父の思いと、母の思い
70を過ぎた母は、家の片付け(断捨離)をしています。
私の子ども時代の作文や通知簿などの記録を、40年近く経って、いま、やっと見ています。
「よくがんばってたね」と真顔で今ほめる母。
「今、気づいた?」
「あんたが普通なんやと思ってた。だって、初めての子やのにこれが普通やと思うやん?」
…だって以降がおかしい。
普通という軸がおかしい。自己中心。
世の中、普通、女性やん?みたいな。
彼女は、すべての評価が金額換算の祖母に、ある意味、似ている…。
親の思い出話あるあるですが、母はずいぶんと自分の出来を盛っていたと思っています。
ま。思い出とはそういうものです。
父の言動
一方、父親は私にまったく無言。
もちろん、成績に対して反応したことはありませんでした。
とはいえ、私の成績は把握していたようで、印象に残る発言、行動があります。
きょうだい3人で、家計のやりくりに毎月頭を抱えていた母の姿を見て、就職しよっか?と聞いた私に。
「子どもを国公立大学くらい、通わせられるお金はある。」
「知識や学歴は、火事にも盗難にもあわない一生の財産や。できるだけ持っておけ。」
大阪大学の合格発表が電報で届いた(当時平成3年)のを見て、私より大喜びして、膝を打撲した父。
膝を強打しすぎて十分に歩けないにもかかわらず、「今から大学に行くぞ!」と、カメラを持ち、私と電車に慌てて乗り込み、誰もいない夕方のキャンパスで合格発表の記念撮影に付き合い(笑)、トンボ帰り。
その間も会話はあまりなかったけど、膝が痛そうなのにものすごく喜んでいたのを覚えています。
80を越えた今、膝は悪いままです。
いやいや、もともと膝は弱かったんですけどね。
父の思い
父は田舎の雪国の高校卒で、
就職した先は大卒、学閥が幅をきかせていた大組織でした。きっと孤独だったと思います。
父は出世や昇進もぱっとせず、
田舎に仕送りをしながら安いお酒を自宅で楽しみ、
目立つこともなく、
無口で反論せず、穏やかなことが取り柄の人。
「自分の娘が大阪大学に現役で合格した」
その事実を内心で大喜びみたいでした。
親戚にも半分自慢のように話していました。あれはやめてほしかったけどねー(汗)
私は京都大学に憧れていたので、中途半端で恥ずかしいやらで内心複雑でしたが、
第2次ベビーブームの「受験戦争」世代で、浪人せず、学費の安い国立大学に、奨学金付で入学できたことには、ほっとしました。
今でも、父は私が仕事するのを楽しそう見守ってくれています。
母の片付け
ところで、母の断捨離は、自身の両親(私の祖父母)の家の片付けをしたことがきっかけみたいです。
「物はいらない、記憶がある」、と。
その家が更地になってもう1年経ちます。
私の記憶には、まだあの家はあって、家の前で2人揃って立って手を振り見送ってくれる祖父母の姿は、まぶたの裏にくっきり残っています。
取り壊し1週間前、最後に見に行った写真です。あそこに2人は立ってたなぁ…
父なりの片付け
一方で、父は、
私たちきょうだい3人のために、趣味でコツコツ集めてきた硯(すずり)を、3つの箱に分けてくれたそうです。
す、硯…?
押入れいっぱいの、あの硯の箱?
父の思いに応えられるのか、複雑な気持ちです。