことです。
次の聖句にはこうあります。
また,あなたがたに一つの戒めを与える。あなたがたは互いに王国の教義を教え合わなければならない。
教えなければならないではなく、「教え合わなければならない」と書かれています。この聖句を1回のレッスンに当てはめれば、教師が一方的に教えるのではなく、生徒の意見を出してもらい、それによって教師を含めた全員が学べるようになるのが、教会のレッスンの目指すべき状態だと思います。
したがって、教師がやるべきことは、福音を教えることに加えて、生徒の意見を引き出すことになります。それによって「互いに教え合う」ことを促進させる、これがレッスンでの教師のファシリテーションの基本姿勢となるでしょう。
教師と生徒の関係は「対等」である
「互いに教え合う」ことに関連して、いつも意識しておきたいのは教会のレッスンにおいて「教師と生徒は対等の関係にある」ということです。
以下の聖句を、そのことを言っています。
教えを説く者は聞く者よりも偉いわけではなく,教える者は学ぶ者よりも偉いわけではないので,祭司は自分自身を自分の話を聞く者よりも優れているとは思わなかった。
これも、教師がファシリテーターである所以です。真の教師は聖霊です。レッスンでは教師はレッスンを進行しますが、それは生徒と教師が皆、聖霊から教えを受けるためなのです。
学ぶ活動において、教師が教義を教えるのも、それについて生徒が聖霊から教えを受けるのを助けるためにほかなりません。
「愛」を持って教える
教師に必要な最も重要な資質は「愛」です。生徒を愛することは、教師にとって最も大切なファシリテーションとなります。聖典にはこうあります。
いかなる力も影響力も,神権によって維持することはできない,あるいは維持すべきではない。ただ,説得により,寛容により,温厚と柔和により,また偽りのない愛により,
優しさと純粋な知識による。これらは,偽善もなく,偽りもなしに,心を大いに広げる。
レッスンの準備の際、レッスンの最中と、いつも教師の心には生徒への愛がなければなりません。教義的に正しくない意見が述べられたとしても、あるいは論争になってしまいそうな時にも、教師はただ説得、寛容、温厚、柔和、偽りのない愛をもって対応、ファシリテートすることが大切なのです。
教師は生徒の良い面に目を向け、生徒を理解するように努めて、神の子供として接し、次の聖句、
人の価値が神の目に大いなるものであることを覚えておきなさい。
と、生徒のために働きたいという思いを胸に、レッスンを行いたいです。
導入時のファシリテーション
では、レッスンの各パートにおける教師の立ち回り方、ファシリテーションのポイントを考えていきましょう。
レッスンの始まり、導入時に教師は、生徒が安心して学べるように和やかで平安な雰囲気を作り出すことが重要です。そのためには、緊張を和らげることに気を使い、誰でも気軽に意見を言いやすいように進行していきましょう。
また、導入時から学ぶ活動へと自然に繋がるように、レッスンのテーマと関連性を保ちながらアイスブレイクの活動を進行しましょう。
学ぶ活動でのファシリテーション
学ぶ活動では教師からの教える場面が主になりますが、一方的に教えるだけでは生徒が退屈してしまうので、聖文や資料を読んでもらったり、ところどころに小さな質問を用意しておいて、生徒が自発的にレッスンに参加できるように取り計らいましょう。
その際は、学ぶべき情報の整理をしておき、全く関係ない話題にレッスンが逸れないようにし、生徒の意見に耳を傾けながら、生徒を観察しながら進行しましょう。
また、もし御霊に感じて準備した内容と違うことを行うように強く感じたならば、その導きに従いレッスンを変える、軌道修正するなど、柔軟に対応していきましょう。
考える活動でのファシリテーション
「霊感を招く質問」についてディスカッションする考える活動では、教師はあくまでサポート役に徹するようにしましょう。
もし、質問の意味が難しくて生徒が分かりづらいという反応を示していたら、その質問を分かりやすく修正したり、生徒からの不明な点に関する質問に答えるなどして、生徒が意見を出しやすい環境で話し合えるように助けていきましょう。
小グループに分かれてディスカッションする場合は、すべてのグループを教師が1人でサポートするには限界があるので、グループ内の生徒の中から1人のグループファシリテーターを決めて、その生徒に話し合いの進行とサポートを任せるといいでしょう。
話し合う生徒を観察し、意見があまり出ていないグループがあれば、そこに行ってなにか困っていることはないか、分からないことはないかに注意を払ってサポートしましょう。
発表時のファシリテーション
ディスカッションの後は、各グループで出た意見を発表してもらいます。
その際には、1グループずつの発表を皆が聞けるように進行しましょう。
次の聖句にあるとおりです。
あなたがた自身の中から一人の教師を任命しなさい。そして,全員が同時に語ることなく,一時に一人を語らせて,すべての者が彼の言うことに耳を傾けるようにしなさい。それは,すべての者が語って,すべての者が互いに教化し合うように,またすべての人が等しい特権を持てるようにするためである。
また、教師は発表に敬意を示し、感謝を述べ、何らかのコメントやリアクションを取るようにし、何の反応もないままサッサと進行することのないように注意しましょう。
教師のコメントに関しては、以下の記事を参考にしてみてください。
福音を学ぶ喜びを感じてもらう
教会のレッスンで非常に大切なファシリテーションは、生徒に「福音を学ぶ喜び」を感じてもらうことです。次の聖句にはこうあります。
それゆえ,説く者と受ける者が互いに理解し合い,両者ともに教化されて,ともに喜ぶのである。
レッスンの喜び、福音を学ぶ喜びとは、教師と生徒が共にイエス・キリストに教化される時に得られるものです。イエス・キリストの福音の価値を感じる時、福音が教師と生徒の心を広げる時、実生活への応用に関する経験や証を聞く時、そしてイエス・キリストのような人物になりたいという望み、希望を感じる時に、私たちは福音を学ぶ喜びを得ることができます。
教師は、そんな喜びを感じられるように、レッスンをファシリテートしていきたいと思います。