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教会のレッスンは会員のためにあるもので、会員が教会のレッスンのためにあるのではない!

今回は教会のレッスンをするうえで陥りがちな罠について考えてみたいと思います。
それは「レッスンのためにレッスンをしてしまう」という罠です。

これは言葉を変えれば「手段の目的化」というやつです。つまり、ある目的を達成、実現するためにその手段があったはずなのに、いつの間にかその手段を実行することが目的になってしまう例のアレです。

これはいわゆる現代病の一つと言われ、多くの会社、職場で見られる典型的な過ちです。慣習だからやる、毎年のことだからやる、昔からこうだと決まっているなどといって無駄な会議や業務、社内イベントなどを強制される経験をしたことがある方も多いのではないでしょうか。
ソレって必要なの? その業務は無駄なのでは……と、誰もが思っても、必要不必要関係なく「慣習だから、決まりだから、ずっとやってきてるから」といって要不要の検討さえしないのです。

じつはこれ、注意していないと教会でも、とくにレッスンでも起こりがちなことなのです。

たとえば、教会の何らかの活動があるとして、それは明確な目的があって行われます。困っている誰かを助けるために奉仕をすることだったり、親睦を深めたり、成長の機会としたりと、必ず目的があって行われますが、手段の目的化が起きてしまうと、活動のために活動をし、集会のために集会をし、レッスンのためにレッスンをし、ただレッスンを成立させるためにレッスンをする、誰かを助けるために、誰かの必要を満たすために活動や集会、レッスンが行われなくなってしまうのです。

じつは、この現象は大昔からあり、約2000年以上前に、イエス・キリストが新約聖書の中で次のように指摘しています。

ある安息日に、イエスは麦畑の中をとおって行かれた。そのとき弟子たちが、歩きながら穂をつみはじめた。
すると、パリサイ人たちがイエスに言った、「いったい、彼らはなぜ、安息日にしてはならぬことをするのですか」。
そこで彼らに言われた、「あなたがたは、ダビデとその供の者たちとが食物がなくて飢えたとき、ダビデが何をしたか、まだ読んだことがないのか。
すなわち、大祭司アビアタルの時、神の家にはいって、祭司たちのほか食べてはならぬ供えのパンを、自分も食べ、また供の者たちにも与えたではないか」。
また彼らに言われた、「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない。
それだから、人の子は、安息日にもまた主なのである。」

マルコによる福音書2章23-28節

この聖句でとくに、

「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない。」

ここがまさに手段の目的化を指摘されたところだと思います。

安息日は人が現世の仕事から離れて神様のことを学び、礼拝し、また困っている人を助けるために奉仕をする日、人のための日であるのに、律法学者たちはそんな安息日の目的などを忘れて、ただ安息日の戒め(仕事や行動をしないなど)を守るという手段だけが目的になってしまっていました。律法学者たちの間では自分たちで勝手に安息日に結んでいい紐の結び方が決められていたり、歩いていい歩数が決められたりと、手段の目的化ここにあり! といった状況になっていました。

この聖句を教会の集会や活動、レッスンに置き換えてみるとよく分かります。

「教会の活動は人のためにあるもので、人が教会の活動のためにあるのではない」
「教会の集会は人のためにあるもので、人が教会の集会のためにあるのではない」
「教会のレッスンは人のためにあるもので、人が教会のレッスンのためにあるのではない」

私たちのレッスンは、ただレッスンの時間を埋めるだけの、レッスンを成立するためだけの、テキストにある内容をなぞるだけのレッスンになっていないでしょうか。

筆者はこの聖句を自分に当てはめて、とても反省しました。

教会のレッスンは人のために、会員のためにあるのです。

青少年のレッスンであれば、学校や日常生活、進路や部活、勉強などの機会で福音をどう応用し、実践していくのかを、生徒の顔を思い浮かべながら彼らの必要は何か、どうすれば今回のレッスンが彼らの必要を満たすものになるのかを考えながらレッスンの準備をしていくのがいいと個人的に思っています。

日曜学校の成人クラスであれば、仕事や家族、夫婦関係、人間関係、育児などで福音をいかに応用、実践するかを、やはり生徒の顔を思い浮かべ、その必要を考えながらレッスンのコンセプトと質問を私は考えます。

レッスンの準備をする際は、教師一人ひとりが「人のためのレッスン」をするにはどうすればいいのかを模索して、2000年前のイエス様の言葉を実践できるといいのではないかと思います。

繰り返しますが、「教会のレッスンは会員のためにあるもので、会員が教会のレッスンのためにあるのではない」ということを肝に銘じて、レッスンの準備をしていきたいと思います(自戒を込めて)。


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