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教会のレッスンは“福音を生活に応用する方法”を学ぶ場である!

筆者がメンバーである「末日聖徒イエス・キリスト教会」は、その名称にある通りイエス・キリストを信じ、イエス・キリストの福音を学んでいます。

教会では福音を学ぶ機会として「日曜学校」「各年代や必要に応じて学ぶレッスン」「セミナリー(青少年のための宗教教育)」「インスティチュート(18-35歳の人のための宗教教育」などがあります。

それらの学ぶ機会では、イエス・キリストの福音について聖書や聖典の知識を学びますが、教会のレッスンで最も大事な学習内容は、イエス・キリストの福音を自分の日常生活、人間関係、そして人生に活かし、応用する方法だったのです。

新約聖書マタイによる福音書7章21には、次のように書かれています。

「わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである」

新約聖書マタイによる福音書7章21節

これは、たとえ多くの知識を学んでも、学ぶだけで実践、応用しなければ
正しい者として神に認められ、天国に入ることはできない
という意味の言葉です。

日本語にも、

知行合一(ちこうごういつ)

という四字熟語があります。
意味は、知識と行動は一体であり、いくら知識だけあっても、行動、実践しなければ、それは知らないことと同じである、というものです。

また、こんなことわざもあります。

鯛もヒラメも食うた者が知る

高級魚の鯛もヒラメも、その味についていくら情報や知識があっても、本当の味を知っているのは「食べた者だけ」である、という意味です。

イエス・キリストの福音も、ただ知識だけあっても実践、応用がなければ学んだことにはならず、そもそも自分の生活や人生に生かさなければ宝の持ち腐れになってしまうでしょう。

これまでの教会でのレッスンを思い返してみると、知識のみを学ぶものが多かったような印象があります。
聖典の知識を問い、決まり切った答えのリストから答える、そんなレッスンが毎年繰り返されてきたように思います。

もちろん知識も大事ですが、もっと大事なのはその福音の知識を自分の生活に応用し、人のために働くことです。

筆者は前の記事で、教会員歴ウン十年のお歴々に何を教えるのか途方に暮れたと書きましたが、応用する方法を学ぶのが教会のレッスンなのだと知ってからは、お歴々の方々から、イエス・キリストの福音を自分の生活、人生にどのように応用したか、その経験や証を話してもらえばいいんだ、ということに気づいたのです。

末日聖徒イエス・キリスト教会が使う聖典の一つ「教義と聖約」の中に、次のように書かれています。

「また,あなたがたに一つの戒めを与える。あなたがたは互いに王国の教義を教え合わなければならない」

教義と聖約88章77節

この聖句にある「教え合う」とは、会員の一人がレッスンの教師となって他の会員を教えるということの他に、「レッスンに参加する生徒から意見や経験、証を述べてもらって、それによって教師も他の生徒も学び合う」ということも意味するのではないかいと感じました。
(これでだいぶ気が楽になりました……)

ここで、新たな課題が生まれました。
レッスンの生徒の人たちに、どうすれば福音を自分の生活、人生に応用した経験を話してもらえるのでしょうか。

その答えは、ずばり「聖霊」にあったのです。

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