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ちょっと特別な日には、ひだりてで握手
最後の日だけはわがままを言って、
「ひだりてで」握手をしてもらおう。
それが、私がちょっと特別な日だけにする
ある“お願い”でした。
⊹ ⊹ ⊹
生まれも育ちも日本なので、
挨拶のときに握手を交わす習慣がありません。
いままでだれかと握手をしたのも数えるほど。
そんな私にも、心にのこる思い出があります。
*
中学3年生の冬、高校受験にそなえて
日々予備校で勉強をしていました。
その予備校で印象的だったのは、
なぜかいつも竹刀をトレードマークに持ち歩く
大柄な男の先生です。
( もちろん体罰教師などはなく、
竹刀をスタンドマイクに見立てて
WE WILL ROCK YOUを熱く披露するような
ノリがよくて人気のある先生でした )
とはいえ、引っ込み思案だった私は
その先生と直接話すことはほぼありませんでした。
*
当時、私の受けた高校受験は
筆記試験で合格が決まる一般入試のほか、
面接のみで受けられる推薦入試がありました。
特に成績が良いわけでもない私ですが、
“ある理由”で志望校の推薦を受けさせてもらい
そのまま合格をいただくことに。
正直、筆記の成績はちょっとギリギリだったので、
合格してほっとしたと同時に
“自分の努力で合格したわけでもないのに”
とすこし後ろめたい気持ちもよぎりました。
合格発表の日の夜、いつものように予備校があり
私にとってはそれが最後の授業になりました。
予備校までの道のりを歩いている間は
先生に合格を伝えるドキドキ感と、
まだ同級生たちが受験勉強を頑張っているのに
ひと足先にラクして受験を終えてしまった
ーー そんな気まずさを感じていました。
ところが、予備校の前まで来てみると
普段ならそこにいない先生( 例の竹刀の人 )が
その日だけは校舎の前に立っていました。
先生は私に気づき、満面の笑みを浮かべると
「オギノさん、おめでとう!
よくやったな!!」
という言葉とともに近づいてきて、
おもむろに私にむかって手を差し伸べてきます。
その瞬間、
この先生は私の試験結果をすでに知っていて
心から合格を喜んでくれているんだ
ということが一気に伝わってきました。
それまで感じていた気まずさも和らいで、
ああ、合格できて嬉しい、と
自分の中でもようやく喜びが込み上げてきて。
慣れない握手に応じると、
先生は力強く、でもあたたかく
私の手を握り返してくれたのを覚えています。
多くの言葉を交わしたわけではありませんが、
先生がしてくれた優しい握手は
私にとって特別で、大切な思い出になりました。
⊹ ⊹ ⊹
それから、あっという間に月日は過ぎて
私も大人になりました。
あのときの塾の先生とは立場が違えど、
こんどは私が誰かを励ましたり、
門出をお祝いしたりするような場面も増え。
そんなちょっと特別な日は、
中学3年生のあの日を思いだしながら
私も握手で相手を送り出すようにしています。
でも、私が先生とすこしだけ違うのは
“左手で”握手するということです。
中学3年生だったあのとき、
平凡な私が推薦を受けられた理由。
それは私が中学1年生のときに経験した、
“がん”の闘病生活があったからでした。
約1年の入院治療を経てがんは無事に完治し
すぐに中学校にも復帰できましたが、
“困難な状況を乗り越えて努力した人”という
ちょっと変わった理由で推薦を受けたのでした。
まわりの友達が勉強やスポーツをがんばって
少ない推薦枠を競い合っている中で、
病気(と、家庭環境もすこし)が配慮されただけの私。
自分の力で高校に受かったと言っていいのか、
私のなかで何かが引っかかっていました。
*
がんを取り除くための手術で、
私は右肩を動かす体の機能を失いました。
ふだんの動作は左手を中心に行なっています。
そんな身体の障害とともに生きていく中で、
中学生の頃は自分に後ろめたさを感じていた私も
病気や障害を自分らしさとして受け入れ
堂々と人に話せるようになりました。
大人になり、
自分がだれかの門出を祝う立場になったいま
私のわがままで“ひだりて握手”をしてもらいます。
左手で握手をするということは、
自分のこれまでの経験が詰まった右腕について
その相手に知ってもらうということ。
もし、相手が自分よりひとまわりも年下で、
それが小さい子どもであったとしても
この“ひだりて握手”をしてほしいと言います。
自分の不完全な部分もさらけ出す。
そうすることで、年下の相手や子どもであっても
“対等に、1人の人間としてあなたを応援している”
という思いが伝わればいいなと思っています。
中学3年生の冬、
先生から贈ってもらった“特別な日の握手”が
こんどは私の左手で
だれかを勇気づけられますように。